自由貿易維持へ課題5つ 多国間ルール、中小国こそ
By Martin Wolf
戦後のグローバルな経済秩序の歴史に第3の時代が訪れた。第1は1940年代後半から70年代までで、冷戦下で米国と足並みをそろえた高所得国を中心とする経済開放が特徴だった。
Financial Times/James Ferguson
第2は80年代からで、特にソ連崩壊後は経済的自由を徹底して追求する新自由主義が世界中に広がった。95年に世界貿易機関(WTO)が発足し、2001年に中国が加盟したことで、この時代は頂点を迎える。
われわれが今まさに突入しつつある世界的な無秩序の時代は、内政の失策とグローバル規模の摩擦を色濃く反映したものだ。中でも米国では経済変化の影響を和らげ、しわ寄せを受けた人に安心や立ち直る機会を提供する政策が取られなかった。
代わりにナショナリストや排外主義者が中国などとの「不公平な」競争に着目し、人々の怒りをあおった。米国では中国との戦略的競争という考え方が党派を超えて支持され、その中国は抑圧的な姿勢と内向き志向を強めた。そしてロシアのウクライナ侵攻で世界の亀裂はいっそう深まっている。
このような世界で自由貿易秩序をいかに維持できるだろうか。「大きな困難を伴う」ことだとは分かっている。しかし、あまりに多くの人々があまりに多くのものを失う恐れがあるため、あらゆる関係者が秩序の維持に努めなければならない。
幸い、多数の中小国が開かれた貿易体制を守ることの重要性を理解している。これらの国々こそ、いがみ合う超大国の思惑にとらわれず、できる限り率先して取り組むべきだ。その意味で6月に開かれたWTO閣僚会議が約6年半ぶりに閣僚宣言を採択できたことは大きい。継続協議となった案件はあったものの、少なくとも合意形成で実績は示せた。
とはいえ、より重要なのは自由貿易システムが抱える根源的な課題を明らかにし、取り組むことだ。ここに5点挙げたい。
フレンドショアリングは合理的でない
まずは持続可能性。国際公共財(グローバルコモンズ)の管理が人類の最重要課題となった。貿易ルールはこの目的と一切矛盾がないよう整備されなければならない。WTOは弊害の大きい、特に漁業の補助金問題を協議するための場であることは明らかで今回、漁業補助金を規制することでは合意できた。
さらには排出された二酸化炭素(CO2)に価格を付ける「カーボンプライシング」など、本質を捉えた政策とも両立させる必要がある。CO2の価格が相対的に低い国への生産移管や、その結果として世界全体のCO2排出量が増えてしまうことを防ぐ国境調整措置は動機づけにも罰則にもなる。こうした方策は気候変動対応を進める発展途上国への大規模な支援と組み合わせることが不可欠だ。
2つ目は安全保障。この点に関しては経済活動と国家戦略を区別し、企業だけで対応できる問題と政府が関与すべき問題を切り分けなければならない。サプライチェーン(供給網)は脆弱で回復力も弱いことが露呈した。企業は調達先を多様化する必要があるが、それはコスト高になる。政府は業界ごとのサプライチェーンの状況を監視することで企業を支援できるかもしれない。だが、この複雑なシステムの管理まではできない。
欧州がロシア産の天然ガスに依存しているように、自国が潜在的な敵対国からの輸入財に頼り過ぎていないか、各国政府が把握したいと考えるのは当然といえる。国家安全保障に絡む分野などでは技術開発に関する関心も高いはずだ。その場合、安全保障の観点から輸出入を制限する製品や事業を定めた「ネガティブリスト」を作成し、通常の貿易・投資ルールの適用除外とすればいい。
3つ目はブロック化。イエレン米財務長官は安全保障上の懸念を踏まえた対応策の一つとして「フレンドショアリング(友好国間での供給網構築)」を提唱している。地域ブロック化を推す声もある。どちらも合理的ではない。前者は友好国がずっと友好的であり続けると想定しているうえ、発展途上国の大半が対象から外れる。例えば戦略的に極めて重要なベトナムは友好国か、敵対国か、それともどちらでもないのか。先行き不透明感も広がり、代償は大きい。
同じように世界貿易を地域ごとに分ければコスト高になる。何より地球上で人口が最も多く経済成長が最も著しいアジアから北米と欧州が締め出され、アジアは実質的に中国の独壇場となるだろう。それでは経済的にも戦略的にも意味がない。
痛手を被る人には救いの手を
4つ目は基準。貿易交渉では基準を巡る議論が中心に据えられるようになったが、高所得国が自国の利益を押し通すケースが目に余る。知的財産権を巡る協議が一例で、少数の欧米企業の利益が決定的な影響力を持つと批判されている。労働基準に関する協議も同様だ。
ただし基準作りが欠かせない分野もある。中でもデジタル経済の発展に伴い、データ共有のための基準が求められるようになる。これがなければ国ごとに異なる要件を満たさなければならず、グローバルな事業展開がかなり難しくなる。
ちなみに欧州連合(EU)の単一市場で各国の規制を大幅に調和させる必要があったのは、こうした理由からだった。英国のEU離脱推進派はこれをひどく嫌った。
最後は内政。保護貿易の代償を国民に知らしめ、経済構造の大転換で痛手を被る人々に救いの手を差し伸べる国内の制度や政策なしには、開かれた貿易システムは維持できない。世界に多大な恩恵をもたらしてきた通商の絆も、事実をねじ曲げるナショナリズムによって断ち切られてしまう。
世界が迎えた新時代はとてつもなく大きな課題を生み出している。世界システムの崩壊は十分あり得るかもしれない。すると地球上で何十億もの人々がより良い未来への希望を失い、世界共通の課題が未解決のまま残されるだろう。
貿易はそうした全体像のほんの一部分にすぎないが、重要な役目を担っている。多国間でルールを定めて自由貿易を行うという発想は高尚だった。これを消滅させることは許されない。米国が役割を果たせないなら、他の国々が立ち上がるしかない。