経済教室

 

瀬戸際の多国間枠組み@

国際社会結集、2国間基盤に 

 

吉川元偉・国際基督教大学特別招聘教授

よしかわ・もとひで 51年生まれ。国際基督教大卒、外務省へ。中東アフリカ局長、国連大使などを歴任

 

ポイント

○ 冷戦終了前後除き安保理の機能不全続く

○ 国連総会決議で国際世論示す意義大きい

○ 日本はアジア諸国と強固な2国間関係を

 

2月24日に始まったロシアによるウクライナ侵攻を受け、国連安全保障理事会(安保理)は、何の対応もできず機能不全に陥っているとの批判が聞かれる。本稿では安保理の機能不全論を検討したのち、国連を含む多国間枠組みがウクライナ情勢にどう対応しているかを概観し、日本のとるべき方策について論じたい。

安保理に上程されたロシアに即時撤退を求める決議案は2月25日、当事国の常任理事国ロシアの拒否権により葬り去られた。機能不全と批判されても当然だ。だが国連の歴史をみると、安保理の機能不全が言われたのは今回だけではない。

冷戦時代は米ソ対立のため安保理は恒常的に機能不全だった。冷戦終了の前後、米ソ・米ロの協調がみられた短い期間、安保理は機能を発揮し、例えばイラクのクウェート侵攻に対抗するための多国籍軍設立を容認し、クウェートの主権は回復された。だが近年、シリア内戦に対してはロシアと中国の拒否権により安保理は行動がとれず、2014年のロシアによるクリミア併合に対しても当事国ロシアの拒否権により安保理は何の手も打てなかった。

◇   ◇

世界にある多国間枠組みは幾つかに分類できる。一つは政治思想や体制に関係なく世界のすべての国に開かれている普遍的国際機関で、国連がその典型例だ。

もう一つは価値観を同じくする国々(like-minded countries)により構成される国際機関やグループだ。日本が加盟するものでは、民主主義と人権尊重の価値観を共有するG7、経済協力開発機構(OECD)、国際エネルギー機関(IEA)などがある。日米豪印のQuad(クアッド)や、日本は加盟していないが北大西洋条約機構(NATO)もその例だ。他方、権威主義国家による国際軍事機構の一例はロシア、ベラルーシなど6カ国による集団安全保障条約機構(CSTO)だ。

こうした多国間枠組みでは迅速な行動がとられたといえる。まず第1グループの国連など普遍的国際機関の動きはどうだったのか。

安保理決議案の否決を受け、国連総会は緊急特別会合を開いた。3月2日、ロシアの行動を国連憲章違反と認定し即時撤退を求める決議を141という圧倒的多数の賛成で採択した。総会決議に拘束力はないが、国際社会の世論を示せる。

14年のロシアによるクリミア侵攻の際の総会決議案は、ロシアを名指しせず、即時撤退も求めない内容だった。賛成票は100で、多くの国が棄権に回った。当時国連大使だった筆者は特にアジアの賛成票を増やすべく各国大使に働きかけたが、アジア・太平洋54カ国中賛成は22だった。今回は37に増えた(表参照)。

4月7日、国連総会緊急特別会合で、ロシアの人権理事会理事国としての資格を停止する決議が採択された。資格停止は前例が1件しかない。賛成票は93と、3月2日の決議に比べ大きく減った。特にアジアとアフリカで賛成が半減し、反対と棄権が大きく増えた。

なお、4月26日には、拒否権を行使した際に理由を説明せよとの総会決議が採択された。拒否権行使の抑制が狙いだったが、5月26日にロ中が拒否権を行使して対北朝鮮安保理決議案を葬り去ったことをみると、効果はなかったようだ。

国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)によれば、ロシアの侵攻以来、ウクライナの人口約4千万人のうち680万人以上が近隣国に避難したほか、国内避難民の推計は750万人を超える(5月29日時点)。国連は、これらの人々への支援活動で中心的役割を果たしている。

国連の司法機関である国際司法裁判所(ICJ)は3月16日、ロシアに対し軍事作戦を即刻停止せよとの命令を出した。ICJの命令は拘束力があるが、ロシアは無視している。ICJは国内の裁判所と違い、命令を執行する手段を持たない。なお、命令発出に反対した2人の判事はロシアと中国の出身だった。

国連とは独立しているが123カ国・地域が加盟する国際刑事裁判所(ICC)は迅速に動いた。3月に捜査を始め、主任検察官は4月には虐殺の現場ブチャに入った。5月には捜査チームをウクライナに派遣した。今後戦争犯罪などの捜査や訴追はできるだろうが、ロシアはICCに加盟しておらず、逮捕そして裁判に至るのは容易でないだろう。だがICCが取り扱う犯罪に時効はない。日本はICCへの最大拠出国だが、捜査官の派遣など人的な貢献もしてほしい。

ロシアへの軍事・経済面での対応は、多国間枠組みの第2グループに属するG7とNATOが主導した。

米国は軍事行動を起こせば強力な経済制裁を科すとロシアに警告したが、抑止は効かなかった。ロシアと戦うつもりがないと述べたことも、抑止が効かなかった原因とする意見がある。

だが侵攻後の米国の動きは早かった。2月24日にはG7はロシアを非難する首脳共同声明を発出し強力な経済制裁を始め、日本もG7と協調して制裁に踏み切った。国際世論がロシアを強く非難していることも制裁実施の助けとなる。G7はウクライナへの経済支援も主導している。23年の議長国、日本にはG7をけん引する役割が期待される。

ウクライナは軍事大国ロシアの大攻勢に対し事前の予想を大きく上回る戦いを展開している。この背景には、祖国防衛にあたるウクライナ国民の献身的かつ勇敢な行動に加え、米国を筆頭とするNATO諸国の大規模な軍事支援がある。

◇   ◇

以上を踏まえると、多国間枠組みの活用という観点から日本がとるべき方策について、次のことが言える。

日本は価値観を共有する国々との枠組みを強化・拡大することが求められる。G7は1970年代の石油危機を受け、先進国間の経済政策調整を目的に始まったが、今や国際政治問題への対応も議論するようになった。安保理に常時席を占められない日本には重要な場だ。インドが加わるQuadにも期待したいし、韓国にも参加してほしい。

国連は普遍的国際機関であり、その決定には正統性がある。特に法的拘束力のある決定を下せる安保理の権限は大きい。23〜24年の安保理非常任理事国が見込まれる日本は、安保理改革の旗も振り続けてほしい。

安保理が機能不全であっても総会は国際社会の声を結集できる。しかし筆者の経験でも、国連総会での投票の際に多くの国は態度表明に消極的だ。案件が国連憲章違反だと分かっていても、自国の国益を考えると立場を曖昧にしておく方が得策だと考えるからだ。

ウクライナの例が示すように、危機に当たっては米欧など日本と価値観を共有する国々からは、日本がアジア・太平洋諸国に影響力を発揮してほしいとの期待が寄せられる。その期待に応えるためにも、日本が国際社会、特にアジア・太平洋の国々との間で率直な議論ができる強固な2国間関係を築いていることが極めて重要だ。堅固な2国間外交は積極的な多国間外交を展開するうえでも肝要だ。

 

 


 

瀬戸際の多国間枠組みA

 

「共通の利益」の価値、再認識を 

 

古城佳子・青山学院大学教授

こじょう・よしこ 東京大教養学部卒、プリンストン大博士(政治学)。専門は国際関係論

 

ポイント

○ 金融危機後は個別利益重視の傾向強まる

○ 米欧と中ロの間で多国間枠組みは分極化

○ 日本はアジアのブロック化回避に努めよ

 

ロシアによるウクライナ侵攻は多国間枠組みを大きく揺るがしている。国連は、安全保障理事会の常任理事国による国際法違反の武力行使を抑制、停止できないという無力さを露呈した。国連総会では、ロシアを非難する決議に141カ国が賛成したものの、人権理事会理事国としてのロシアの資格停止を求める決議への賛成は93カ国に減少した。

国際通貨基金(IMF)や世界銀行は、ウクライナ支援に関する共同声明を出したが、各委員会ではロシアの反対でウクライナ侵攻を批判する共同声明は見送られた。日米欧などの主要国は世界貿易機関(WTO)の原則である最恵国待遇をロシアに対し撤回する措置をとることを表明した。20カ国・地域(G20)の財務相・中央銀行総裁会議では、ロシアの出席に反対して米国などが途中退席し、共同声明を出せずに閉会した。

ロシアの侵攻への対応を巡る各国の姿勢の相違が、多国間枠組みでの協議を困難にし、グローバルな多国間組織の機能不全を招きかねないと懸念されている。

◇   ◇

国際社会の問題に多国間でルールに基づき対応するという多国間主義は、第2次世界大戦後の重要な合意の一つだ。連合国を中心に構築された集団安全保障の制度である国連は典型だ。だが冷戦により安保理は機能不全に陥り、多国間主義は米国を中心とした西側諸国で重視される合意となった。特に経済分野では関税貿易一般協定(GATT)、IMF、世界銀行などの多国間組織を中心としたガバナンス(統治)が行われた。

このように多国間主義は民主主義、自由主義経済とともに「自由主義国際秩序」の基本的な合意となった。

冷戦終結後は国連安保理の機能回復を含め多国間枠組みへの期待が高まった。2000年には多国間組織は、第2次大戦直後と比べて約3倍になった。既存のグローバルな多国間組織に旧ソ連圏諸国などの新しい国が加盟した。IMFでは1992年にロシアが加盟したほか、96年に中国が国際収支の悪化を理由に為替取引を制限できない「8条国」に移行した。WTOでは01年に中国、12年にロシアが正式加盟した。

また、新分野での協力が国際社会での「共通の利益」を実現するのに必要との認識が高まり、気候変動枠組み条約などの新たな多国間枠組みが多数形成された。

この傾向の背景には、西側諸国とは異質な国が多国間枠組みに関与することにより、ルールに基づく協議を通して国際社会の「共通の利益」の実現に責任を持つ国に移行することへの期待があった。米国が中国のWTO加盟を認める際に強調した「関与政策」はそれを示すものだ。こうした期待は「自由主義国際秩序」が拡大しつつあるとの楽観的な見方につながった。

だが90年代半ば以降、多国間枠組みは多くの課題に直面してきた。世界金融危機、新興国の台頭、米トランプ政権の外交、米中対立、コロナ危機などの影響で、WTOのドーハ・ラウンドの停滞にみられるように、グローバルな多国間枠組みでの協議は複雑化し長引く傾向にあり、有効性が問われることが多くなった。

特に世界金融危機以後、途上国や新興国だけでなく先進国も既存の多国間枠組みへの不満を表明した。多国間枠組みを、国際社会の「共通の利益」を実現する場とみるよりも、各国の「個別利益」を実現する手段として適切かどうかという見方が強まり、国際社会の「共通の利益」の認識が参加国間で必ずしも共有されていないことが露呈した。

その結果、既存の枠組み以外に、地域や有志国の間で新たな枠組みを形成する「競争的な多国間主義(contested multilateralism)」ともいえる現象がみられるようになった。

◇   ◇

国家が既存の多国間枠組み(ルール、政策、手続きなど)に満足できない場合、政策を決めるうえで既存の枠組みの外に利益を得られる選択肢を持っているかどうかが重要だ。既存の枠組みの外に選択肢を持たない国は、現状を追認するか既存の枠組み内で不満を表明する以外に手段はない。

他方、既存の枠組みの外の選択肢を持つ国は、制度変革に反対する参加国がいない場合、既存の枠組みを変革する要求を強められるため、改革を追求できる。また制度変革に反対する参加国がいる場合、別の枠組みを形成する誘因を持つことになる。グローバルな枠組みが多様な構成国からなり、制度変革を巡る意見の対立が増えるにつれて、外の枠組みの形成が進んだ。

第2次大戦後の多国間主義を主導してきた米国は、単独主義も含め外の選択肢を持つため、ブッシュ政権期から既存のグローバルな枠組みへの不満表明が増加し、WTOなどで改革を要求してきた。トランプ政権では、既存の多国間枠組みへの反対が顕著になった。

一方、中国は冷戦後、多国間主義に関与する方針を表明し、加盟を果たした既存のグローバルな組織内での発言力を高める政策を追求するようになった。さらに既存の国際開発金融機関の外に、広域経済圏構想「一帯一路」に適合するアジアインフラ投資銀行(AIIB)やBRICS諸国が運営する新開発銀行(NDB)の形成を主導した。ロシアは中国に比べ外の選択肢が確実にあるとはいえず、中国との連携による新たな枠組み構築を模索してきた。

米中対立に加え価値観を巡る対立も激しさを増す。多国間主義への回帰方針を示すバイデン政権でも、価値観を共有する国との既存の枠組み(G7など)や新たな枠組みを重視する多国間主義をめざしている。一方、中ロは連携を深めて米欧主導の既存体制の外にある枠組みを重視し、多国間の枠組みは分極化しつつある。

国連安保理では、BRICsが初の首脳会談を開催した09年以降、ロシアと中国による拒否権行使が増えただけでなく、同じ決議案に拒否権を行使することが増えてきており、対立が顕著になっている(表参照)。ロシアのウクライナ侵攻はこうした傾向に拍車をかけており、既存の多国間枠組みからのロシア排除を求める主張も高まっている。

しかし多国間主義の期待の一つが、多様な国を枠組みに入れることにより、国際社会の「共通の利益」に責任を持つ国を増やすことにあるとすれば、分極化した多国間枠組みが対立したままでは国際社会の問題に対応することは困難だ。今後の多国間の枠組み形成に求められるのは、排他性を強めることではなく、地域や有志国の枠組みを魅力的なものにし、守るべきルールの認識を共有できる参加国を増やしていくことだ。

日本は既存のグローバルな枠組みの外の選択肢を単独ではそれほど持たない。多国間組織の機能不全回避へ改革を進めるとともに、アジア太平洋地域での米中間の多国間枠組みを巡る競争がブロック化を招くのを避けねばならない。環太平洋経済連携協定(TPP)や日米豪印のQuad(クアッド)、インド太平洋経済枠組み(IPEF)などの枠組みが地域の「共通の利益」に資するように、位置付けを考えていく必要があろう。

 

 


 

瀬戸際の多国間枠組みB

 

保健協力、重層化で連帯カギ 

 

詫摩佳代・東京都立大学教授

くま・かよ 81年生まれ。東京大法卒、同大博士(学術)。専門は国際政治、グローバル・ヘルス・ガバナンス

 

 

ポイント

保健協力は地政学的動向との連動免れず

○ 国際機関、有志連合、地域組織など重層化

○ 各レベルの統治の整合性をとる試み重要

 

新型コロナウイルスの感染拡大が「国際的に懸念される公衆衛生上の緊急事態(PHEIC)」と宣言されてから、2年4カ月となる。2005年に現行の国際保健規則(IHR)が制定されて以降、09年の新型インフルエンザ、16年のジカ熱流行などでPHEICが宣言された。これらの前例と比べても、今回の「緊急事態」は異例の長さだ。

今回は同時多発的なパンデミック(世界的大流行)の下で、リソース(資源)の囲い込みで生み出された格差が危機を長引かせた。地政学的な動きと連動する形で、対応における競合や分断が生み出され、危機を長引かせてきた側面もある。

◇   ◇

保健分野のグローバルガバナンス(統治)とは、健康に関する諸課題に多様なアクター(関係者)が様々な方法で取り組む体系のことを指す。世界保健機関(WHO)では様々な規範やルールが設定され、それを各アクターが自発的に順守することで、ある種の協調行動がとられてきた。だが近年、国際社会の分断や国際機関への信頼低下でこうした体系に綻びもみられる。特にコロナ禍では、保健ガバナンスでの規範やルールに拘束力がなく、各国の自発的な順守で成り立つことのもろさが浮き彫りとなった。IHRの各種規定は正確に守られなかったし、ワクチンへのアクセスでは大きな南北格差が生じた。今回の経験を踏まえ、IHRの見直しや各種改革が進められるが、国際社会の分断もあり順調ではない。

21年11月のWHO総会では、パンデミックへの備えと対応の強化のため、いわゆるパンデミック条約の創設に向け交渉を開始することが合意された。欧州連合(EU)は野生動物の取引禁止を提案している。また米国はIHR改定で、発生国が情報共有を拒んだ際にWHOが入手可能な情報を他国と共有する権限や、PHEICの基準を満たしていない時に中間的な警報を出せる権限など踏み込んだ提案をしている。

一方、中ロはパンデミック条約や改定後のIHRが国家の裁量に抵触することを危惧する。22年5月開催のWHO総会で、ロシア代表は「新たな法的措置やIHR改定が各国の主権に抵触するものであってはならない」とくぎを刺した。

第2次世界大戦後、保健協力を含む機能的国際協力は国際協調の基盤となることを期待された。非政治的な協力の積み重ねが政治的な領域の合意の土台となるとの期待だ。しかし脅威が多様化した今日、感染症を巡る協力を「非政治的」と位置付けることはもはや不可能であり、地政学的な動向との連動を免れ得ない。

新型コロナの発生源を巡る米中の応酬は記憶に新しく、ロシアによるウクライナ侵攻も保健ガバナンスに影を落としつつある。5月のWHO総会でもロシアの行動を非難する決議が採択された。今後、ロシアが孤立を一層深めれば、保健協力でもそれと連動する動きが強まると予想される。

一方で、著しい相互依存の中にいる我々にとって、他者と協力する必要性自体は衰えていない。ただし各国にとって「他者」の意味するところが、不特定の他者ではなく価値観を共有する同志に限定されつつある。

実際コロナ禍では地域ベース、2国間ベース、有志国間ベースでの実質的な保健協力が活発化してきた。

アミタフ・アチャリア米アメリカン大教授は、米欧の覇権を基軸とするリベラル国際秩序が衰退し、代わりに国際機関、有志連合、地域組織、新興国、民間アクターらが影響力を発揮しながら協働する重層的な秩序(マルチプレックスワールド)が生まれつつあると説いている。保健ガバナンスでもとりわけコロナ禍で同様の現象が進展している。

例えばワクチン外交が同盟国や有志国、勢力圏内で活発に展開された。世界貿易機関(WTO)でワクチン特許解放の議論が膠着し、WHOによるmRNAワクチンの技術移転の枠組みが順調に機能しない中で、中ロによるインドや中東へのワクチン技術移転が進み、欧米の製薬会社によるアフリカでのワクチン製造拠点設置の動きがみられた。

地域レベルでの協力の進展もみられた。アフリカでは大陸内部のワクチンを調達・供給する組織が設立され、アフリカ医薬品庁設立に向けた動きも加速した。

◇   ◇

保健ガバナンスが重層化する中で、グローバルな枠組みが無用かといえばそうではない。国際社会の中で中心軸となる規範やルールを整備し、各レベルのガバナンスの整合性をとる役割が今後も重要だからだ。

目下の課題はパンデミック条約の創設とIHRの改定だろう。パンデミック条約に関しては、地政学的な分断があまりにも大きく、成立を不安視する見方もある。だがより多くのアクターが合意できる規範として、人間と動物、環境の健康を一体ととらえる「ワンヘルス」や公平性の原則などを盛り込み、締約国のコンプライアンス(法令順守)を確保する制度を併せて設けられれば上出来だろう。

明るい兆しもある。グローバルな枠組みへの米国の関与が回復した面や欧米諸国の結束が強まった面だ。

米国はここへきて、テドロスWHO事務局長の2期目を支持する意向を明確にし、IHR改定にも熱心な姿勢を示している。WHOの財政改革に関してもワーキンググループ内での交渉がいったん決裂したが、4月には加盟国の分担金を増やすことで合意し、5月のWHO総会ではこの案に沿った勧告が採択された。

新興国や市民社会組織の台頭も目覚ましい。4月開催のWHOの公聴会には多くの市民社会組織の代表が参加し、パンデミック条約に盛り込むべき内容を巡り活発に意見を述べた。保健ガバナンスの中心軸を維持できるか否かは、こうしたアクターの連帯にかかる。

ただし、グローバルなレベルでの規範を整えるだけでは、あまりにも心もとない。並行してサーベイランス(監視)体制の強化や医薬品の開発・製造能力の構築、緊急時の情報共有のメカニズムなどについて、実質的な措置が国、地域、有志国間といった多層的なレベルで整えられていく必要がある。5月の日米首脳会談で言及された通り、日米間でも保健協力が実質的に深化すると予想される。

ガバナンスの重層化は業務の重複や競合の危険性をはらむが、各レベルの取り組みに整合性や一貫性が保たれるなら、保健ガバナンス全体を補強することにつながりうる。日本をはじめとする各アクターには各レベルの特徴を見極め、積極的に関与しつつ、全体としての整合性をとるというバランス感覚が求められる。

その先に、瀬戸際の多国間協力を新しい形に作り替え、次なるパンデミックへの備えと対応力を強化し、同時に多様化する国際社会の脅威に対しより強靱(きょうじん)な安全保障の体制を築いていくという未来が開けるかもしれない。

 

 

もどる