プーチン氏が揺るがす核秩序(The Economist)

 

 

ロシアのプーチン大統領は100日前、核攻撃をちらつかせてウクライナへの侵攻を開始した。自国の核兵器を高く評価し、ウクライナの征服を約束した同氏は、干渉しようとする国々を「歴史上直面したことのないような」事態に陥らせると威嚇した。それ以来、ロシアのテレビはアルマゲドン(世界最終戦争)を話題にして視聴者を引き寄せている。

ロシアのプーチン大統領はウクライナ侵攻で核使用の可能性をちらつかせ、核秩序にも影響を及ぼしている=AP

プーチン氏はウクライナで核爆弾を使用しなくとも、すでに核の秩序を乱している。同氏の脅しを受け、北大西洋条約機構(NATO)は提供する支援を制限した。これは2つの危険を示唆している。それらは、ロシアが軍事作戦を展開するなかでかき消されがちだが、懸念は高まる一方だ。

1つ目の危険は、ウクライナの目を通して世界を見ている無防備な国々が、核武装した侵略国に対する最善の防衛策は自らも核を保有することだと考えるようになることだ。もう一つは、他の核保有国が、プーチン氏の戦法をまねるのは得策だと確信するようになることだ。そうなれば、どこかで誰かが必ずや脅威を現実のものとするだろう。それがこの戦争の負の遺産として残ってはならない。

 

侵攻前から高まる核の危険

核の危険は侵攻前から高まっていた。北朝鮮は核弾頭を数十発保有している。国際原子力機関(IAEA)は5月30日、イランが核爆弾の製造に十分な量の濃縮ウランを保有していると報告した。


米国とロシアは新戦略兵器削減条約(新START)の下、2026年まで大陸間弾道ミサイル(ICBM)の配備数などを制限するが、核魚雷などの兵器は対象に含まれない。パキスタンは急速に核兵器を増やしている。中国は核戦力の近代化を図っており、米国防総省によればその増強も進めている。

こうした拡散の実態はすべて、核兵器の使用に対する道徳的な嫌悪感が弱まりつつある表れだ。広島と長崎の記憶が薄れるにつれ、人々はプーチン氏が実戦投入しかねないような戦術核の爆発が、いかに都市全体を消滅させる報復へとエスカレートし得るのか理解できなくなっている。

米国と旧ソ連は2国間の核の対立に対処したにすぎない。いくつもの核保有国が存在する今、より危険な事態になっていることへの警戒心が足りない。

ウクライナへの侵攻が、こうした不安に拍車をかけている。プーチン氏の脅しが虚勢だとしても、非核国への安全の保証を損なう。

1994年、ウクライナはロシア、米国、英国が自国の安全を保証するという見返りに、旧ソ連時代から保有していた核兵器を放棄した。だが2014年、ロシアはクリミアを併合し、ウクライナ東部ドンバス地方で親ロシアの分離独立派を支援することで、この約束をいとも簡単に破った。米英も、ほとんど傍観し、約束をほごにした。

これで無防備な国々が核武装する理由は増えた。イランは核兵器を断念しても長期的な信用は得られないが、今開発しても昔ほど問題にはならずに済むと判断するかもしれない。イランが核実験を実施した場合、サウジアラビアとトルコはどう反応するだろうか。韓国と日本はいずれも自衛のノウハウを備えており、有事の際は守ってくれるという欧米の約束にかつてほど信頼を置かなくなるだろう。

 

核の脅威を勝利のために利用するプーチン氏

核の脅威を振りかざすプーチン氏の戦略は、それ以上にたちが悪い。第2次世界大戦後の数十年間、核保有国は核兵器の実戦配備を検討した。だが、この半世紀、そうした警告はイラクや北朝鮮など大量破壊兵器の使用をちらつかせた国に対してのみ発せられてきた。

だがプーチン氏は違う。侵略した側のロシア軍が勝つために核の脅威を利用しているからだ。

その効き目はあったようだ。確かに、NATOの対ウクライナ支援は予想以上に強力だが、航空機など「攻撃用」兵器の供与を躊躇(ちゅうちょ)している。

ウクライナに大量の武器を提供してきた米国のバイデン大統領は5月30日、ロシアに到達可能な長距離兵器は供与しないと表明した。他のNATO加盟国は、プーチン氏を敗北させれば窮地に追い込むことになり、悲惨な結末を招く恐れがあるため、ウクライナはロシアと和解すべきだと考えているようだ。

そうした論理は危険な前例をつくる。中国が台湾を攻撃した場合、台湾はすでに中国の領土だと主張して、同様の条件(編集注、介入する国は核使用による報復を受けること)を付ける可能性がある。そうなれば戦術核の備蓄を増やす国は増えるかもしれない。そうなれば、各国が軍縮に向けて努力すると誓った核拡散防止条約(NPT)に背くことになる。

プーチン氏が招いたダメージの修復は難しいだろう。21年に発効し、現在86カ国・地域が署名する核兵器禁止条約は、核兵器廃絶を求めている。ただ、各国間の協調的な軍縮が理にかなっているとしても、核保有国は自国が無防備になることを恐れている。

一方、綿密に検証を重ねた軍備管理は追求する価値がある。ロシアは警戒を怠らないかもしれないが、困窮している。核兵器には費用がかかるうえ、同国は通常戦力を再建する必要がある。

米国はロシアの軍縮と引き換えに、自国の安全保障を危険にさらすことなく地上発射型ミサイルを退役させることもできる。また、通常の紛争時は核の指揮統制機能や通信インフラを攻撃しないなど、双方が技術的措置で合意することも可能だ。最終的には中国を取り込むことを目指すべきだろう。

プーチン氏の核戦術が失敗すれば、そうした協議は容易になる。まずは同氏からウクライナを攻撃しないとの確約を得ることだろう。バイデン氏は5月31日、米紙への寄稿で、ロシアが核兵器を使おうとする兆候はみられないと記した。

ただ、中国やインド、イスラエル、トルコなどクレムリン(ロシア大統領府)に接触しやすい国々は、プーチン氏が核兵器を万一、実際に使用したらそれは断じて許されないが激しい怒りをもって本人に警告しなければならない。

 

ロシアはかつてないほど危険な存在に

ウクライナを核攻撃から守ることは不可欠だが、それだけでは不十分だ。世界はプーチン氏が14年のクリミア併合と同様、今回も侵略で力を増すことがないようにすることも必要だ。同氏が今回も戦術は奏功したと確信すれば、今後さらに核の脅威を振りかざすだろう。

NATOを威圧できると同氏が判断すれば、引き下がるよう説得するのはますます困難になる。他国はここから教訓を引き出すだろう。このためウクライナは、ロシア軍を撤退に追い込むために高度な兵器、経済支援、対ロ制裁を必要としている。

今回の侵攻を欧州における一過性の戦いにすぎないとみる国は、自国の安全保障をないがしろにしている。また、ウクライナはすでに戦力が劣化した敵との勝ち目のない戦いで身動きが取れなくならないよう、平和の名の下、即ロシアとの停戦に合意すべきだと主張する国は、これ以上ない間違いを犯している。

NATOには覚悟が足りないとプーチン氏が考えているなら、ロシアは危険な存在であり続けるだろう。そして核攻撃を示唆したことが、戦いに敗北することと、膠着状態に陥りながらも面目を保つこととの差を分けたのだと同氏が確信しているなら、ロシアはかつてないほど危険な存在となるであろう。