経済教室
日本企業、戦略不全からの脱出
「猿まね」批判を恐れるな
井上達彦・早稲田大学教授
いのうえ・たつひこ 68年生まれ。神戸大博士(経営学)。専門はビジネスモデル、競争戦略
ポイント
○ 日本企業の長期不振は模倣力喪失にあり
○ 「まね」の積み重ねから技術革新が生じる
○ 手本を理解して自分の世界で再創造せよ
日本企業が長期にわたって戦略不全の状態に陥り、イノベーション(技術革新)も起こらない袋小路に入り込みつつある。国際経営の権威である米オハイオ州立大学のオーデッド・シェンカー教授は「外から眺めると、今の日本企業は、虎と狼に挟み撃ちにあって身動きがとれないようだ」という。米国のような革新性、あるいは中国のような貪欲さが、今の日本企業にあるのかと問いかけている。
1989年、世界の頂点を極め、米国民に畏れさえも抱かせた日本企業の輝きは、すっかり色あせてしまった。自信も失っている。成長著しいアジアに位置する地の利すら、十分に生かせていない。
失速の原因はイノベーション創出力が衰えたからだ、というのが通説だろう。しかし、シェンカー教授と筆者は、その鍵はイミテーション実践力=模倣力の喪失にあると考えている。模倣しなくなったから、新しいものを生み出せない。日本人は世界的に見ても「創造的模倣」にたけた民族なのだから、その強みを自ら捨てる必要はない。◇ ◇
古今東西、偉大な会社のビジネスモデルは創造的模倣によって生み出されてきた。トヨタ自動車の生産システムの生みの親である大野耐一氏は、米国のスーパーマーケットの仕組みをジャスト・イン・タイム方式に応用して、日本発の製造業ビジネスモデルを築き上げた。
鈴木敏文氏は米国全土に展開するセブン―イレブンを見て直感し、日本にコンビニエンスストアの仕組みを導入した。35期連続で増収増益を果たしたニトリの創業者である似鳥昭雄氏は、米国のチェーンストアと日本の自動車メーカーから経営手法を学びとり、SPA(製造小売り)型のビジネスモデルを構築した。
似鳥氏は「発明は模倣の集積だ」と言い切る。アリババ集団、騰訊控股(テンセント)、小米(シャオミ)、北京字節跳動科技(バイトダンス)など中国で史上最速とも言える成長を成し遂げたプラットフォーマーたちも、大なり小なり模倣から生まれている。
イノベーションの象徴とされる米アップルも、既存の技術を結びつけるのが上手な企業、いわば模倣がうまい会社だといえる。創業者の一人であるスティーブ・ジョブズは「素晴らしいアイデアを盗むことに我々は恥を感じてこなかった」と明言していた。
いずれも業界を代表し、イノベーションの象徴とされる企業だが、異国、異業種、過去のものを巧みに模倣している。ビジネスモデルとしては独創的だが、ゼロから生まれたものではない。思いもよらぬ手本を見つけ出し、創造的に模倣することで生まれたのだ。
しかし一方で「猿まね」とやゆされるように、模倣は独自性から最もかけ離れた言葉のようにも感じられる。同じ模倣にも成功と失敗、「良い模倣」と「悪い模倣」とがある。
一橋大学の楠木建教授は「良い模倣が垂直的な動きであるのに対して、悪い模倣は水平的な横滑り」と看破する。創造的な模倣は原理を理解しているのに対して、上辺の模倣は表面だけを横滑りするわけだ。
目に見える現象だけを見て、それをコピーしても意味はない。にわかには見えてこない深層の部分をイメージし、再現しなければならない。そのためにはまず、手本になるビジネスを抽象化して理解し、自らの世界に落とし込んでいく必要がある。具体から抽象へ、抽象から具体への往復運動を繰り返すのだ。
どれだけの抽象化が望ましいかは、模倣の仕方にもよる。すなわち@単純にそのまま持ち込む「再生産」A状況に合わせて作り替える「変形」B新しい発想を得る「インスピレーション」――という3段階がある。後になるほど抽象化のレベルは上がり、汎用性が高まる。結果、往復運動の振幅の度合いが大きくなる。まず、遠い世界からそのまま持ち込んでイノベーションを引き起こす「再生産」を考えてみよう。企業は、特定の国や地域の業界において活動を行っている。よそから持ち込まれたものは、そこで存在していたとしても、持ち込まれた側にしてみれば新しい。
このような模倣者はパイオニア・インポーターと呼ばれる。すなわち、オリジナルとは別の市場における一番手として自らの地位を確立する企業である。米サウスウエスト航空のモデルをそのまま欧州で展開したのがアイルランドのライアンエアだ。ライアンエアのモデルをアジアで展開したマレーシアの旧エアアジア・グループなどもある。
次に、そのまま持ち込めない場合の「変形」を考えてみよう。もともとの世界と持ち込もうとする世界とが違う場合、自らの世界に合わせて適応させる必要がある。自分で作り込まなければならない要素は増えてしまうが、逆に、それが独自性をもたらす。
例えばセブン―イレブン・ジャパンは骨格の部分については米サウスランド・アイス社に倣ったが、日本で実現するために、物流システムと情報システムを、一から整備し直さなければならなかった。
カフェのドトール・日レスホールディングスは、フランスの「立ち飲みスタイル」を最終イメージとして模倣したが、日本では低価格でも収益の上がる仕組みを築かなければならなかった。このように、移植に伴う問題を創造的に解決することによって、新規性が生まれる。仮にビジネスモデルがパターン化されていれば、それをもとに作り込んでいけばよい。
最後が、新しい発想を得る「インスピレーション」である。このレベルでは意外なところからヒントを得るとか、まったく新しい発想を持ち込むということになる。その典型が先に述べた、トヨタがスーパーから生産システムのヒントを得たというケースであろう。
米グーグルの場合は、学術研究の引用数とウェブサイトのリンク数は同じだと考えて、検索エンジンを構築した。このレベルの模倣では、仮説検証を繰り返し、自分の世界で再発明していくことになるので、高度な観察力と経験が必要とされる。手本となる原理自体は見つけやすいが、それをビジネスとして具体化するのが難しい。
◇ ◇
見た目はなかなか模倣できないビジネスモデルであっても、調べてみると、それ自体は大なり小なり模倣によって生まれているものだ。模倣できない仕組みが模倣によって生まれるという、「模倣のパラドックス」である。
スタートアップ企業では、ビジネスモデルの模倣はイノベーションを生み出すための定番である。米エアビーアンドビーのビジネスモデルを応用した空きスペース仲介のスペースマーケット、中国で漫画業界のネットフリックスを目指した配信サービスの快看漫画。日本の企業も時代の転換期にあって、再び模倣イノベーションを実践すべきではないか。模倣こそ、ビジネスモデルの転換に向けた最初の一歩となる。
日本企業、戦略不全からの脱出
競争と探索、比重見極めよ
柴田友厚・学習院大学教授
しばた・ともあつ 59年生まれ。東京大博士(学術)。専門は技術経営論。東北大学名誉教授
ポイント
○ 新分野と主力事業の代替性を判断基準に
○ 企業内の非対称の力を管理する仕組みを
○ 外部の目を入れたオープン性を取り込め
企業が持続的に成長するには、既存事業の生産性を向上させて競争に勝ち、シェアの拡大を狙う競争戦略と、新たな領域を探索・開拓する探索戦略の両方が必要になる。難しいのは、両者を遂行する能力は根本的に異なるという点にある。
前者に求められるのは目標に向かって既存技術や製品を磨き上げる能力だが、後者に求められるものはどれが有望な技術領域なのかを探索し、見極めて用途を開発する能力であり、様々な試行錯誤と学習を伴う。前者は成果がすぐ出てくるが、後者は長い時間と継続的投資が必要であり、ある種の執拗さが要求される。
性質が違うこれら2つの活動を、企業内でいかにしてバランスよく遂行できるかが持続的成長のためには重要である。そのための一つのカギは、主力製品と探索製品の製品代替性に着目することだ。製品代替性とは、探索活動が生み出す成果が主力製品の需要や売り上げを代替する程度をいう。代替性が高い場合、探索から生まれる製品は主力製品の需要を減少させ、両者は共食いの関係になる。
例えばデジタルカメラの開発は、フィルムカメラ需要を大きく減少させ、両者は共食いの関係になっている。同様に、自動車産業で今後加速するEV(電気自動車)とガソリン車は製品代替性が高く、EVの台頭につれてガソリン車の需要は大きく減少する。
◇ ◇
製品代替性が高い場合、探索が成果を生むほど既存事業で蓄積した技術やノウハウ、そして人材の価値は毀損するため、探索部門と既存部門の間にあつれきと対立が生まれやすい。それをいかにして回避できるのかという点こそが、製品代替性が高い場合の経営の要諦と言ってよい。対立を回避するためには部門の組織的分離が有効だが、近年の仏自動車大手ルノーによるEV事業を分社化する動きは、その観点から理解することもできる。
他方、製品代替性が低い場合、探索の成果が主力製品の需要減少につながることはないので対立は生じにくい。むしろこの場合、両者を補完しあう適切な仕組みを構築できれば、相乗効果を生み出し価値を増大させられる。
例えば化粧品の開発は写真フィルムの需要を減少させることはなく、製品代替性は低い。富士フイルムは新たな化粧品事業の探索に際して、フィルム事業で蓄積したコラーゲン技術などを転用して成果につなげた。製品代替性が低い場合は、部門間の経営資源の共有を促進して、相乗効果を生み出せるのかが経営の要諦になる。
このように、製品代替性の程度に応じて解くべき経営課題が異なる。そして製品代替性の程度は静態的なものではなく、技術や競争環境の変化に応じて変わるために、その見極めには動態的な観点が必要だ。
さらに探索戦略の遂行に伴う大きな課題は、探索の誤検知をいかにして回避するかだ。ここでいう誤検知とは、探索途上の技術の真価を見抜くことができずに、誤って途中で中断・撤退してしまうことを指す。
誤検知は2つの要因の影響を受ける。一つは新しい領域の探索と用途開発は本来的に不確実性が高く、長期間の投資を要する作業だという、探索の作業特性に起因する問題だ。
例えば、米インテルの開発した世界初の演算処理装置が、パソコンの基幹部品としての役割を見いだすまでには約10年を要した。軽くて強靱(きょうじん)な性質を持つ炭素繊維に至っては、航空機の主翼や胴体に使われるまでに30年以上かかっている。探索領域の革新度合いが高ければ高いほど、技術と市場の不確実性は高まり、成果が出るまで長期の粘り強い投資を要する。その間の収益貢献はほとんど皆無なために、常に中断圧力にさらされるという自然な傾向を持つ。
この傾向にさらに拍車をかけるのが、探索に比べて既存事業の改良・改善ははるかに短期間で収益につながりやすいという企業内の非対称性である。目先の収益圧力に直面すると、企業内で働く非対称性の力は、探索事業から既存事業に経営資源を振り向けるように作用する。
例えば経営破綻した米コダックは、富士フイルムよりも早く1980年代中ごろから医薬品関連領域の探索を開始していたにもかかわらず、事業化につなげることができずに途中で撤退した(図参照)。
時間とコストがかかる医薬品の探索よりも、すぐに収益につながるフィルム事業へ資金を振り向ける力が働いたからである。富士フイルムは探索の開始はコダックよりも遅れたが、その後も粘り強く継続し、2000年代前半から急速に探索を加速させて事業化へ大きく舵(かじ)を切った。両社の違いは、探索する領域ではなく、企業内に働く非対称の力を管理する仕組みにあった。
誤検知を導くもう一つの要因は、企業の認知限界に起因する。企業単独の評価能力には限界があるため、探索技術の潜在価値を見抜くことができずに途中で放棄してしまうことが往々にして見受けられる。広く知られた例では、米ゼロックスのパロアルト研究所(PARC)が、コンピューターの操作性を各段に向上させるGUI(グラフィカル・ユーザー・インターフェース)技術を発明したにもかかわらず、真価を見抜くことができずに放棄した例が挙げられる。
真価を見抜いたアップルはゼロックスからGUIを導入し、それを世界で初めて実装したパソコン「マッキントッシュ」を84年に発売した。イノベーション(技術革新)の歴史はこのような事例に満ちあふれており、もちろん日本もその例外ではない。
最近の例では、建設機械大手コマツが躍進する原動力になった、遠隔監視システム「コムトラックス」もそれに近い。その真価を最初に見抜き、曲折を経た開発の続行を経営陣に促したのは外部の建機レンタル企業だったのである。レンタル事業を行っている企業は、貸し出した建機の遠隔監視ができる点に大きな価値を認めたのだが、当時のコマツにとっては想定外の用途だったはずだ。
◇ ◇
社内で事業や技術の真価を見抜くには、個人の能力ではなく、技術評価の組織的仕組みに目を向ける方が生産的だ。企業が探索途上にある新技術の事業性や市場性の可否を判断するために、顧客に最も近く顧客ニーズを熟知している事業部門の意見に耳を傾けるのは合理的な判断だ。
だが事業部門は、主力顧客が想定する用途の近傍領域のみを凝視してしまうという自然な傾向を持つ。その近視眼が、探索技術を違った文脈から眺めれば見抜けるかもしれない潜在価値に目を閉ざしてしまう。
従って企業の認知限界を超えるための方策は、内部で閉じられた評価プロセスではなく、広く外部の視線を取り入れる仕組みを構築することだろう。自らの知を外部の目に積極的にさらすオープン化の活用は、その一つの手段である。