時論・創論・複眼

 

知財・無形資産生かすには 識者に聞く

小堀秀毅氏/大津啓司氏/渡部俊也氏/波多野紅美氏

 

2021年6月に改訂されたコーポレートガバナンス・コード(企業統治指針)は知的財産への投資を取締役会が監督し、開示すべきだとした。主要上場会社を比較すると、米国企業は企業価値に占める無形資産が9割に達するのに対し、日本企業は3割にとどまる。知財・無形資産を生かすカギを経営者らに聞く。

 

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経営判断の重要なツール 

旭化成会長 小堀秀毅氏

こぼり・ひでき 1978年旭化成工業(現旭化成)入社。2014年代表取締役専務執行役員、16年社長。22年4月代表取締役会長に

日本企業は知財・無形資産を生かし切れていない。「ジャパン・アズ・ナンバーワン」と言われたのは工業化社会の時代で、モノづくりの成功体験を引きずり、情報化社会で出遅れた。データを駆使する価値創造社会の今、知財・無形資産の活用は欠かせない。

私が知財に目覚めたのは、旭化成の社長に就任した翌年の2017年。7月に日本経済新聞で「知財分析を経営に生かすIPランドスケープに注目」という記事を読み、IPランドスケープとは何かを知財部門に問い合わせた。

M&A(合併・買収)や提携の際、自社や他社の特許情報などを俯瞰(ふかん)して分析すると、先方との相性の見極めや競合との比較などに非常に有効だという。知財は事業を守るだけでなく、経営判断を助ける重要なツールだと分かり、活用を始めた。

社内では、知財分析の意義を強調している。先日も次世代リーダーが10年後の旭化成のビジネスモデルを考案・発表するイベントがあり、私から各発表者に「きちんと(事業の成否を)知財分析で確認するように」などと注文をつけた。

先日の取締役会でも、会社として知財・無形資産を活用できているのか、フォローするように話した。執行サイドの裁量を広げるため、取締役会の決裁金額を引き上げる。一方、取締役会はリスク管理や知財・無形資産の価値向上といったテーマをより多く取り上げ、監督機能を高めていく。

改訂指針を受けた施策として、特許の出願などを担当する従来の知財部とは別に、知財分析と、分析結果に基づく経営戦略への迅速な支援を専門とする「知財インテリジェンス室」を4月1日付で設け、経営企画担当役員に直属させた。

価値創造社会では、データやルールづくりなどを組み合わせないと新たな価値は生み出せない。日本企業は経営陣に「価値創造チーフオフィサー(担当役員)」を設けるべきだ。事業戦略、研究開発、デジタルトランスフォーメーション(DX)などを束ね、ビジネスモデルを創造する。そんな役員が知財・無形資産を使いこなすはずだ。

 

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技術もブランドもアピール 

ホンダ執行役常務 大津啓司氏

おおつ・けいじ 1983年本田技術研究所入社。エンジン開発を担当。2021年4月社長、ホンダ常務執行役員。同年6月から現職

改訂指針は、知財・無形資産の活用の大きなきっかけになると期待している。指針は上場会社に知財への投資の状況を分かりやすく開示するように指示している。ホンダも今年、知財に効果的に投資していることを、何らかの形でアピールする予定だ。

世界の自動車産業の市場規模は完成車メーカーだけで250兆円。研究開発費も15.5兆円に達する。ホンダも今年4月、10年間で8兆円の投資をすると公表した。これだけのカネを投じながら、知財・無形資産を生かせていないなどと言われないよう、経営者は(外部への開示を)意識しなければいけない。

知財の中で開示しやすいのは特許だ。今、自動車産業は100年に1度と言われる技術の変動期にある。電気自動車(EV)、燃料電池、リソースサーキュレーション(資源循環)などに取り組んでいる。技術が変わる時には必ず発明が生まれる。今はむしろチャンスだと思っている。新技術に投資し、しっかり特許を取得していることを示す。

ただ、研究開発費や特許の開示だけではまったく足りない。無形資産というのはブランド、デザイン、データ、企業風土や信頼など、良い商品を生み出せる「企業の競争力そのもの」だ。その無形資産の価値をどうやって上げていくのか。それをどう表現・開示したらよいのか。当社を含めた日本企業には大きな課題だ。

ホンダも含め、日本企業は開発や目の前の仕事をすることを優先し、企業ブランドを磨くことを二の次にしてきた面がある。ブランドの世界的ランキングでも日本企業は総じて低い。消費者の頭の中でホンダのブランドが輝いていなければ、決してホンダの商品が選ばれることはない。

ソニーグループとの提携は新たな価値を創る好機だ。ソニーと作るEVは今までと違うものにしなければ意味がない。ソニーはソフトウエア領域で圧倒的に強いし、我々はクルマづくりそのものに強みをもつ。今までと違うものを作れば必ず新しい技術が生まれ、新しい資産になる。それが両社に還元され、両社の価値を高めていくはずだ。

 

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社外に切り出し事業化も 

東京大学未来ビジョン研究センター教授 渡部俊也氏

わたなべ・としや 1994年東京工業大博士課程修了。民間企業を経て2012年より現職。内閣府知的財産戦略本部構想委員会座長

日本企業が知的財産の保護に本気で関心を持ち始めたのは1990年代後半からだ。米国企業から米国知財へのただ乗りだと批判された時代から、逆に中国や韓国企業に技術開発で追われ日本の知財が侵害される立場に転じた。2002年に日本政府が掲げた「知財立国」政策は、当時の日本企業のニーズと整合した。

だが次第に、保護中心の知財戦略では太刀打ちできなくなった。日本企業は家電などモノ作りの市場では稼げなくなっていたのに、新市場への投資を怠り既存事業の効率化に終始した。結果、IT(情報技術)関連の新事業を創出する米中と水をあけられた。

知財を事業に生かすには、受け皿となる器が必要だ。だがその新しい器づくりに日本は失敗した。

米スタンフォード大の学生だったセルゲイ・ブリン氏は、日立製作所の米国法人でのインターンの一環で病院の電子カルテ検索システムを開発し特許を出願した。だが日立は事業化せず、ブリン氏は同種の検索技術をもとに米グーグルを起業した。日立は大きな事業機会だけでなく株主になる機会も逸したといわれる。

大企業が自らリスクをとって新技術に投資し事業化できれば理想だが、できなければスピンアウトして新しい器をつくるのもよい。例えば、米IBMが96年に買収したチボリ・システムズは、自社内で挑戦できないソフトウエア開発をするために社員が独立し立ち上げた会社だ。

通信インフラに強いフィンランドのノキアは製紙会社から出発し、携帯端末事業で立ちゆかなくなった後も、買収とスピンアウトを繰り返し社員や技術を刷新した。切り離した事業については、まず社内のノウハウを提供し、軌道に乗るのを見定めてから特許をライセンスした。

企業は環境変化に対応した事業戦略を立て、投資家に説明し資金を調達する必要がある。特許などの知財はその戦略を確実に実行しているという「証拠」だ。知財戦略とは本来、事業の方向性と密接に結びついた経営戦略だということを、再認識すべきだ。

 

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開示で投資家の評価仰ぐ

 SBI証券チーフクオンツアナリスト 波多野紅美氏

はたの・あけみ 自動車メーカーなどを経て、2010年MSCI入社。三菱UFJモルガン・スタンレー証券などを経て19年から現職

投資家やアナリストにとって企業が知財・無形資産を開示する意義は、企業を評価する新たな価値認識が始まることだ。ESG(環境・社会・企業統治)など様々な非財務情報に注目が集まっている。中でも知財・無形資産の情報には、割安急反発候補(お宝銘柄)を発掘できる利点がある。

企業の研究開発費は損益計算上は費用として計上され、財務諸表には反映されない。しかし良い研究には資金が回ることが大事だ。私が独自に知財情報を入手し、昨年8月に公表したリポートでも、研究開発から得られた付加価値を研究開発費で除した「研究開発効率」の高い企業は、翌5年間の利益率が上昇する傾向を確認した。

公開情報が少ない中小型株の取引を増やす際などに特に役立つ。特許の質に注目してみると、例えば冷菓「あずきバー」の製法に関する特許を出願済みの井村屋グループは成長を期待できる。日本食は海外でも人気だが、あずきバーを特許製法上、作れるのは井村屋だけだからだ。

現時点で知財・無形資産の開示には、財務におけるROE(自己資本利益率)のような指標がない。ROEやROIC(投下資本利益率)のように企業を横並びで比較できる指標ができれば、投資家側でも知財・無形資産の情報活用が一気に広がる可能性がある。望ましいのは単純明快で、数値で比較できる指標だ。

横並びで比較できる指標が確立された上で、各業種や企業の事情も個別の開示で把握できるようになれば、投資家は変化余地の高い株の特定が可能になる。一方、定性的で個別に考慮しなければならない知財・無形資産の情報だけを開示されても評価は難しく、投資家は敬遠するだろう。

(2014年に経済産業省がまとめた報告書で日本企業に達成を求めた)「ROE8%以上」のような数字の登場も大事だ。数字の達成が企業の目標となり、投資家にも投資のベンチマークとされれば、知財・無形資産の開示指標は確実に普及する。その指標を考慮に入れた株価指数などが誕生すれば、注目度は一気に上がるだろう。

 

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〈アンカー〉経営者は覚醒を「価値創造」担え

日本は「特許大国」と言われたこともあるが、約30年間イノベーションから遠ざかっている。2002年に「知的財産立国」を掲げながら、米国や中国と比べて知財の活用が不十分だった。大きな原因は、経営者が知財・無形資産に無関心だったことにある。

旭化成の小堀氏、ホンダの大津氏の問題意識は目を引くが、日本企業では例外中の例外といえる。改訂指針では知財の活用を取締役会が監督すべきだとされたが、現在も知財部門に丸投げし、我関せずと構える経営者は少なくないと思われる。

価値創造社会ではそんな姿勢は通用しない。日本の経営者は「価値創造チーフオフィサー」として覚醒し、知財・無形資産を駆使して新たなビジネスモデルを生み、それを投資家にアピールする「正の連鎖」を作らねばならない。

 

 

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