グローバルオピニオン

 

後戻りできないロシアと世界

 

 イアン・ブレマー氏  米ユーラシア・グループ社長

Ian Bremmer 世界の政治リスク分析に定評。著書に「スーパーパワー――Gゼロ時代のアメリカの選択」など。52歳。

 

ロシアのウクライナ侵攻は多くの人を不確実な状況に陥れたが、一つだけ確かなことがある。ロシアと西側諸国はいまや戦争状態にあるという点だ。欧米の当局者は、北大西洋条約機構(NATO)とロシアの戦闘機が直接衝突する事態は避けたいと言い続けている。しかしいままでで最も厳しい経済制裁を科し、殺傷能力の高い武器をウクライナに供与し、ロシアを孤立させようとする欧米の取り組みは宣戦布告に等しい。

世界はいままさに転換点にある。NATOとロシア軍が直接の武力衝突を避けられたとしても、プーチン大統領の譲歩という、いまや想像しがたい事態が起きない限りロシアと西側は「新冷戦」に直面する。

だが、こうした対立は多くの点で20世紀の冷戦ほど危険ではないだろう。ロシアの国内総生産(GDP)は米ニューヨーク州よりも小さく、低迷するロシア経済は制裁により今後1年間で10%以上縮小する可能性が高い。かつロシアの金融システムは崩壊の危機にひんしている。

かつてソ連と東欧の衛星国の経済システムは西側と切り離されていたため、西側の経済的圧力の影響は(経済圏には)及びにくかった。いまや欧州は米国と結束し、足並みをそろえているのに対し、旧ソ連圏はプーチン氏の引力に逆らおうと抵抗もしている。

ソ連には、世界の民衆や政治家を引き付けるイデオロギーの魅力もあった。いまのロシアには特にイデオロギーはなく、政治的価値観を共有する同盟国にも乏しい。国連総会が2日に採択したロシアへの非難決議で、ロシアとともに反対票を投じたのはベラルーシと北朝鮮、シリア、エリトリアにとどまった。キューバですらプーチン氏の軍事行動を支持せず、棄権に回った。

ロシアとの関係強化が懸念されている中国はどうか。ロシアに理想的な選択肢があるとはいえない。中ロは米国の国際的な影響力をそぎ、欧州の強硬姿勢を抑えるという点では同じ考えを持つ。だが、中ロ関係ではロシアの立場が弱い。ロシアの10倍の経済規模である中国は、ロシアが西側に売れなくなった石油・ガス、鉱物などを買い、ロシア経済を支えるとみられる。一方で中国は、資源を買いたたこうともするだろう。

中国の将来は経済成長できるかどうかにかかっており、欧米とつながり続けられるかがポイントになる。中国政府はロシアのウクライナ侵攻を非難しないだろうが、西側の制裁にある程度は従う可能性が高い。

1980年代に中距離核戦力(INF)廃棄条約が発効するなど、欧米とソ連の首脳はアジアやアフリカ、中南米の紛争がエスカレートし、欧州に壊滅的な打撃が及ぶのを防ぐ壁を設置できていた。西側とロシアが新たな外交基盤と信頼回復を築くには、長い年月がかかるだろう。

当事国と世界経済にとってはるかに危険な点もある。新冷戦下の武器はさらに強力になっている。両陣営の本当のサイバー能力はわからないが、いずれも金融システムや送電線など社会インフラを標的にし、壊滅的打撃を与えられるとみられる。サイバー兵器は20世紀後半の重火器よりもコストが低く、計画が容易で広範囲に使えるだろう。例えば、4月のフランス大統領選は新たな戦略を試すチャンスになる。11月の米中間選挙なども同様だ。

ロシアは、ウクライナをプーチン氏の支配下に置くために攻撃を続けるだろう。だがロシア軍が全土を制圧したとしても、ウクライナ国民は戦いを止めず、西側の首脳はウクライナを支援し続けるだろう。史上最も厳しい制裁はさらに強化されることになる。新冷戦への道はもはや後戻りできない。

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経済の持久戦に

世界の相互依存関係の深化が主要国の衝突を抑止するという期待に、歴史は何度となく冷水を浴びせてきた。ロシアのウクライナ侵攻で浮き彫りになったのも、グローバリゼーションの盾を貫くナショナリズムの威力だろう。

さりとて米国や欧州などが武力に訴え、ロシアとじかに戦火を交える事態は想像しにくい。厳しい制裁を科し続け、プーチン氏に譲歩を迫るほかはあるまい。ブレマー氏がいう「新冷戦」の主戦場は経済であり、どちらが先に消耗するかの持久戦でもある。

原油の禁輸や国際的な資金決済網からの排除で、ロシアが受ける打撃は大きい。同時に日米欧もエネルギーの調達難や資源・食料高といった返り血を浴びる。それでも経済の持久戦に負けるわけにはいかない。ここで屈するようでは、既存の国際秩序に挑む中国や北朝鮮の抑止も難しくなる。

日米欧などの民主主義国家は景気と物価の安定に万全を期し、制裁で被る痛みを和らげながら、ロシアと対峙するしかない。権威主義国家の暴挙を封じる手本を示すときだ。

 

 

多様な観点からニュースを考える

吉田徹

同志社大学政策学部 教授

分析・考察ブレマー氏が指摘する通り、「新冷戦」といってもそれは人々をイデオロギー的に分断したかつてのものとは大きく異なる。冷戦的思考がいかに人々の日常生活を規定していたのかは増田肇『人びとのなかの冷戦』などを読むと理解できるだろう。現在生じているのは、米覇権衰退に伴う、むしろ19世紀的なパワーゲームだ。国政政治学に「存在論的安全保障」という考え方があるが、これは国家アイデンティティと安保が同一であるとみなすものだが、ことロシアでいえば、バルト海、黒海、北東アジアという外洋への足掛かりを失うことが安全保障を最も危うくする。クリミア戦争、日露戦争はこれを背景に起きたことを想起すべきだろう。

 

 

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