スポーツの流儀

 

最強の「チームなおみ」(1)

 

大坂なおみ、熱いエージェントとの出会いが飛躍の原点

 

大坂なおみを支える人々は早くからその才能に大きな可能性を感じていた=共同

テニスの大坂なおみ(24)の試合では大抵、おなじみのメンバーが家族席に座っている。エージェント、コーチ、フィジカルコーチにトレーナー……。ここ2年弱、メンバーは不動だ。

「テニスはもうチームスポーツになったんだ。正しいチームがなければ四大大会は勝てない」。2019年末から大坂のコーチを務めるウィム・フィセッテはいう。今年1月の全豪オープンで21度目の四大大会優勝を飾ったラファエル・ナダル(スペイン)のキャリアも、同郷メンバーで固めた「ナダル軍団」抜きには語れない。

12歳で見いだされたマリア・シャラポワ(ロシア)、エージェントと独立・起業したロジャー・フェデラー(スイス)……。キャリアもビジネスも切り開いた選手には長年、二人三脚で歩んできたといえるエージェントがいる。「チームなおみ」もマネジメント会社IMGのシニア・バイスプレジデント、スチュアート・デュギッドとの出会いから始まった。

絶対にスーパースターになる――。16年1月、デュギッドがオーストラリアで初めて大坂を見た時の印象だ。この年の全豪が大坂の四大大会デビューで、予選から勝ち上がって3回戦まで進出した。「王者になるだろう人。出会って間もないタイミングでなおみにも伝えた」と振り返る。

当時の大坂の世界ランキングは3桁だ。女子では若い選手やランクの低い選手がポッと活躍するのは珍しくない。ただ、続くかどうかは未知数だ。大坂の才能は多くの元プロも認めていたとはいえ、当時大坂が契約していた大手マネジメント会社もまだ、それほど熱心には奔走していなかった。現場では父親がコーチ兼マネジャーといった状態だった。

そんな大坂に対するデュギッドの熱意はIMG内でも話題になるほど。妻と一緒に、大坂の好きな米プロバスケットボールを観戦するなどして信頼をつかみ、16年秋にはエージェントとなった。

2019年の東レ・パンパシフィック・オープンで優勝した大坂(前列)。母(後列右から2人目)、父(同3人目)、エージェントのデュギッド氏(同5人目)らと記念撮影=ゲッティ

ナダルやシャラポワのエージェントは元選手だが、デュギッドの前職はロンドンの大手法律事務所の弁護士だ。「すぐに弁護士は向いていないと悟った」と、スポーツ&エンターテインメント法の修士号を米国で取得。子どもの頃のテニスコーチだった、元男子世界1位アンディ・マリー(英国)の母親・ジュディのツテでテニス界に入った。

人気者のニック・キリオス(オーストラリア)のほか、ベリンダ・ベンチッチ(スイス)、リシャール・ガスケ(フランス)、アグニエシュカ・ラドワンスカ(ポーランド)といったトップ10選手を担当して経験を積み、現在は大坂に専念している。

いかにチームといい契約をするかがサッカー、野球などのチームスポーツでは重要だ。エージェントの仕事も主にチームとの交渉になる。「個人競技の選手の担当はチームスポーツ選手のエージェントの仕事と根本的に違う。通常、チームがやってくれることをすべてこなさなければいけない。互いを理解し、必然的に密度の濃い関係を築くことになる」とデュギッドは言う。

強いプロチームは、強化などフィールド上に関することを担う部門と、その資金を稼ぐビジネス部門の両輪で運営される。テニス選手はそれぞれが「一つのチーム」であり、その両輪を回すのがエージェント。お金回りだけでなく、コーチの採用・解雇、どの大会に出るのかというスケジュール管理までかかわる。

毎年変わるドーピングルールを確認し、記者会見で聞かれそうな時事問題を伝えるのも役目だ。20年夏、大坂に「人種差別反対の意思表示をするために、試合を棄権したい」と相談されると、女子テニス協会(WTA)にかけあい、1日の全試合をキャンセルする決定につながった。

デュギッドは「なおみを常にトップ10の選手として扱ってきた。近い将来そうなると分かっていたから」。大坂以上に大坂の可能性を信じていたかもしれない。

デュギッド氏(後方)は大坂を初めて見た時に「絶対にスーパースターになる」と思ったという

読みは当たり、16年には全米、全仏でも3回戦に進出し、東レ・パンパシフィック・オープン(東京)で準優勝、世界トップ50位に入り、WTAの「Newcomer of the year(最優秀新人賞)」の受賞で締めくくった。そのオフ、日本テニス協会と契約していたオーストラリア人コーチと専属契約。日清食品との所属契約も発表された。

コーチとスポンサー、チームの両輪のベースは整った。これからはどんどん勝ち、さらに大企業と契約し、非営利活動にもいそしんでいく――。そのようにスーパースターの歩みをたどるのかと思ったら、そんな典型的な枠に収まる器ではなかった。

「人がしたことがないと聞くとやりたくなる」という大坂は18年に四大大会優勝とトップ10入りを達成すると、未踏の道を歩み始める。トップアスリートであるだけでなく、事業家、投資家であり、気になる社会問題には声を上げる――。「チャンピオンからアイコンになった。これからどうするのか面白い」。シャラポワのエージェントだったマックス・アイゼンバドらも興味深く見ている。=敬称略

 

 


スポーツの流儀

 

最強の「チームなおみ」(2)

 

大坂なおみ育む程よい空気感 分析にケア、スタッフ充実

 

 

2021年の全豪オープン優勝後に「チームなおみ」で記念撮影。右からフィセッテ氏、茂木氏、大坂、中村氏=ロイター

監督の解雇・就任が野球やサッカーのオフシーズンの話題になるように、テニスもコーチの変更は頻繁にある。コーチは選手を導くのでなく、結果を追求する対等なパートナーだ。大坂なおみはツアーを本格的に回り始めた2016年以降、デービッド・テイラー、サーシャ・バイン、ジャーメーン・ジェンキンスと経て、19年オフからベルギー出身のウィム・フィセッテについている。

フィセッテは09年、四大大会4勝のキム・クライシュテルス(ベルギー)のコーチとしてキャリアを始め、同3勝のアンゲリク・ケルバー(ドイツ)、同2勝のビクトリア・アザレンカ(ベラルーシ)らのコーチを務めた。「彼女たちは特別な人たち≠セ。彼女たちが様々な状況にどう対応するのか、そばで見てきた。これは大きなアドバンテージ」という。

いいチームの鍵は「よりいい選手にするための豊富な知識があること。いいエネルギー、雰囲気に満ちていること。ブレスレットに似ていて、一つのピースでも不具合があると崩れてしまう」。

「チームなおみ」のテニス部門は多くの選手同様、コーチのほか、ケア、フィジカルをそれぞれ担当する専属トレーナーがいる。茂木奈津子は18年から、中断も挟みながら体のケアにあたってきた。20年初夏に長年マリア・シャラポワ(ロシア)の専属だったフィジカルトレーナーの中村豊が加わった。「セリーナ(・ウィリアムズ、米国)やマリア、なおみは普通のトップとは違う超一流。ある意味、世界を動かせる存在。マリアとの経験は僕を支えている」という中村の加入で、カチリとはまった。

フィセッテ氏(右)は2019年オフから大坂のコーチを務めている=ロイター

「日本に触れていたい。日本語で話したい」という大坂の思いもくみ取れる。4人とも時間に正確で、スケジュールはほぼ決めた通りに進む。役割分担は自然とできていて、「コミュニケーションが多いチームじゃないかと思う」と茂木。

既に実績がある選手を担当するとき、フィセッテは最初、観察に専念。大坂については技術、身体能力、メンタル面でまだまだ未開の部分が多いとわかった。

女子テニス協会(WTA)公式パートナーの独ソフトウエア会社SAPは試合データを提供している。フィセッテは他のコーチにデータ活用の講義をするほどの分析の達人。「一番使うのはなおみのデータ。時間は限られている。ターゲットを絞った練習をするためだ」

大坂が四大大会を勝ったとき、セカンドサーブのポイント獲得率は50〜53%くらい。それを下回ったら何が問題だったのか? 打ったコースにバラエティーがなかったか? リターンにうまく反応できなかったか? 原因を分析しメニューを組み、次の試合の数字を見て確認する。試合後は体の感覚も聞き、次の3〜4週間の計画を立てる。

「これができないということがあまりない」。中村の印象だ。動きの柔らかさなど未発達の部分もあるが、パワーの出力が高く、ボールをたたける上、球感(ボールに対する感覚)も、身長180センチながら敏しょう性もある。「関節、筋力の強さ、根本的なものの質が本当に高い」。ラグビーやバスケットボールの適性も高いと感じ、「800メートル走もけっこういけるかも」(茂木)という万能さだ。

中村についてから見た目が明らかに変わったし、「触っていると、筋量は確実に増え、質も変わっているのが分かる。これ以上の無理はまずい、という(体内)アラートがあるから大けがに至らない」と茂木。体力もあり、1時間くらいの試合では「体を触っても状態が悪くない」。4人がフィードバックし合いながらトレーニング期間は追いこみ、試合になると練習は「楽しむ」に徹する。

中村氏(右)とトレーニングする大坂。筋量は確実に増え、質も変わってきているという=ロイター

試合直前は自分に集中し人を寄せ付けない選手も多いが、大坂はリラックスして、チームのメンバーと話す。フィセッテは前日に分析した対戦相手の情報、戦術を伝えはするが、別のことにより気を配る。「心構えが大事。コート上で何が起きるか。ワクワクする気持ちと同時に、(過去に負けた相手なら)恐怖も出るかもしれない。起こりうる問題に対する答えを伝え、気持ちを整えて送り出す」

チームのピースがうまくつながり、20年全米、21年全豪と続けて結果が出た。2年余りの間に四大大会計4勝。10年以降、四大大会で4勝以上した女子はセリーナと大坂だけ。ただ、若い選手が急に成功すると「無敵のように感じ、期待を高く設定しがち。勝ちにこだわると事態は悪くなる」(フィセッテ)ことが起こりがちだ。

女子は男子以上に競争が激しい。特に四大大会は男子のように5セットマッチでないから、じっくり様子を見て戦う余裕はなく、トップ選手でも不覚をとることが頻繁に起きる。昨年の大坂は悪い思考回路に入り込んでしまい、なかなかチームが機能できなかった。が、こうした事態もスポーツの一部だ。

22歳でテニス殿堂入りの資格(四大大会3勝+世界ランク1位13週以上)も満たしたとはいえ、大坂はまだ24歳だ。現在のチームの形になって約2年、「チームのケミストリーはこれまでで一番」(フィセッテ)。本格的な上昇カーブはこれからだ。=敬称略

 

 


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最強の「チームなおみ」(3)

 

大坂なおみ、女性スポーツの時代けん引 ビジネスにも力

 

 

2020年の全米オープンで、同年に警官から暴行を受け死亡したジョージ・フロイドさんの名前が入ったマスクを着けてインタビューに応じる大坂=ゲッティ共同

史上最も稼いだ女性アスリート――。こう呼ばれることがプレッシャーを増やしたと大坂なおみ本人は告白する。本職以外の活動に熱心なアスリートに対し、批判的な声は少なからずある。それで進路変更する柔さは大坂にはない。「テニスとは違う形でクリエーティブで知的な挑戦もできる何かがあると、ほっとする。試合で負けても気持ちを高くもてる」と断言する。それこそ「強み」でもある。

コーチのウィム・フィセッテらもその姿勢を支持する。アスリートは「ロールモデル」といわれて久しい。「ロールモデルが若い世代に影響を与えるようなことをしなかったらどうなる? なおみはいつもアクティブでいたいタイプ」。時間管理がうまく、オンとオフがはっきりしている大坂にはプラスの方が多いという。

大坂はスポットライトを浴びるべく出てきた選手だ。エージェントのスチュアート・デュギッドいわく「市場価値が高くなるもの」をいくつも備えている。「テニス選手としての実力」「控えめだけれど、自分が信じるもののために声をあげるユニークさ」「母の母国であり、生まれた国・日本、父の出身地であるカリブ海地域、育った国・米国。リアルに地域を股にかける真のグローバルアイコン」――。多面性が各界をひき付ける。

世界トップ50位以内に入りブレークした2016年、子ども時代からのヨネックスに加え、日清食品がすぐにスポンサーについた。18年にツアー初優勝、四大大会優勝と続くと、シチズン、日産自動車、資生堂など日本の大企業がつき、今やマスターカード、ナイキ、パナソニックも。パートナー(スポンサー)は皆が知るような会社ばかりで、十指でも足りない。

知名度を生かし子ども向けのテニス教室をしたり、財団をつくって社会貢献活動にいそしんだりというのが従来のスーパースターだった。が、現在トッププロアスリートの稼ぐ力が驚異的に伸びた。ウィンブルドン選手権の女子の優勝賞金は01年の46万2500ポンドから19年の235万ポンドと5倍に。サッカーのクリスティアーノ・ロナルド(ポルトガル)、テニスならロジャー・フェデラー(スイス)、バスケットボールのレブロン・ジェームズ(米国)ら本格的にビジネスを展開するアスリートも出てきた。

大坂が最も興味があるのはファッションだろう。ナイキ、リーバイス、ルイ・ヴィトン、オンラインゲームの「フォートナイト」とのコラボレーションなど、アート系の仕事は姉・まりと共にする。ビーナスとセリーナのウィリアムズ姉妹(米国)もそれぞれデザインの仕事をしているように、大坂姉妹も互いの興味をビジネスにつなげる。

姉が衣装をデザインしたキャラクターでゲーム「フォートナイト」にも登場(本人のインスタグラムから)

「全ては大きな戦略の下に決めている。若い選手は目先の利益に飛びつきがちだが、長い目で見たなおみブランド≠フ構築、資産を考えている」とデュギッド。ビジネス展開をするとき、大坂は必ず問いかける。

「なぜ、自分がそれをするのか?」

価値観を共有し、かつ違いを生み出せるパートナーでなければ意味がない。大坂にとって「authentic(本物)」であり、実際に使う商品で、一緒に働く人たちの質も鍵になる。規模は小さくても「深く、意義ある関係を築くこと」がポイントだ。

現在までに投資したスポーツ飲料メーカー、地場食材を生かした飲食店チェーン、マッサージ器メーカーはいずれも創業から20年たっておらず、「健康」を核に据える。21年秋に立ち上げたスキンケアブランド「KINLO」は、日本語とハイチ語で「ゴールド」を意味する言葉を合わせて名付けた。黒人や褐色肌の人向けのスキンケアだ。

ニューヨークの風物詩の一つ、メトロポリタン美術館のファッションの祭典「メットガラ」に、姉がデザイン案を出しルイ・ヴィトンが作成したドレスを着て登場した大坂(右)。左はボーイフレンドのラッパー、コーデー=AP

「活動家」という意識はない。理不尽なことへの発言は自然と口から出てくる。大きなプラットフォームを持つ以上、「正しい行動をとり、社会にポジティブな影響を与えたい」と大坂は繰り返す。

「BLM(黒人の命も大事だ)」への積極的な行動を見せ、テニスの彭帥(中国)が性的被害を訴えた問題でも声をあげ、メンタルヘルスの問題を話すのも、すべては自分の本能に従っているだけ。どう見られるか? という計算はない。こうした姿勢が、大坂の価値をより高めている。ただ、日本では少し事情が違う。

「日本市場はかじ取りが難しい。なおみは進歩的で日本のファン層はとても若い。若い世代は変化しているけれど、日本のビジネス界は非常に伝統的で変化や進化を怖がる」とデュギッド。いくつかの日本企業は既にスポンサーではない。

世界のスポーツは動いていて、デュギッドは「これからは女性スポーツの時代」と断言する。大坂がNWSL(米女子プロサッカーリーグ)のチームに出資した理由の一つだ。条件があえば日本のWEリーグへの投資も視野にいれる。

女子が男子並みに稼げるプロスポーツはテニスくらいだったが、今は女子ゴルフの賞金も上がり、プロバスケットボール(WNBA)、NWSLも有力な選択肢に入ってきた。「まだ過小評価されているけれど、スポーツ界の次のフロンティアは女性」。パイオニアの一人として、大坂はけん引し続ける。=敬称略

 

 


スポーツの流儀

 

最強の「チームなおみ」(4)

 

大坂なおみ、孤独癒やす家族の力 重圧乗り越え再出発

 

姉まり(右)と日本での旅行中の一コマ。大坂は「まりがいなかったら、今の私はない」と語る=本人提供

2022年米アカデミー賞作品賞にノミネートされた「King Richard(邦題=ドリームプラン)」。全米屈指の治安の悪い地域から、独学でテニスを学び、ビーナスとセリーナのウィリアムズ姉妹を導いた父・リチャードと母、2人を含む5人姉妹の物語だ。

「姉妹という以外、彼女たちとの共通点は分からない」。大坂なおみ(24)の姉・まり(25)は言うものの、ウィリアムズ姉妹のような唯一無二の絆は認める。「コートに一人で立つテニスは孤独。自分の味方になってくれる人がいると知っているだけですごく助かる。妹とは互いに助け合ってきた」。大坂も「まりがいなかったら、今の私はない」と言い切る。

大坂姉妹の父・フランソワは1999年、ウィリアムズ姉妹の全仏オープンのダブルス優勝に運命を感じた。テニス経験のないフランソワは公営コートでひたすら姉妹を鍛えた。有名なアカデミーにも入れず、エージェントやスポンサーの目にとまりやすく、自分のレベルも把握できるジュニア大会にもほぼ出なかった。ちやほやされて道を誤る選手もいるからだ。すべて、リチャードの教えだ。

「私たちはうまくやれたけど……」と、セリーナですら積極的にすすめない、いばらの道。ウィリアムズ姉妹の母のように、大坂の母も複数の仕事を掛け持ちした。米国ではなかなか支援を得られず、日本のヨネックスの社長に直接、手紙を書いて支援してもらったり、日本テニス協会のコーチに直談判し、サポートをとりつけたりもした。

基本、ホームスクールでテニス漬けの日々。まりは「両親、妹、私の4人しか(仲間が)いないから、必然的に絆は強くなる。テニスのスキルを磨くという点ではよかったけど、社会的には不器用な人間だったかもしれない。ある状況にどう入っていけばいいのか? こういうことは(ツアーを回りながら)学ばなければいけなかった」と振り返る。

2022年のマイアミ・オープンには愛犬も参戦=B立派な「チームなおみ」の一員だ(大坂のインスタグラムから)

自分の選択を貫く自立心が育まれた一方、「自分の内で解決しようとしがち。友達が多くなかったから、まず人に打ち明けようと思わない」と大坂はこぼす。2016年にトップ100を切るようになると、専任コーチやトレーナーをつけ始めたものの、「初めて会ったときはあいさつしてもニコッと笑顔にもならないくらい。表情もそんなに出さなかった」。18年からトレーナーを務める茂木奈津子は振り返る。

「チームなおみ」の原型ができて2年ほどたち、18年全米で頂点に立った。はた目にはユーモアは損なわれていなかったが、大坂は結果にとらわれ、重荷に感じるようになっていた。本人から打ち明けられたとき、まりはショックだった。「落ち込むことがあるという事実でなく、そのことに私が気づかなかったことに! どれだけ妹は分厚い壁を(周囲に)つくっていたんだろうって」。ついに21年、プレッシャーは壁の強度を超えた。

専属のセラピストやスポーツ心理学者をツアーに帯同する選手もいるが、大坂が21年全仏を棄権したあと向かったのは家族の元だ。いつも母は話を聞いてくれたし、父は下手に勝つより、負けて「学ぶ機会を得られてよかった」が口癖だ。21年に現役を引退したまりは戦友≠ナもある。

「なおみにとってチームは、助けてほしいところで助けてくれ、自分をさらけ出せる人だと思う」とまり。あうんの呼吸で理解してくれるとはいっても、家族だけで大坂ほどのスターを支えるのは難しい。「チームなおみ」を機能させるには、自分も変わらないといけない。試合中、頭の中がザワザワして混乱状態に陥ることもあった大坂は21年8〜9月の全米後、無期限のオフに入った。

家族と過ごし、旅行し、サンフランシスコ近郊の友達のところへも行ってみた。「こういう経験は今までなかった。テニスとツアーばかりで、スリープオーバー(友達とのお泊まり会)といった経験もなかったから」と、恥ずかしそうに話した。

貴重なリフレッシュだった。切り替えも早い大坂は11月に入るとすぐ、コーチのウィム・フィセッテらに連絡をとった。「(21年の)私の姿がトラウマになって、私を嫌いになっていなければいいなと思った」と苦笑いする大坂を、フィセッテらは笑い飛ばした。

米マイアミ近郊で育った大坂。マイアミ・オープンではいつもリラックスした表情を見せる=共同

どの選手にもアップダウンがある。成功が急だったなら、なおさらだ。「もっとコミュニケーションをとりたい、って言ってきた。なおみにとって簡単ではないと思うけれど、とても重要。僕らも推察でなく、明確に解決法を提示できる」とフィセッテはいう。

アップダウンを軽減しよう。調子の良くない日も気持ちを入れて最低限のことはしていこう――。去年の経験を生かし、大坂も納得して取り組んでいる。まりもときどきトレーニングに顔を見せ、友達≠ニして近くで寄り添う。

22年全豪は3回戦負けでも、大坂は晴れやかだった。最後まで集中してプレーできたから。「少しずつプレッシャーも減っていくと思う。なおみにはアーティストのように自由にコートという舞台でプレーしてほしい」とフィセッテ。それができれば自然と結果はついてくる。

3月、四大大会に次ぐ格のマイアミ・オープンで初の4強に進出した。21年は「チームなおみ」にとって、必要な1年だったのかもしれない。=敬称略

=この項おわり

 

 

 

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