経済教室

 

その選択は正しいのか

ナッジで望ましい方向誘導 

 

池田新介・関西学院大学教授

いけだ・しんすけ 57年生まれ。大阪大博士(経済学)。専門はマクロ経済動学、行動経済学

 

 

ポイント

○ 直感型は熟慮型より判断・行動の質低い

○ ナッジは誤行動招くシステムに働きかけ

○ 誘導やあおりなどナッジの悪用に注意を

 

新型コロナウイルス感染症や気候変動など深刻な問題が世界規模で進行するいま、いかにして人びとの行動変容を促すかが重要な政策課題となっている。そこで注目されるのが、ナッジという介入方法だ。もともと「ひじで合図する」という意味のこの用語は、人びとが選択する際の枠組みや環境に工夫を加えることで行動を望ましい方向に誘導する介入を意味している。

行動経済学の分野でノーベル経済学賞を受賞したリチャード・セイラー米シカゴ大教授が提案して以来、各国でナッジによる政策が立案され社会実装への努力が進められている。本稿では、ナッジがどのような認知科学的知見に立脚し、実際にどんな効果が期待できるかについて検討したい。

◇   ◇

そもそもなぜナッジが行動変容につながると考えられるのか。このアイデアは人の認知処理が2つの処理システムによりなされるという科学的知見に基づく。情動的な直感処理をするシステム1と、理性的な熟慮処理をするシステム2だ。

システム1の処理は認知負荷がなく処理が速い一方で、判断や選択にバイアス(ゆがみ)が生じやすい。システム2は合理的に判断できるが、認知負荷が大きく処理も遅い。日常の判断や選択の多くはシステム1が直感的に処理するが誤りやバイアスを伴うので、システム2がモニター(監視)して必要な修正を加えないと、行動の合理性が損なわれる。こうして生じる非合理的な行動を、セイラーに倣って「誤行動(misbehaving)」と呼ぼう。

システム1の処理をシステム2でモニターできない人を直感タイプ、モニターできる人を熟慮タイプと分類すれば、直感タイプは熟慮タイプよりも判断や行動の質が低く、誤行動の傾向が強くなると考えられる。

実際に認知処理のタイプと誤行動の関係を調べたのが図1だ。岡田克彦・関西学院大教授と共同で参加した全国ウェブ調査(NTTデータ経営研究所「人間情報データベース」、2018年)に基づいている。

 

「誤行動指数」として、健康や負債、投資に関する個人データから割り出した非合理性スコアを標準化したものを用いている。プラス値は平均値より大きく、マイナス値は小さいことを示す。横軸にはシステム2の優位性を示す数値として、全3問の認知熟慮テスト(CRT)の正答数(0〜3)をとった。この点が高いほど熟慮タイプ、低いほど直感タイプと識別される。図の右下がりの線で示されるように、男女ともにシステム1に引っ張られる直感タイプの人ほど、予想通り誤行動の傾向が強い。

ナッジは、システム1が誤行動を引き起こすというこの認知メカニズムを逆用する。誤行動を起こしやすい直感タイプの人ほど、選択肢の設定や情報の与えられ方などの環境に選択が左右されやすい。ならば逆に環境設定に工夫を凝らすことで、問題ある行動を良い方向に変容させられる。

誤行動の原因となるシステム1を利用するという逆転の発想、これがナッジである。そしてナッジの具体的な方法やその有効性を考える場合にも、こうした認知科学的な発想に立ち戻ることが理解の助けになる。

◇   ◇

図2はスイス・ジュネーブ大学のステファニー・メルテンス氏らがナッジに関する214論文を統合したメタ分析の結果をまとめたものだ。ナッジの平均的な効果量を、その方法と介入対象となる意思決定のドメイン(領域)ごとに示した。

ナッジの方法は枠組み、情報、補助の3つに分類される。枠組みナッジはデフォルト(初期設定)などの選択フレームを変える介入方法だ。臓器提供や企業年金加入、後発薬利用への介入で効果を上げている。情報ナッジは意思決定に必要な情報の利用可能性を高めたり、規範的行動を示唆する情報を与えたりする方法だ。食品のカロリー表示や、納税者や電力消費者に行動規範や近隣住民の行動を通知する介入が該当する。補助ナッジは先の自制行動を確約(コミット)する手段や締め切りを通知する手段を与えるなどして自制的な行動を助ける介入だ。

図2はナッジの効果について2つの重要な結果を示す。第1にナッジによる介入は平均0.45という中程度の効果量をもたらす。課税・補助金や規制による従来の政策手段と違い大きなコストがかからないことを考慮すると、ナッジは効率的な介入手段といえる。

第2にナッジの効果は方法や意思決定のドメインにより大きく異なる。3本の折れ線グラフの位置からわかるように、枠組みナッジは他の2つの方法よりも一様に高い効果をもたらす。ドメイン間で比べると、ナッジの効果は食料選択に対して最も強く(他4者と有意差あり)、金融上の意思決定に対し最も小さい(同)。

こうした効果の違いは、システム1に働きかけることで誤行動を改善しようというナッジの発想に立ち戻れば理解できる。例えば方法によりナッジの効果が違うのは、働きかける認知処理システムが違うからだ。デフォルト変更など枠組みナッジの多くがシステム1に働きかけるのに対し、情報や自制手段を与えるナッジはシステム2による認知処理が前提になる。もともとシステム2の認知負荷を避けようとして発生する誤行動に対し、その負荷を増やすような介入方法はおのずと効果が限定される。

ナッジの効果が意思決定のドメインで違うことも、求められる認知処理がドメインにより異なることから理解できる。食料選択の場合、直近の生理的な欲求に関わるうえ生活の中でルーティン化されているため、システム1の影響を受けやすい。これに対し、投資など金融上の意思決定では、将来のリターンの可能性を判断するためにシステム2による認知処理が稼働しているので、システム1経由のナッジは働きにくい。

ナッジ効果に関する分析知見は、効率的な介入方法を設計するのに重要であるうえ、ナッジの悪用を監視し予防する観点からも必要だ。実際、認知バイアスを利用して選択を誘導するナッジのアイデアは、選択者から利益をかすめ取る手段にもなる。セイラー教授はこれをスラッジ(汚泥)と呼んで注意を呼びかける。

認知科学の視点はスラッジを理解するうえでも有用だ。例えば「ダークパターン」と呼ばれるネットマーケティングの手法がある。定期購読をデフォルトにする「誘導」や、第三者の購入状況を表示する「あおり」などで消費者を略奪するスラッジだ。誘導は発想的に枠組みナッジそのものだ。消費者を焦らせるあおりは、自制を補助するナッジと真逆の働きかけであり、いわば自制阻害ナッジだ。両者とも消費者のシステム1を狙った手法なので、予防にはこうしたシステム1への働きかけを緩和する制度を導入する必要がある。

ナッジ介入のデータを蓄積し、認知科学の視点でその効果を検証することは、効率的なナッジ介入を設計するうえでも、スラッジへの有効な処方箋を策定するうえでも、今後ますます必要になってくるだろう。

 

 


 

その選択は正しいのか

他者からの情報増、悪影響も 

 

竹内あい・立命館大学准教授

たけうち・あい 82年生まれ。早稲田大博士(経済学)。専門は実験経済学、ゲーム理論

 

 

ポイント

○ SNSで「他者の選択や結果」が得やすく

○ 個別の他者の結果知ると協力行動が減少

○ 良い結果を得た人の行動を模倣する傾向

 

近年、様々なSNS(交流サイト)の発達により、私たちは他者の選択やその結果に関する情報を、文章や写真などを通じ明確な形で得られるようになった。

「人のふり見て我がふり直せ」「他山の石」と言われるように、他者の選択やその結果を自分が選択をする際に生かすことの重要性は昔から示唆されてきた。われわれは近年増えてきたこれらの情報をうまく活用し、より良い選択につなげられているのだろうか。

実は、近年の経済学実験を用いた研究によると、他者の選択や結果に関する情報量の増加がより良い選択につながっているとはいい難く、特定の状況下ではむしろ悪影響がある可能性が示唆されている。

以下ではその一例として「社会的ジレンマ」と呼ばれる状況を紹介したい。社会を利する選択と個人を利する選択が異なり、社会を利する選択をする個人が多いほど誰にとっても好ましい結果となるが、各個人にとってはそうでない選択をする方がより好ましい結果をもたらす状況のことだ。

◇   ◇

表1を用いて、あなたと他の3人が社会的ジレンマ状況に直面する場合について説明しよう。あなたと他の3人は協力するかしないかを選択する。表1に示した数値は各ケースでのあなたの利得として設定したもので、他の3人も同様の状況に直面しているとする。

ここで重要なのは、個人の得られる結果(利得)があなたの選択のみならず、他の3人の選択にも依存する点だ。あなたの選択だけを見れば、協力する他者が何人の場合でも、常に協力しない方が自身の利得は高くなる。他の3人が何を選択しても各個人にとっては協力しない方が好ましい。一方であなたの選択にかかわらず、協力する他者が増えるほど利得は高くなる。

このように社会的ジレンマ状況では、社会全体にとっても各個人にとっても協力する人数が増えることが好ましい一方で、他の人の協力にただ乗りし、自身は協力しないインセンティブ(誘因)がある。よって協力した方がいいのにそれが難しい状況となっている。

社会的ジレンマ状況の構造は、何をもって協力行動とするのか、実際に得られる利得の大小、直面する人数や対象などに違いはあるが、多くの社会問題に内在している。その具体例としては、地球温暖化や資源枯渇などの環境問題、企業による就職活動時期の前倒し問題、新型コロナウイルス感染症の感染拡大時期の自粛行動などが挙げられる。

社会的ジレンマ状況でどういう環境要因が協力行動の選択に影響を与えるのかを分析することは、社会的ジレンマの構造を内在する様々な状況での人々の行動を理解する一助となる。

特定の環境要因が社会的ジレンマ状況での人々の行動に与える影響を明らかにするには、経済学実験という手法が有用だ。経済学実験では、社会的ジレンマ状況を模した選択状況をインセンティブ付けすることで実験室内に再現し、実験参加者に何を選ぶかを決めてもらう。その際、特定の要因だけを変化させ他の要因を固定することにより、特定の環境要因が意思決定に与える影響を分析できる。

こうした実験の一例として、オランダ・ティルブルグ大学のシグリッド・ステンズ教授らの2017年の研究成果を紹介したい。社会的ジレンマ状況での選択を繰り返す実験研究を70本以上集め、各回の終了時に参加者に与えられる情報を調べた。?自分の結果?他者の選択の累計(合計でどれだけの協力があったか)?個別の他者の選択?個別の他者の得られた結果――の4つの情報の有無に応じて分類し、これらの情報量の違いが人々の協力行動に及ぼす影響を分析した。

その結果、@自分の結果や他者の選択の累計情報の有無は人々の行動に影響を与えないAだが個別の他者の選択に関する情報は少し協力を増やす効果があるBその一方で個別の他者の結果に関する情報は協力を大きく減退させる効果がある――ことがわかった。

個別の他者の結果に関する情報が悪影響をもたらすのは、社会的ジレンマ状況に限らない。表2を見てほしい。これは協力の便益が非常に高く、社会的ジレンマ状況とは異なり協力をした方が得になる状況だ。だがこうした状況を実験で再現しても、人は必ずしも協力的な行動をとるわけではないことが知られている。

協力が得になる状況に関する実験研究はまだ少なく、社会的ジレンマ状況の時のような横断的な分析はできないが、Bの結果と似たような結果がいくつかの研究で示されている。

例えばスチュワート・ウェスト英オックスフォード大教授らの2012年の研究では、個別の他者の結果に関する情報がある場合には、個別の他者の選択に関する情報のみがある場合と比べて協力行動の増加が抑制された。著者が上條良夫・早大教授と日本で実施した実験でも、他者の行動の累計しかわからない場合と個別の結果に関する情報までがある場合では、後者の場合に協力行動が減少するという結果が観察された。

◇   ◇

では、人々はなぜそうした選択をするのか。一つの可能性として、良い結果を得た人の行動を模倣してしまうことが考えられる。

表2の協力が得になる状況で、3人が協力し1人が協力しなかった場合について考えてみよう。協力した人の立場になると、自分以外の2人が協力し自分も協力しているので、利得は42となる。一方で、協力しなかった人の立場になると、自分以外の3人が協力し自分は協力しないので、利得は52となる。もし人々がより良い結果を得た人の行動を模倣すると、協力しない人が増えることになる。

では協力していた3人のうち1人が実際に模倣し、協力しない選択をするとどうなるのか。2人が協力し2人が協力しない状態となる。協力しなくなった人は自分以外の2人が協力し自分が協力しないので利得は38となり、模倣前に協力していた時の42よりも減る。逆に、協力していなかった人が協力を選ぶと利得は56となり、協力しなかった時の52よりも増える。

この例のように全員が同じ状況に直面していても、自分が選択を変えることで状態が変化する場合、より良い結果を得ていた他者を模倣したからといって、自分がより良い結果を得られるわけではない。他者の結果が見えると自分と比較しやすくなるため、自分の現状よりも良い結果を得た人の選択を安易に模倣してしまう行動が増えるのかもしれない。だがそれは必ずしも自分にとって、良い選択とは限らないのである。

社会的ジレンマ状況で他者の選択や結果に関する情報の影響は頑健な結果だ。それが協力行動を減退させる効果があることは、SNSなどを通じて他者の選択やその結果に関する情報量の増加が持つ危険性を示唆していると考えられる。

他者の結果に関する情報が増えた現在では、それらに惑わされることなく、自分が選択した際の帰結を十分に検討して意思決定をする必要があるだろう。

 

 

 

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