NIKKEI The STYLE

 

人に打たれず人打たず 良き生き方としての沖縄空手

 

東京五輪の正式競技にも採用された空手の愛好者は、世界199の国と地域に1億3千万人を数える。だが発祥の地、沖縄で道場を歩き、関係者の話に耳を傾けると、競技やスポーツとしての華々しさとは異質の姿が浮かび上がる。繁栄と苦難に満ちた島の歴史や文化。そこに暮らす人々の思い――。沖縄空手はまさに、生き方そのものだった。

「今年も一年頑張るぞ!」。1月3日、沖縄県宜野湾市のトロピカルビーチで、小林流究道館明鳳会の新春初稽古が開かれた。子ども拳士たちが「型」の練習に励む

 

己を鍛え、平常心に至る

2021年の東京五輪では、空手界の長年の悲願が実を結んだ。架空の敵を想定し1人で演武を行う「形」と、2人が実際に対戦する「組手」が正式種目として実施されたからだ。

空気を切り裂くように繰り出される突きや蹴り。静から動へと、はじける体の動き――。日本勢は形の部で男女2人が金・銀のメダルに輝くなど健闘し、世界に空手の力強さ、美しさを印象づけた。

空手の源流は琉球王朝以前から伝わる「手(ティ)」と呼ばれる武術に遡る。中国武術などの影響を受けながら、およそ700年にわたって独自の発展を遂げたとされる。沖縄県内にはいま、400カ所近い道場がある。

代表的な流派の一つ、上地(うえち)流の拳優会本部道場を読谷村に訪ねた。受け継がれてきた技法や体の動きを重視する沖縄空手では、「形」ではなく「型」と表記し、これをひたすら繰り返す。

この日もまず、「サンチン」という型の稽古から始まった。黙々と演じる門弟たちの背や腹、足を、会長で範士十段の新城清秀さん(70)が突き、蹴る。相手の攻撃にどのくらい耐えられる体に仕上がっているか、確かめるのだという。

新城さんによる「試し割り」。門弟が構えた板を、次々と割っていく。握りこぶしの拳頭を使って、ではない。驚くことに、まっすぐに伸ばした手の指先、足の指先、小さく立てた手の親指の関節。それらを槍(やり)のように使い、打ち割る。

型も組手も、一般にイメージする空手の動きとは異なる。たとえば相手の頭に届くような華麗な回し蹴りは出てこない。「自分の金的(急所)がガラ空きになるので、高いところは蹴らない。最短の距離を、直線で。的は相手の金的など下腹部」――。

手や足の指先で板を割る新城清秀さん。こんなところを鍛えることができるのだろうか。見ている側に痛みが走る

サンチンガーミという甕(かめ)を使って握力を鍛え、打たれ強い体をつくる。毎日、砂をひとさじずつ入れていく鍛錬法もあるという

新城さんは所属する協会の大会で、型と組手で9連覇した実績を持つ。海外の支部は米国やフランスなど15カ国200カ所に上る。だが沖縄では、新城さんのような「いかにも」という雰囲気の猛者タイプは少数派かもしれない。空手の高段者にはむしろ小柄で、普通の体つきの人が目立つ。

豊見城市の高台に立つ沖縄空手会館。道場や資料室を備え、空手普及の拠点となっている。ここに県内の空手4団体をたばねる沖縄伝統空手道振興会がある。事務局長の上原邦男さんも、そうした「意外」な空手家の一人だ。

今年72歳を迎える。身長は160センチ。話をしていても、朗らかで世話好きな「おじい」にしか見えない。それがなんと、少林流空手範士九段の腕前。若いころから道場を持ち、米軍基地の軍人にも教えてきた。

木に荒縄などを巻いた「マキワラ」と呼ばれる鍛錬具や、道場の床などに日々指先を打ちつけ、鍛えてきたという。その結果、人さし指も中指も薬指も、すべてが同じ長さにそろっている。「物理の法則ですね。同じ力なら、拳より面積の小さい指先で打った方が威力は増すし、相手の体に入る。これでいろいろな所を狙います」

だが本当に驚くのはここからだ。つねに実戦を想定し、体が変形するほどの鍛錬を自らに課し、いったい何を目指すのか? 多くの空手家がこんなふうに答える。「目標は空手の技を使わないこと。1度も空手を使うことなく生涯を終えてはじめて、よい修行ができた、ということになる」

上原邦男さんは長年、米軍基地で働いてきた。空手の魅力についての、「英語交じり」の語りが楽しい

鈍器を思わせる上原さんの手。大きな「拳ダコ」や長さがそろった3本の指が、鍛錬の厳しさをうかがわせる

「空手発祥の地は日本ではない。あくまで沖縄、ということなんですよ」。こう語るのは、ミゲール・ダルーズさん(50)。海外などから空手を学びに来る人たちに道場や指導者を紹介する、沖縄空手案内センターの職員だ。

フランスで空手を始め、その精神性や沖縄の文化にひかれて移り住み、世界に向け情報を発信している。「空手は戦場で生まれた武術ではない。だから空手家は武士ともサムライとも関係ない。沖縄はヌチドゥタカラ(命こそ宝)の島。万一、相手にけがをさせてしまったら、薬草やヤギ汁を届けに行くのが沖縄の空手」と話す。

 

沖縄空手案内センターの広報、ミゲール・ダルーズさん。「沖縄にある教え、伝統、歴史が空手とどんな関係にあるのか。私が先生方から教わったことを伝えていきたい」と話す

かつて空手の修行者は鍛えあげた拳を隠し、請われて披露した演武でわざと間違えることさえあったという。自分が空手使いと知れれば、挑んでくる者がいるかもしれない。相手の攻撃を防げば、相手を傷つけるかもしれない。それはさらなる暴力を呼ぶ。

沖縄で皆が、合言葉のように口にするのは「空手に先手なし」。数多い型の中に、攻撃で始まるものがほぼ存在しないことも、この言葉を裏付ける。「人に打たれず、人打たず、事なきをもととするなり」。不当な暴力には立ち向かって当然、ということさえ許容しないかのような徹底ぶりなのだ。

己を鍛え抜けば、どんな時でも平常心でいられる。そうして初めて自ら一歩下がり、頭を下げ、争いが起きないよう振る舞うことが可能になる。一生使うまいと念じながら、黙々と研ぐ必殺の刃(やいば)――これこそが沖縄空手の神髄ということであろうか。

沖縄の空手を本土に普及させた船越義珍氏の顕彰碑には、「空手に先手なし」と記されている(那覇市奥武山町)

 

平和の武 世界とつながる

沖縄は琉球王国の時代、日本や中国、朝鮮、東南アジアとの交流を通して平和と繁栄を築く。世界の架け橋を意味する「万国津梁(しんりょう)の国」と呼ばれた。その一方で常に大国の脅威にさらされ、苦難を味わってもきた。

「正面切って争うわけにはいかない。かといって独自性を保たなければ埋没してしまう。こうした環境の中で、受け身主体の平和の武として確立したのが空手なのです」。沖縄の中・近世史が専門の県立博物館・美術館館長の田名(だな)真之さんは解説する。

「身体の使い方から歴史まで、空手を専門的に研究する体制が必要」と田名真之さんは語る

全国でここだけの名称に違いない、県の空手振興課。課長の佐和田勇人さんは、「ウチナー(沖縄)ユ、ヤマト(大和=日本)ユ、アメリカ(米国)ユを通して、唯一、発展した沖縄の文化が空手だった」と話す。「ユ」は「世」を意味する。

たとえば1879年に琉球処分で沖縄県として日本に組み込まれてからは、学校で方言を使った子どもの首に「方言札」をかけるなどして、本土の言葉が強いられた。同じように踊りも音楽も衰退の道をたどる。その中で空手だけは心身を鍛える手段として学校教育に採り入れられ、庶民の生活に密着し、広がっていったのだ。

那覇や糸満で行われる大綱引きや、航海の安全と豊漁を祈るハーリー。沖縄の伝統行事の舞台では、いまも士気を高めるために空手の型が披露される。琉球王朝の時代から伝わる舞踊も、「腰使いや歩き方、手の動きは空手と共通している」といわれる。

県空手振興課の佐和田勇人課長(右)と職員として働くスロバキア出身のアンドレア・クレメンティソバーさん

那覇市内で三線(さんしん)の店を開く松田芳正さんは、小林流空手の道場を構え、米軍基地でも教えてきた。82歳のいまも、海外から訪ねてくる空手家を指導する。飛び込み取材にも笑顔で、自ら製作した三線を鳴らし、琉歌を口ずさみ歓迎してくれた。

「体を動かしたければ空手の型を繰り返し、歌いたければ三線を弾き、踊る。善の魂の持ち主を目指して自分を磨くという意味で、すべては同じものなのです」

松田芳正さんは空手の先生であり、三線の先生。「沖縄の人は朝起きたら、まず歌を口ずさむ。空手も日々の生活も、すべてはリズム」

神奈川県茅ケ崎市などで上地流の道場を開く藤本恵祐さん(60)によると、本土へ働きに出た沖縄の人たちは厳しい労働や差別の中で日々を送った。「支えになったのは三線、琉球舞踊、そして空手。この3つは沖縄人のアイデンティティーといっていい」

神奈川県で上地流の空手を教える藤本恵祐さん(中央)。高齢者向けの「プラチナクラス」では、沖縄民謡を流しながら稽古が行われていた(茅ケ崎市の湘南修武館本部道場)

空手は船越義珍氏ら先人が本土で教え、海外へと広まった。だが別のルートでも、沖縄から直接海を越える。南米に渡った移民は、決して恵まれてはいなかった新天地に空手を伝えた。

沖縄に駐留する米兵も空手を学び、帰国後に、本国で空手を広めていった。だから沖縄では、町の道場が海外にいくつもの支部を持っている。

県空手振興課の職員として働くアンドレア・クレメンティソバーさん(29)はスロバキアからやって来た。剛柔流空手四段で古武道二段。両親は、ともに母国で空手の道場を持っている。

空手の魅力の一つに、アンドレアさんは「イチャリバチョーデー」(出会えば兄弟)をあげる。「空手には道場がある。空手を通して、沖縄の人とも海外の人とも友だちになれる。平和もつくれる」。いまは海外の人に向けた「空手ガイド」を目指し、勉強中。将来は沖縄で道場を開きたいという。

アンドレアさん(手前)は「空手の日」の記念演武祭で型を披露した(2021年10月31日、糸満市)

沖縄の伝統空手について県は、国連教育科学文化機関(ユネスコ)の無形文化遺産登録を目標に掲げる。ただ、五輪で注目された「競技空手」はこの対象には含まれない。競技であれば国際的に統一されたルールが不可欠で、沖縄や文化、実戦からは遠ざかる。伝統空手の立場から見ると、観客や審判を意識する競技の「形」は動きや間が必要以上に大きく不自然で、別物とみなされることが少なくない。

一方で競技・スポーツが持つ華々しさや楽しさは、空手の愛好者を増やし、子どもたちの目標となってきた。競技空手を経て、伝統空手の意義や精神性に魅力を見いだす人も増えている。県などでは双方を車の両輪と位置づけ、沖縄空手界全体の発展を図る。

1月3日、宜野湾市のトロピカルビーチで、小林流究道館明鳳会の新春初稽古が始まった。参加したのは保育園・幼稚園児から高校生までの約70人。館長の濱川あけみさん指導のもと、砂浜を走り、型を披露し、発泡スチロールや木の板を割る試し割りに挑んだ。

明鳳会は沖縄でも珍しい「キッズ空手」に特化した道場だという。濱川さんは「伝統空手は沖縄の心。子どもたちに誇りと自信を与え、人生の支柱になると信じている」と話す。

コロナ禍の中、世界でも国内でも、社会の分断や対立が深まっている。お互いがお互いの利益や立場を主張し合い、罵り合う。そんな世の中では、だれも心穏やかに暮らしていけない。

濱川館長の夫で、沖縄の空手界統一に奔走してきた濱川謙さんが、沖縄に伝わる言葉を教えてくれた。「他人から暴力を受けても眠れるけれど、他人に暴力をふるったときは眠れない」

 

 

もどる