菅義偉「国民の皆さんに伝え切れていなかった」

 

前首相が振り返るコロナ対策とこれからの展望

 

塩田 潮 : ノンフィクション作家・評論家

 

 

ちょうど1年の短命政権で第99代内閣総理大臣を退任した菅義偉氏。コロナ対策で最大の成果は日本国民の8割近い接種率となったワクチン接種だ。そして首相を辞めた後、政治家として何を目指しているのか。「菅義偉が明かした『首相在任時』の決断・葛藤・成果」(1月15日配信)に続いて、独占インタビューの後編をお届けする。

 

コロナとの戦いに明け暮れた1年だった

塩田潮(以下、塩田):政権担当は1年で終わりました。今、首相在任中の1年を振り返って、全体として「菅政治」をどう総括していますか。

菅義偉・前首相(以下、菅):いずれにしろ、コロナとの戦いに明け暮れた1年だったと思います。私自身、政治家となってこれまで、外で人と会って食事をしたりして、情報収集しながら政治を行ってきたのですが、2020年の12月以降は、それがゼロでしたから。

顧みると、やはり2021年の7月いっぱいで高齢者の約8割近くの人が2回のワクチン接種を終えることができた。デルタ株の騒動の中で、厚労省が「結果として、10万人を超える人たちの感染を防ぎ、8000人を超える人の命を救った」と発表しています。繰り返しになりますが、思い切ってワクチン接種を進めてよかったなと思います。皆さんが協力して、一致結束して2回の接種を終えることができた。

2021年6月の党首討論のとき、「コロナはいつ終わるんだ。先が見えないじゃないか」と言われました。一瞬、どうしようかな、と思ったけど、自分で計算して「10月から11月にかけて終える」と答えた。ワクチン接種も順調に進んでおり、その調子で増えていけば達成するだろうという目算でしたが、7月の進み具合がものすごくよかったから、予定どおり行くだろうと思いました。

塩田:2021年の10月以降、このインタビューの2021年12月22日まで、そのとおりの展開ですが、その要因はどういう点だと思いますか。

菅:1つは国民性があると思います。日本では、マスクをして3密を避けるなど、国民の皆さんが基本的なことをきちんとやってくれました。それと、医療関係の皆さんを始め、国が総力を挙げてワクチン接種に取り組んだ結果だと思います。

海外の場合は「7割の壁」というのがあります。イスラエルとかアメリカとか、6割ぐらいまでは早くいったけど、7割をなかなか越えられない。宗教の問題もあるかもしれません。日本はそのままの勢いで突き抜けて8割までいきましたから。

塩田:コロナ対策も含めて、政権運営の点で、ここはまずかったなと思う点は。

菅:説明が足りなかったとか、よく言われましたが、私自身、秋田で生まれて、口下手でして。政治は結果を出すことだ、みたいな感じの気持ちが私はありました。国民の皆さんに伝え切れていなかったということはあると思いますね。

塩田:首相在任中の内閣支持率は、政権発足直後の比較では、小泉純一郎首相、鳩山由紀夫首相、細川護煕首相に次いで歴代4位の高率でしたが、その後、低迷しました。

菅:下がったり上がったりで、支持率というのはそういうものでしょうけど。コロナ感染が爆発的に拡大すると、比例する感じで加速度的に……。連動している感じでしたね。

最後のころは、気にならないと言えば、うそになりますが、こんなことはないだろう、ワクチン接種が進めば収まるだろう、という思いがありました。だけど、7月にワクチンをあれだけいっぱいやっても、その効果が表れるまで2週間とか20日ぐらいかかるといいますね。8月に支持率が落ちてくる中で、本当に感染が収まってくれるだろうかという不安はありましたね。

 

成長戦略4本柱はどの政権でもきちっとやっておくべき

塩田:支持率上昇のためのテコ入れ策は考えなかったのですか。

菅:それは考えませんでした。やはり私の使命はワクチンをしっかりやり切ることです。そのうえで、総理大臣として何をやるかと考える中で、すでに議論の段階は終わっているのに先送りしてきた課題について、決断すべきだと考えていました。その点では一挙にいろいろなことができました。

2021年6月に決定した「骨太方針」で、脱炭素社会の実現、デジタル化の加速、活力ある地方づくり、少子化の克服を成長戦略の4本柱と決めました。これは日本にとって必要とずっと思っていたことで、どの政権でもきちっとやっておくべきことです。

それ以外に、東京電力福島第一原子力発電所の処理水の問題、安全保障上の重要な土地の利用を規制する法律の問題、75歳以上の後期高齢者の医療費負担変更の医療制度改革など、誰が政権を担ってもやらなければならないことを一挙に進めました。そうした点は二階俊博幹事長と森山裕国会対策委員長には、きちっとやりたいと伝え、そこは本当によくやっていただきました。

塩田:「首相退任の際の心残りは、北朝鮮による拉致問題が進まなかったこと」という発言を目にしました。

菅:そうです。山があったのは事実です。ですけど、動かし切れなかった。それがやはり心残りですね。被害者のご家族の皆さまに大変申し訳ないという思いでいっぱいです。

塩田:首相在任中、拉致問題で何か新しい展開の端緒のような動きはあったのですか。

菅:そうしたことはありました。

塩田:どんな動きですか。

菅:いや、それは。

塩田:動きがあったのに、先に進められなかった理由は何だったのですか。

菅:いろいろな情勢がありますから。特に金正恩総書記に、本当に「私どもは無条件である」というシグナルをずっと送っていたのも、そういうことですね。

「コロナで」って、言っていますけど、それは理屈なんでしょうけれども。それは正直言ってわかりません。ただ、ここが心残りであり、申し訳ないと思っています。

 

「ワクチン最優先、新型コロナ対策最優先」だった

塩田:2021年9月30日が自民党総裁任期満了の日で、約1カ月前の9月3日の朝、自民党の臨時役員会で総裁選挙不出馬の意向を示して、事実上の首相退陣表明となりました。

菅:私は総裁選挙はやらないと思っていたんです。緊急事態宣言の期日を9月12日に設定しました。その日に解除できなければ、総裁選挙はやるべきじゃないと思いましたね。この日程の設定は極めて大事なところと思っていますけど、まずそういう思いがあった。

そして、緊急事態宣言を解除できるという見通しが立たなくなってきた。そういう状況で総裁選挙はやるべきじゃないという話です、責任がありますから。当然、いろいろシミュレーションはしましたが、基本は9月12日までに緊急事態宣言を終えられるかどうかが大きなポイントでした。「ワクチン最優先、新型コロナ対策最優先」とずっと言ってきましたので。

塩田:なぜ9月3日の朝の段階で意思表明を。

菅:もう岸田さんは出馬を決めて、活動を始めていましたね。一方で、12日が迫ってきまして、ここが判断のぎりぎりのタイミングでした。そういうことで、総裁選には出馬しない、新型コロナ対策に専念すると判断しました。

塩田:そのまま突っ走って総裁選を戦うことになった場合、勝てそうにないから、やむをえず不出馬を、と考えた面もあったのですか。

菅:そこはやっぱり現職ですから、そんなことは。地方の票や党員の支持はそんなにおかしくなっていなかったと思っています。

 

「さっぱりしています」

塩田:1年で政権が終わったことについて、今、どんなお気持ちですか。

菅:さっぱりしていますよ。やはりコロナが収束してきたことがいちばんだったと思いますね。出馬を断念してコロナ対策にもっと力を入れていくつもりでしたが、一挙に感染者が減少してきた。そうなっていなければ、今ごろ、いろいろと心残りもあったと思います。

塩田:あのとき、気持ちがプツッと切れたのでは、と見た人もいたようです。

菅:まあ、いろいろな複雑な気持ちはありますよね。だけど、私の気持ちをわかる人って、いないじゃないですか。

塩田:首相を辞めた後、今後、政治家としてどういう道を目指していますか。

菅:先に言いましたように、カーボンニュートラル、脱炭素社会も待ったなしのところです。自分で宣言して2兆円の基金を設けました。技術開発とか投資とか、これを進めていくのも1つの責任です。デジタル庁もそうです。少子化対策や地方活性化など、いろいろなことを前に進めていきたいと思っています。

塩田:未達成のいくつもの目標を実現するために、もう一度、チャンスがあれば政権に挑戦しようというお考えはありますか。

菅:それはないですね。自分が掲げてきたことを進めていきたい。

塩田:それには、現実の政治の場で、力を持って数を動かしていくという形を取らなければ、実際にはなかなか実現が難しいのでは。

菅:今、一緒にやっているグループがあります。その中で政策をきちっとやっていれば、数は自然に増えていくのではないかと思いますが……。

塩田:自民党の中で、自分の派閥を持つ考えはありますか。

菅:それは考えていないです。

塩田:将来、自民党の幹事長に、という話が浮上したりしたときには、引き受けますか。

菅:それもないですね。ただ、今、言ったようなことをきちっとできるようにしていきたいと思いますね。

塩田:後任は岸田文雄首相です。新発足の岸田政権をどう見ていますか。

菅:スタートしたばかりです。慎重に始動しているということじゃないですかね。

塩田:岸田首相の路線は、同じ自民党政権でも、菅内閣とは対極のように映ります。

菅:誰がやっても、対コロナでワクチン対策をやらなければいけない。それと、やはり改革はやらなければダメですね。それを進めていく。

塩田:岸田首相は2021年10月、就任後の最初の国会での所信表明演説では「改革」という言葉をいっさい使わず、その点が注目を集めました。

菅:言葉ではなくて、実際どうやっていくか、それを見ていく必要があると思いますね。

塩田:岸田首相とは、かつて2009年まで同じ古賀派(宏池会。現岸田派の前身。古賀誠元幹事長が率いていた派閥)でした。政治家としての岸田首相をどう見ていますか。

菅:私、そんなに付き合いがなかったものですから……。これからどうやっていくか、慎重に安全運転でやり始めているなという思いがします。

派閥にこだわるより国民の思いをしっかり受け止めたい
塩田:2021年10月の衆院選で、自民党は何とか単独で絶対安定多数を確保して「1強」体制を維持しました。前総裁として自民党の現状をどう受け止めていますか。

菅:派閥にこだわるより、国民の思いをしっかりと受け止めて、政策を進めていくことが大事だと思います。

塩田:総選挙の結果は、菅内閣の1年間の実績も1つの要因だったと思いますか。

菅:いやいや、それはないでしょう。ただ、ワクチンでコロナが収まったことが大きく影響したのではないかと思います。

 

《インタビュアーの一言》

2021年9月、異例の「コロナ未収束・1年後の自民党総裁選・1年1カ月以内の衆院選・開催の成否が不透明な夏季東京五輪大会」という4つの壁を背負って政権を担った菅首相は、結局、五輪以外の3つの壁を超えることができず、在任1年で退場した。無念と不燃焼感は大きかったのでは、と思われたが、「さっぱりしている」と語るとともに、「私の気持ちをわかる人はいないのでは」という答えが返ってきたのが印象的だった。

退陣から3カ月余が過ぎ、前首相の「次の出方」にも関心が高まってきた。後任の岸田首相と距離を置く菅氏が、自民党内の議員集団「ガネーシャの会」という菅グループを軸に、新派閥を旗揚げするのでは、という推測報道も目にする。インタビューでの「派閥結成は」「幹事長などの要職への意欲は」、さらに「政権再挑戦は」という問いに対して、いずれも「考えていない」という回答だったが、達成半ばに終わった在任中の政策目標も含め、今後の挑戦課題について、強い意欲を隠さない。もしかすると、10年前に自ら担ぎ出した安倍晋三元首相をお手本に、1回目の失敗を教訓にして、可能なら2回目を、という思いがあるのだろうか。「私の気持ち」の胸奥を知る手掛かりはないが。(塩田潮)

 

 

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