〈Nextストーリー〉クラシックの常識 ぶっ壊す

 

 

(1)反田恭平 社長と二刀流 オケを会社に

 

若手に活躍の場 音楽院の夢も

 

 

音楽家たちの演奏を静かに座って聞く。そんなクラシックの常識を壊す試みが相次ぐ。ファンの裾野を広げようと奮闘する人々の姿を追う。

 

演奏する反田(中央)とJNOメンバー

「純粋なショパンを弾いてくれてありがとう」。10月にポーランドで開かれたショパン国際ピアノ・コンクール。日本の出場者で歴代最高に並ぶ第2位となった反田恭平(そりたきょうへい)(27)は、居並ぶ審査員から称賛を受けた。「ショパニスト」の称号を得た反田は、経営者としての一面も持つ。

2018年に音楽事務所「NEXUS」を設立。21年には世界的に珍しい株式会社のオーケストラ「Japan National Orchestra(JNO)」の社長に就いた。

「今度、日本で一緒に弾かない?」。コンクール期間中には全てのファイナリストに声をかけた。「(指揮者・ピアニストの)ダニエル・バレンボイムが青少年楽団や教育プロジェクトをやっているのを見ると、こうあるべきだなと感じた」

自ら資金を集め、演奏会を企画し、指揮や演奏までしたモーツァルトのように――。会社を設立したのは、周囲を巻き込み、一緒に楽しむ理想の音楽家を目指すためだ。

今や所属音楽家には反田自身のほか、21年のエリザベート王妃国際音楽コンクールで第3位に入ったピアノの務川慧悟(28)、同じ年の難関・ミュンヘン国際音楽コンクールで優勝したバイオリンの岡本誠司(27)と、次世代のスターが並ぶ。

支援者と練習場を得るチャンスは偶然に舞い込んだ。18年11月末、マネジャーから連絡が入った。「朝の便でドイツに行けますか」。DMG森精機が現地で取引先などを招いて催す演奏会でソリストがケガで出演できなくなったという。同社の名前は知らなかったが勘が働いた。メールには「今後の支援」を示唆する言葉があった。

「オーケストラをつくろうと思ってるんです」。公演後、反田は同社の森雅彦社長に熱い思いを伝えた。その2年半後の21年5月には、同社の資金で設立された森記念製造技術研究財団とNEXUSの共同出資によるJNOに結実した。

奈良市には練習場もできた。「オケをつくることが最終目標ではなく、演奏による収益で大きく成長させ、新しい事業をして上を目指す」。若い音楽家が継続的に活動できるようになるには、経済的基盤を整える必要があるとの思いは強い。

発足メンバーはオケとしては少ない17人だが「全員がソリスト」だという。反田が考えるソリストは「バリバリ弾く技術と個性があって、何より音楽を心から楽しめる人」だ。反田自身、音楽家として進化を続ける。ウィーンで指揮を学び、交響曲もオペラも振る指揮者になるつもりだ。目下の目標は「JNOを欧州ツアーに連れて行き、オケの地位を確立すること」。名だたる楽団や歌劇場を指揮することにつながれば相乗効果も生む。

「最終的には学校をつくりたい」。16年夏、留学先のモスクワで寝ていると、子供たちに囲まれ「先生、先生」と慕われていた。目覚めると涙が出ていた。「やるべきことはこれなのかな……。俺、学校をつくろう」

「素晴らしい演奏家はいるのに、日本の音大に留学したい人はまずいない」。経済が停滞し、少子化が進む現状も肌で感じる。JNOを大きくして利益を積み上げ、奈良の練習場を核に世界的な音楽院をつくるのが目標だ。「30年後ぐらい」と考えていたが、森氏に発破をかけられ、9年後の30年に目標を定めた。夢が正夢になり、ショパニストが次世代のショパニストを育てる日はさほど遠くないかもしれない。

 

 

 


 

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(2)水野蒼生 カラヤンの後輩は金髪DJ

 

ジャンル行き来する「交易船」に

 

 

水野蒼生(みずのあおい)(27)はモーツァルトを生んだオーストリア・ザルツブルクにあるモーツァルテウム大学で指揮を学んだ。「帝王」カラヤンの後輩にあたる。「クラシカルDJ」の肩書も持つ。2018年にはクラシックの有名レーベル「ドイツ・グラモフォン」(ユニバーサルミュージック)からデビューを果たした。

 

DJ活動もする=渡邉 和弘撮影

5歳でピアノを始め、12歳からはバイオリンを手にしてオーケストラ音楽にのめり込んだ。15歳のとき講習会で初めてオケを指揮した。「一振りが100倍にもなって返ってくる衝撃はものすごかった」。ロックやテクノにもはまった。

日本の音楽大学の指揮科に入ったが、「(新入生向けの)オリエンテーションのときから違和感を覚えた。教授のための組織のような雰囲気があった」。大学は半年で退学。ドイツ語を学んで14年、オーストリアへ留学。権威には全く興味がない。「ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団を指揮したいとも思わない」

留学中から帰国した際には仲間のピアニストと「東京ピアノ爆団」と名付けたイベントをライブハウスなどで開いた。クラシックのピアノ曲をスピーカーから爆音で聞かせ、水野はDJプレーを披露。ユニバーサルの目にとまり日本法人トップとの面談に呼ばれた。そこで語った夢は「日本武道館でクラシックコンサートをやる」ことだった。

18年9月、アルバム「MILLENNIALS -We Will Classic You―」でデビュー。グラモフォンの名盤の音源を大胆にミックスし、高い評価を受けた。「大反発を食らうだろうと身構えていたので肩すかしを食らった」

クラシック界には「若者を呼び込まなければ衰退する」という危機感がある。他の文化芸術分野と比べて音楽会に出掛ける20〜30代の割合は少ない。とがった挑戦が求められていた。

再現芸術であるクラシックは過去との対話を深めていく必要がある。だが水野は「社会の営みや価値観、技術などは日々変化する。現在の視点から新しい可能性を見つけることもできるのではないか」と指摘する。

2作目「BEETHOVEN -Must It Be? It Still Must Be―」では「ベートーベンが今に生きていたら、新しい楽器や技術を取り入れたのでは」と想像した。交響曲第5番「運命」はエレキ弦楽器とドラムが聴き手に衝撃を与えた。ただ、歴史の積み重ねを軽視するわけではもちろんない。大胆なアレンジを加えても「本来の音楽のコンテクスト(文脈)や主義主張は壊さない」。

例えば、21年に出した3作目「VOICE -An Awakening At The Opera―」に収めた歌劇「トゥーランドット」の中のアリア「誰も寝てはならぬ」。アレンジは単なる抜粋にとどまらない。他の場面の音楽もさりげなくしのばせ、作品全体の雰囲気や物語性を可能な限り表現した。

自らの作品や活動は初心者がクラシックを楽しむための入門編と位置づける。「こんな金髪の若造がライブハウスでクラシックをやっていれば、ハードルはきっと下がる。来てもらえさえすれば僕が思うクラシックの本質を届ける」。20日にはクラウドファンディングで集めた資金をもとに、東京・渋谷で初のワンマンライブを開いた。

DJ活動を通じ、クラシック以外の音楽家とたくさん巡り合った。「新しい世界が広がった。他のジャンルのアーティストや彼らのファンからもクラシックの魅力に気付いたと言われる」。歴史上、芸術は様々な背景を持つ者の出会いによって新しい表現を生み出してきた。「他ジャンルとクラシックを行き来する交易船のような存在になれれば、すごく楽しい」

 

 

 


 

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(3)湯山玲子 クラブへ野外へ 聴き方改革

 

爆音イベントなど「3本の矢」

 

 

「クラシック音楽界一の浮気男。(曲に表れるのは)男の妄想のすごさですよね」。11月3日夜、配信スタジオ「SUPER DOMMUNE(スーパードミューン)」(東京・渋谷)。あけすけな曲紹介に会場から笑いが漏れる。大音量で流れてきたのは、フランスの作曲家ドビュッシーのピアノ曲「喜びの島」。「爆音クラシック」、略して「爆クラ」の一場面だ。

 

瀬戸内海に浮かぶ船上で「爆クラアースダイバー」を開いた

主宰するのは著述家・プロデューサーの湯山玲子(ゆやまれいこ)(61)。2011年から東京都内のライブハウスでほぼ月1回開催する。マシンガンのような持ち前のトーク術で、テレビのコメンテーターとしても活躍。「クラシックは生音というのが不文律になっているが、音響面からクラシックの新しい聴き方を提案したい」

父は作曲家の湯山昭、母も合唱団を主宰しクラシック漬けの環境で育った。知らず知らず知識や聴く耳は養われたが「反抗的な子どもだった」湯山は、ロックやポップスの流行を追いかけた。

情報誌「ぴあ」を経てフリーの編集者に。1999年、米ニューヨークのクラブで天啓を得た。マドンナらの作品に参加する名DJジュニア・ヴァスケスのために設備が整えられ、ドイツの大作曲家ワーグナーにとってのバイロイト祝祭劇場のように感じられた。

8時間のロングプレーに圧倒された。「ワーグナーの楽劇のような重厚長大さ。大音量でブルックナーの交響曲のように厚く音を重ねる。最後は光を見せたり、静謐(せいひつ)さをつくったりするのはマーラーの交響曲みたい」。若者が陶酔し踊っていた。「彼らこそクラシックを聴くべきだと思った」

「爆クラ」では「俳句・短歌とクラシック音楽」など興味を引くテーマを設ける。トークはユーモアを交えながら、ときには専門分野に分け入る。「作品背景はウィキペディアで調べられるし、気になった曲はユーチューブで聴ける。ネット時代だからこそ10年続いた」

瀬戸内海に浮かぶ船上で、東京・下町の古民家で、廃線のトンネルで――。聴き方改革の第2の矢が音響設備を持ち出してクラシックを聴く「爆クラアースダイバー」だ。野外イベント「レイヴ」からアイデアを得て3年前に始めた。「風景や土地の空気とともに体感すれば、抽象的な音楽を捉える耳が養われる。山あり、川あり、海あり、温泉あり。日本はどこにでも音を持ち出せるポテンシャルがある」

第3の矢も放つ。ポップスアーティストにクラシックの様式を持った作品を作曲させる試みだ。16〜17年にはテクノの世界的DJジェフ・ミルズのオーケストラ作品を東京フィルハーモニー交響楽団が奏でる演奏会をプロデュースした。「ポップスの世界にも才能をクラシックに発揮できる人がわんさかいる」

第1弾としてアニメ映画「この世界の片隅に」の音楽を手掛けた「コトリンゴ」に交響詩の新作を依頼した。米バークリー音楽大出身のシンガー・ソングライターだ。もとはコンピューターの打ち込みで作った作品だが、オーケストラ用の譜面に起こした。コトリンゴは「面白かったし、勉強になった」と振り返る。

19日、舞踊つきの「ダンス交響詩」としてクラシック作品などとあわせて岐阜県の高山市民文化会館で披露された。

「私自身はオタクだけど、オタクが集まるとジャンルが潰れる」と湯山は持論を語る。「クラシックオタクは『あの名演に俺は立ち会った』みたいに知識や経験でマウントの取り合いになりがち」。ファンが壁を高く築いている面も多分にある。「知識のない人も感性で聴けばいい。『私のベートーベン』『私のショパン』という楽しみができればいい」

 

 

 


 

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(4)角野隼斗 配信もリアルも縦横無尽

 

ジャンル越え 登録は90万人

 

 

「皆さん、こんにちは。かてぃんです。元気してますか?」。ピアニストの角野隼斗(すみのはやと)(26)は東京・代官山蔦屋書店のカフェバーからカメラに向かって呼びかけた。「かてぃん(Cateen)」は、自ら作編曲した作品や演奏を配信する際の名前。登録者数約90万人を誇る人気ユーチューバーだ。

 

ユーチューブにアップした「きらきら星変奏曲」

ノートパソコンを見ながら、チャットで寄せられるリクエストに応じてジャンルを問わず即興演奏を繰り広げる。「猫つながりの曲を弾こうかな」。そう切り出すと、自作の「大猫のワルツ」に、ショパンの「子犬のワルツ」や「マズルカ」まで飛び出した。同時視聴者は約9千人。普通のコンサートホールには収まりきらない。

10月には第18回ショパン国際ピアノ・コンクールで3次予選(セミファイナル)まで進んだ。2次予選での演奏の同時視聴数は同コンクールの配信としてはそれまでで最高の約4万5千。人気は今や日本にとどまらない。

プロとして歩み出したきっかけは2018年8月、国内最大規模のコンクール「ピティナ・ピアノコンペティション特級」でグランプリを獲得したことだった。東京大大学院情報理工学系研究科在学中で就職を考えていた角野はインターンとしてベンチャー企業で働いていた。出場を決めたのはピアノの師、金子勝子の勧めがあったからだ。

「大人になって音楽とピアノがただの趣味になってしまうことへの怖さがあった」と角野。金子はショパンコンクールにも「きっといいところまで行く」と太鼓判を押していたが、葛藤があった。出場を決断したのは19年。20年春、大学院を修了すると就職せずプロとしての歩みを始める。

新型コロナウイルスの影響でコンクールは1年延期された。その間、プロのオーケストラとの共演で鍵盤ハーモニカやトイピアノまで弾いたり、ジャズクラブのブルーノート東京で弾いたりした。「自分のアイデンティティーを、自由な音楽に見いだせるようになっていたところだった」

クラシックは「向かう方向がどんどん過去になってしまっている」と感じた。中でも、ショパンコンクールは権威と伝統を象徴するような存在にみえた。もつれた糸を解いたのはショパンや、彼と親交が深かったフランツ・リストだ。「彼らは当時のポップスであるオペラをサロンで弾くためにアレンジしたり、即興演奏をしたりしていた」

このことに思い至り、勇気を得た。「マズルカやワルツは、その場で生み出されたかのように、自分の言葉でしゃべっているかのように弾く」。出場する意義をようやく見いだした瞬間だ。

21年のショパンコンクールが以前にも増して注目を集めたのは、コロナの影響もあり配信で視聴する人が増えたからだ。中学3年の頃、「ニコニコ動画」に演奏動画を上げ、高校1年でユーチューブに音楽ゲームのプレー動画をアップ。「動画配信ネーティブ」の角野は、配信を一つの「文化圏」と捉える。

今のクラシック界は「生音至上主義すぎるところがある」と言う角野は、マイクを通した音楽には生の演奏とは別の価値があるとみる。映像ならではの音楽の見せ方も探る。例えば自作曲「7つのレベルのきらきら星変奏曲」。「Level 0」と表示される易しい曲から数字が上がるごとに装飾音と演奏が華麗になる。難易度が可視化され、見る者を楽しませる。

「今後、映像と音楽の関係は深めていきたい。現代音楽が実用的に生かされる映画音楽にも興味がある」と意欲は尽きない。音楽のジャンルも、配信もリアルも縦横無尽に跳び越えて、角野は自由に音を楽しみ続ける。

 

 

 

 

 

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