2021年の映画

 

 「異国情緒」脱し、世界に伍する新世代

 

古賀重樹

 

カンヌ国際映画祭で脚本賞を受けた濱口竜介監督「ドライブ・マイ・カー」

濱口竜介監督が世界を席巻した年だった。「偶然と想像」でベルリン国際映画祭の審査員グランプリ、「ドライブ・マイ・カー」でカンヌ国際映画祭の脚本賞を獲得。「ドライブ・マイ・カー」はニューヨーク映画批評家協会賞も受け、オスカーが視野に入ってきた。

欧米の濱口評は一時代前の日本映画評とは趣が異なる。黒澤明から是枝裕和まで日本映画の海外受容の際にまとわりついていたエキゾチズムの要素がない。能のよう、俳句のよう、小津のようといった、時に見当違いの決まり文句がなく、世界映画の文脈で注目されている。あたかも記録映画のような生々しい俳優の存在感に驚き、「新しく強力な映画言語を発見した」(女優のイザベル・ユペール)と評価する。

1978年生まれの濱口と同世代、さらに若い80年代生まれの映画作家が台頭した。「あのこは貴族」の岨手(そで)由貴子、「由宇子の天秤」の春本雄二郎、「二重のまち/交代地のうたを編む」の小森はるか+瀬尾夏美らだ。すでに第一線で活躍する石井裕也の「茜色に焼かれる」、今泉力哉の「街の上で」、横浜聡子の「いとみち」も力強かった。「すばらしき世界」の西川美和、「空白」の吉田恵輔は濱口より少し上の70年代半ば生まれ。日本映画の重心はこの濱口世代に移りつつある。

世界に伍(ご)するのは濱口だけではない。昨年以降だけでも同世代の深田晃司、小田香、杉田協士らが国際映画祭で評価された。いずれも独自の映画言語を探っており、エキゾチズムの要素は薄い。

そこには世界の映画状況の変化も映る。小津安二郎や溝口健二が世界の映画学校で教えられる今、世界中の新作に小津や溝口の影響がある。例えば韓国のキム・チョヒ監督「チャンシルさんには福が多いね」やフランスのA・アラリ監督「ONODA」もそう。小津や溝口はもはや異国情緒でなく世界言語なのだ。

そもそもリュミエール兄弟の発明以来、映画は容易に国境を越える表現だった。今の状況は映画が根源的にもつ世界性を回復する動きと言える。

その動きをデジタル化が後押しする。例えば世界で評価されながら商業ベースの配給に乗らなかったケリー・ライカート作品の劇場公開。突破口を開いたのはインターネットで直接交渉してデジタル素材を入手、自主上映してきた若者たちだ。

アカデミー賞も世界に開いてきた。「ノマドランド」が作品賞に輝き、クロエ・ジャオがアジア系女性として初の監督賞を射止めた。昨年のポン・ジュノ監督「パラサイト」の受賞に続き、多様性志向が明確になった。

内向き姿勢が批判されてきた東京国際映画祭も改革に踏み出した。ディレクターを交代させ、部門を改編。国内向けのイベントでなく、世界に発信する映画祭としての意志を野心的なプログラムで示した。コロナ禍のため人的交流は限られていたが、来年が楽しみだ。

パワハラやセクハラが制作や興行の現場で次々と表面化した。古い業界体質に加え、「やりがい搾取」と呼ばれる状況がある。若い働き手が去り、現場が一段と高齢化する悪循環もある。業界全体での対策が必要だ。

ジェンダーギャップへの関心が高まる中、女性監督の草分けとして田中絹代が再評価された。フランスでの全6作品回顧は各映画会社や国際交流基金の協力で実現した。

原一男監督が20年かけて制作した6時間超のドキュメンタリー「水俣曼荼羅」は日本社会の今を問うた。映画評論家の山根貞男が22年かけて編集した「日本映画作品大事典」はまさに労作だった。

プロデューサーの原正人、監督の澤井信一郎が逝った。どちらも撮影所崩壊後の日本映画を切り開いた先達だった。

 

 

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