2021年の文学
コロナ禍が問う人の距離や旅の意味
2年めに入ったコロナ禍は、人々の価値観を揺さぶった。それは2021年に刊行された文学作品にも反映されている。
金原ひとみ氏
金原ひとみの短編集「アンソーシャル ディスタンス」(谷崎潤一郎賞)はコロナ禍で注目された人と人との距離を問い直す。表題作は堕胎手術を受けた女子大生が主人公。コロナ禍で追い詰められ、恋人と心中するために旅行に出かける。
別の収録作「テクノブレイク」では女性がウイルスを恐れる結果、恋人と距離が生まれる。コロナ禍前を描いた他の3編も、性的関係を含め男女の危うさを書く点は共通するが、パンデミック中の2編は向き合い方がより鋭利になっている。
乗代雄介の長編「旅する練習」(三島由紀夫賞)は、コロナ禍で小学校やクラブが休みになったため、小説家がサッカー少女のめいと数日間の旅をする物語だ。記録することは記憶すること。パンデミックのさなかに書かれた文章は、将来ウイルスに翻弄された日々を思い起こさせるだろう。
乗代雄介氏
旅は難しくなった分、価値が高まった。リービ英雄の連作短編集「天路」(野間文芸賞)で、母を失った主人公は中国・山東省に住む友人が運転する車に乗って、チベットへと旅する。それは文化や言葉との出合いであると同時に、心を慰める経験でもあった。
人間は何者なのか。そんな哲学的な問いに挑んだ小説も心に残った。平野啓一郎の長編「本心」は、青年が生前に「自由死(安楽死)」を望んでいた母親の本心を知るため、人工知能を持つ本物そっくりの「VF(ヴァーチャル・フィギュア)」を製作する。近未来を舞台にしながら、格差など現代社会が抱える問題に果敢に挑んだ。
リービ英雄氏
人間存在を探るにあたって、平野が未来に目を向けたのに対し、宮内勝典は過去へと向かった。緩やかなつながりを持つ短編集「二千億の果実」は、化石人骨が見つかった300万年前の猿人と同じ名前を持つ若い娼婦の物語で始まる。時代と場所を往還しながら、様々な「私」が語られる。
東日本大震災から10年がたち、この未曽有の災害と新たなかたちで向き合う小説もあった。石沢麻依のデビュー作にして芥川賞受賞作「貝に続く場所にて」はドイツで暮らす「私」の前に、9年前の震災で行方不明となった友人が現れる。文学には土地の記憶をつないでいく力がある。
記憶はもちろん海にも宿る。それを感じさせるのが、村田喜代子の長編「姉の島」(泉鏡花文学賞)だ。長崎の離島に暮らす海女たちとその家族の物語。潜水艦や戦艦が沈むなど海は悲惨な戦争の記憶をたたえる一方、生命を誕生させた源泉でもあることが伝わる。
平野啓一郎氏
長期の引きこもりで子供が中高年になり、高齢の親とともに孤立する「8050問題」。この社会問題に切り込んだのが、林真理子の長編「小説8050」だ。シリアスな法廷劇を盛り込みながら、読者の共感を呼ぶ物語に仕立てている。
朝井リョウの長編「正欲」(柴田錬三郎賞)は声高になることなく、社会の常識に異議申し立てをする。多様性は大事と言いながら、そこからこぼれ落ちるものがあると教えてくれる。
今年87歳となった筒井康隆の短編集「ジャックポット」は、常に文学の最前線に立ち続けてきた作家の健在ぶりを示す。収録作「川のほとり」からは息子を失った悲しみがしみじみと伝わる。
川本直の小説デビュー作「ジュリアン・バトラーの真実の生涯」は、架空の米国人作家を創り出した力業に驚かされた。
文壇最長老で文学と愛に生きた瀬戸内寂聴、内向の世代の坂上弘、恋愛小説の名手である山本文緒が亡くなった。