経済教室

 

対コロナ、各国の価値観影響 円城寺記念賞受賞者論文

 

仲田泰祐・東京大学准教授

なかた・たいすけ 80年生まれ。ニューヨーク大博士。専門はマクロ経済学。元FRB主任エコノミスト

 

 

ポイント

○ 感染対策と経済は単純な相反関係でない

○ 日本は死者数抑制に多大な経済損失受容

○ コロナ下で生じた他の被害にも目向けよ

 

2020年12月から、感染症対策と社会経済活動の両立に関する研究をしている。標準的な疫学モデルに経済活動を追加して様々な分析をすると、感染症対策と経済は単純なトレードオフ(相反)の関係にはないことが見えてくる。

例えばワクチン接種が始まる前に、緊急事態宣言の解除基準を分析すると、以下のような形で両者は単純なトレードオフの関係にはないことが見えてきた。

宣言解除基準人数が高いと、現在の宣言が短くて済むので短期的には経済にとってよい。だが解除後のリバウンドが起きやすくなれば再度宣言を発令せねばならず、中長期的には必ずしも経済にとってよくない。逆に宣言を長く続けて感染をある程度抑えると、短期的には経済にとって大変だが、ワクチン接種までの時間を稼げる。すると、累計死者数を減少させられるだけでなく、再度の宣言発令リスクを減らせるため、中長期的には必ずしも経済にとってマイナスではない。

ワクチン接種後の感染と経済の関係を分析すると、感染拡大抑制は短期的な死者数を減少させる効果はあるが、長期的には必ずしも集団免疫獲得までの累計死者数を減らせないという気づきが得られた。これは、医療体制を一時的に拡大して次の波が大きくても行動制限をしなくて済むようにすることで、累計死者数を増やさずに経済を促進できる可能性を示唆する。

こうした知見はモデルの中での真実であり、現実の世界でどの程度正しいかはわからない。しかし中長期の時間軸で考えると感染症対策と経済は必ずしもトレードオフの関係にはないという知見には、ある程度の真実があると考えられる。

 

◇   ◇

感染と経済の関係の複雑さは、様々な国・地域で新型コロナウイルス禍でどの程度の経済損失とコロナ死者数が生じたかを眺めることからも確認できる。経済損失とコロナ死者数は国によって様々だ(図参照)。

 

地域間でのコロナ死者数と経済損失の違いはどんな要因で生まれるかという問いに現在取り組んでいる。

前述した通り、感染と経済は単純なトレードオフの関係にはない。だが各地域でのウイルスの感染力・致死率・経済政策・医療体制・緊急事態宣言を出すタイミングなどの広い意味での「制約」に関する条件を所与とすると、「経済をもう少し回すこと」と「感染をもう少し抑制すること」はトレードオフの関係にある。そして最適なバランスは価値観に左右される。

高頻度の感染・経済データを利用すると、各地域が直面している制約がある程度わかる。それにより、コロナ死者数をもう1人減らすには経済をどの程度抑制しなくてはならないかを計算できる。そして「顕示選好」という考え方を応用すると、その地域での感染抑制と経済のバランスに関する価値観が浮かび上がる。

この手法で「コロナ死者数を1人減少させるためにどの程度の経済的犠牲を払いたいか」という試算をすると、地域間で大きな違いがあることが見えてくる。

日本は約20億円、オーストラリアは約10億円で、米国の約1億円、英国の約0.5億円よりも高い。地域でも違いがあり、東京都・大阪府では約5億円だが、鳥取・島根両県では500億円以上だ。仮に1世帯の年収が500万円とすると、死者数を1人減らすために東京・大阪では年収約100年分、鳥取・島根では1万年分以上の犠牲を払いたいという価値観といえる。

冷酷非情な試算にも見えるが、似たような考え方に基づき計算される「統計的生命価値」は昔から政策に活用されている。米環境保護局(EPA)による環境政策の費用便益分析には、環境災害リスクに基づく統計的生命価値の試算が使われている。先進国のこうした分析で使われる数字は大抵数億円という規模感だ。

こうした試算は分析手法に大きく依存するため、数字自体に深い意味はない。だが鳥取県では累計死者5人の中で域内総生産(GDP)は約7%(約1500億円)落ち込み、米国では累計死者70万人以上(鳥取県の約14万倍)の中でGDPが約4%(約90兆円、同約600倍)落ち込んだ。どんな手法を用いても「制約」の違いだけでなく「価値観」の違いも地域間の違いを説明するのに重要だという結果が得られると推測する。

この数字は余命を伸ばすことの価値以外の様々な要素をとらえている。未知のウイルスへの恐怖、定量化できないリスクへの態度、後遺症への恐怖。個人的には怖くなくても同調圧力により旅行を控えるといった要素も含まれる。そうした「制約」以外の様々な要素を含むものがこの試算に表れていると考えてほしい。

毎年130万人が様々な理由で亡くなる。コロナ以外の原因による死者数を1人減らすためにどの程度の犠牲を払いたいかを、この研究では計算していない。だが日本の一部地域について計算したような多大な経済損失を、他の原因による死者数を減らすためにも受け入れるなら、社会経済活動は大きく抑制されるだろう。例えば交通事故の死者数を減らすために運転を禁止することをイメージしてほしい。日本の一部地域で、いかにコロナ死者数の減少が重要だったかがわかる。

こうした価値観を所与のものとして、今後の日本の社会経済を予測すると、他国と比べて相対的に日本はコロナ前の生活に戻るには時間がかかるといえる。一部サービス産業はコロナ前の状態には完全に戻れないかもしれない。婚姻率・出生率の低下が中長期化するかもしれない。教育・文化の国際交流の回復にも時間がかかるかもしれない。

 

◇   ◇

「危機を無駄にしてはいけない」という趣旨のチャーチル元英首相の言葉は、08年の世界金融危機の際にオバマ元米大統領の首席補佐官、ラーム・エマニュエル氏により現代によみがえった。コロナ危機前の日本社会に個人を不幸にする慣習・制度・文化があったとしたら、コロナ危機はそうした不幸せなシステムを改善するチャンスといえる。日本人は新しいことに挑戦するのに抵抗があるという主張に真実があるのなら、チャーチル氏やエマニュエル氏の言葉は重く響く。

1年半以上、人と人とのつながりが抑制された負の影響は多岐にわたる。その一例として自殺者数の増加があり、筆者のチームの試算では21年9月末までに約4400人の方々がコロナ危機の影響で自ら命を絶っている。この超過自殺者には若い世代が多く、20代の女性が約700人で最も多い。ほかにも長期の行動制限の社会への負の影響は多方面に及ぶと推測するが、コロナ禍の下で驚くほどに報道されてこなかった。

今後コロナ感染のリスクとどう向き合いたいか。将来再びパンデミック(世界的大流行)が起きたら、同じように対応したいか。そうした問いに想いをはせる際に、本稿を参考にしていただけると幸甚である。

 

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日本経済新聞社と日本経済研究センターが共催する「第6回円城寺次郎記念賞」の受賞者の寄稿を掲載しました。

 

 

 

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