グローバルオピニオン

 

「命の経済」への転換を ジャック・アタリ氏

 

元欧州復興開発銀行総裁

 

次のような光景を想像してほしい。豪華な料理が立食形式で用意された宴(うたげ)で、大勢の男女が歓談し、踊っている。参加者はご満悦だ。今後の計画を熱く語る会話があちこちから聞こえる。

 

 Jacques Attali 仏国立行政学院卒。経済学者。1981〜91年、ミッテラン大統領の特別顧問。91〜93年、欧州復興開発銀行(EBRD)の初代総裁を務めた。

参加者に1人だけ、しらふで観察眼の鋭い男がいた。宴会場はすし詰め状態だ。出口は狭い廊下の突き当たりに1つしかないうえ、小さい。すべての窓は分厚いカーテンで覆われ、どうやって開ければよいかわからない。カーテンの前には巨大なロウソク台が置いてある。ロウソクの炎は人々の動きにあおられ、不気味に揺らぐ。火災が起きれば全員が死ぬだろう。

観察眼の鋭い男にはいくつかの選択肢があった。まず、会場のマイクを使って全員に状況を説明し、一刻も早く外に避難するよう誘導するという決断だ。だが実行すれば、大勢の人々が狭い廊下に殺到してドミノ倒しになるかもしれない。慌てて逃げようとする人々がロウソク台を倒すと、火災を誘発するのは間違いない。

次に、いままで何も起きなかったのだから今晩だって大丈夫と、宴を楽しみ続ける割り切りがある。3つめは、出口近くに陣取って用心深く振る舞うことだ。最後に、無言で独り立ち去るという選択もある。今後は、ぜいたくや快楽とは無縁の世界で暮らすことになるかもしれない。

受け止め方は様々かもしれないが、こうした光景は現在の世界のたとえだ。私たちは(一部だけが堪能できる)豪華な料理がずらりと並ぶような世界で暮らす。ところが、公衆衛生や気候などの面で、無数の危機が迫る。危機が迫っても、人類は目をそらす。根拠なき割り切り、利己的な振る舞い、あきらめなどが主な態度だ。

各国の国民単位で考察すると、ほとんどの人々は刹那的に暮らし、危機を直視していないようだ。危機を察知している者もいるが、現在の楽しみを失いたくないため傍観する。同時に、いつでも地方や外国へ逃げ出せるよう準備もしている。警鐘を鳴らす者もいるが、解決策を提示しない。

結果として、モラルの退廃が起こり、パニックが発生するだろう。世界中で数百万人の人々が命を落とし、世界各地に全体主義に基づく政権が誕生することになる。世界中の誰もが「自分たちは解決策のない問題に直面している」と考えるなど、最悪の事態を迎えそうだ。地球を脱出しようと夢見る者まで出てくる。

国の単位で考えると、危機を回避するための行動を起こす国や危機をあおって大量の移民を生み自国の将来を破壊してしまう国、危機など気にしない国などが存在するだろう。国の場合でも、解決策を提示せずに白旗を上げるのは最悪の対応だ。国は、将来世代が世界や自国で暮らしやすくなるよう努力すべきなのに、国民の刹那的な暮らしぶりを放置しているのが現状といえる。

企業や家族の単位でも、考察は可能だ。人々は新型コロナウイルスや気候変動の問題などに関し、現在と未来の不安を一刀両断できる解決策はないと悟るはずだ。解があるとすれば、パニックや絶望を引き起こさずに真実を伝える方法を見いだし、早期に全員参加型の対策を練ることだ。

刹那的な「死の経済」を、(共生を重んじる)将来を見据えた「命の経済」へと転換させられれば、地球という宴での私たちと将来世代の暮らしは改善されるだろう。人類は絶滅するまで地球で暮らさなければならない。パニックや逃亡はもちろん、あきらめは解決策にならない。勝負はいまからだ。勇気を持って全力で闘うかどうかは、私たちにかかっている。

◇   ◇   ◇

欠かせぬ冷静な目

崩壊の危機をチャンスに変える。「命の経済」の重要性を、アタリ氏はたびたび訴えている。生命を守る分野を支え、雇用を増やすことで経済成長を実現する。健康などの安全や食糧、研究、教育といった領域で仕事の能力や生産性を高める。発想の転換こそが人類を救うとみている。

とっぴな考えではない。活動ぶりがドキュメンタリー映画にもなった米国の経済研究家、ジェイン・ジェイコブズの「経済の本質」(香西泰・植木直子訳)によると、経済は植物や動物などの自然と共通の法則で動いている。危機に直面すると、修正を重ねて破綻を防ぎ、成長を続ける。防御システムが働くには、正確な情報が欠かせないという。

世界では新型コロナ危機と並んで、民主主義と権威主義のあつれきが高まる。米中対立や移民・難民を巡る争い、気候変動危機も重なり、危機の深刻さや何を優先すべきかがみえにくい。パニックを起こさず、正確な情報をもとに動く。真実を見る冷静な目が、ますます求められる。

 

 

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