NIKKEI The STYLE
広がる茶室のこころ 安らぎや気付き生む現代の異空間
マンションをリノベーションしたり、オフィスやカフェに設置したり。心安らぐ上質なおもてなしの場として茶室を求める人たちが増えている。そのミニマルな造形は、ものづくりに携わる人たちの創造力も刺激するようだ。武士の時代から脈々とつくられ続けてきた茶室が現代にどう溶け込み、またどんな新しい空間を生み出しているかをのぞいてみよう。
不動産業を営む土井一満さんは、マンションの最上階をリノベーションして茶室やバーカウンターなどを設けた(東京都目黒区)
もてなしと安らぎ求めて
東京・目黒のマンション最上階にあるオフィス兼サロンで11月、土井一満さんが3人の茶道仲間を招いて茶事を開いた。不動産業を営む土井さんは2020年、オフィスの一部をリノベーションし、八畳広間の茶室があるサロンを設けた。ふすまを開くと舞台のように茶室が広がり、サロンのバーカウンターとの一体感が生まれる。
まずは露地に見立てたベランダにあるつくばいで手と口を清め、カウンターで懐石料理と酒を味わう。本来は茶室で行う初座をサロンで行った。茶道や互いの仕事の話題に花が咲く。料理を食べ終えると、客人たちは貴人口となるふすまのほうへ、一方の土井さんは反対側に設置された水屋の奥へ。ふすまの前には可動式の畳の台座があり、客人は膝をついて腰を落とし、にじりながら入室する。その気配を感じて土井さんが茶道口から現れる。
客人は茶事の最初に、まず露地に見立てたベランダにあるつくばいで手を清める(東京都目黒区)
土井さんが催した茶事では、サロンのカウンターで懐石料理や酒を供した後、茶室で薄茶の点前を行った(東京都目黒区)
主菓子を出し、薄茶をたてる。茶事としては簡略化したものだが、亭主の所作が全体を引き締める。ふくさや茶杓(ちゃしゃく)を流れるような手つきでさばき、茶筅(ちゃせん)を動かす小気味よい音が終われば、一服の抹茶が出来上がった。客の一人、松月信江さんが「ほど良い甘さでおいしい。器は何ですか?」と聞けば「岡部嶺男という戦前から戦後に活躍した陶芸家ですよ」と土井さん。このほか釜や掛け軸、茶入れなどについて和気あいあいと会話を重ねていった。
もともと茶道をたしなんでいた土井さんが茶室をつくったのは「主客が同じ時間と空間を一体となってつくり上げる『一座建立』の楽しみを自分のサロンで味わいたかった」からだ。仕事上の商談でもこの茶室を使うといい「茶の湯にまつわる文化や教養にも話が広がり、レベルの高い商談ができる」と話す。設計した椿建築デザイン研究所(東京・北)の椿邦司(くにじ)代表によると、近年海外でも茶室への関心が高まっているという。「外国から日本を訪れる重要なビジネスマンの中には日本文化に興味を持つ人も多い。一連の茶事を通したもてなしで感動してもらえれば、商談も円滑に進められる」と力を込める。
室町時代からの伝統的な茶室は数寄屋と呼ばれ、母屋から離れた場所につくられることが多い。佗(わび)茶を完成させた茶人、千利休はきらびやかな装飾よりも簡素な美しさを求めて草ぶき屋根や土壁による草庵(そうあん)風茶室をつくり、今の一般的な茶室のイメージのもととなっている。現代ではマンション住まいが増える中で、限りある空間を活用しながら茶室をつくるケースが増えている。
東京・新宿にあるカフェ「神楽坂 和茶」では、四畳半の茶室でオーナーの塚田玲実(れみ)さんが夫の豊太郎さんに一服供していた。もともと玲実さんの茶道好きが高じ3階建ての自宅の1階に茶室を設け、「茶道の間口を広げたい」との思いから19年にカフェも開業した。
入り口の少し前から露地となり、店に入るとすぐ左手に手水(ちょうず)鉢、そこから少し奥へ進むとにじり口がある。茶道口の側には水屋があり、狭い土地ながら茶事を行う動線は計算されている。カフェでは抹茶のほか、紅茶やチャイ、阿波晩茶などを提供する。営業中はコロナ下でもあり障子を開放しているが、茶会などを行う際には閉じてひっそりと静かな空間を味わえる。
大阪に単身赴任している豊太郎さんは、月に1回程度、帰京した際にこの茶室でくつろぐという。「妻がたててくれたお茶を飲むに限らず、寝そべったり本を読んだりしている。日々の雑事を忘れて落ち着ける」と話す。
カフェ「神楽坂 和茶」はオーナーの塚田夫妻の自宅も兼ねている。営業時間外に茶をたててだんらんの時間を過ごす(東京都新宿区)
建築家として茶室づくりの経験を生かし、自宅にも茶室をつくったのは、設計事務所ますいいリビングカンパニー(埼玉県川口市)の増井真也さんだ。ギャラリースペースと茶室を設け、展示やイベントに立ち寄った人を招いている。四畳半の茶室は壁2面がコンクリートの打ちっぱなし。「設計段階では漆喰(しっくい)を塗るつもりだったが、むき出しのコンクリートの感触が気に入って、肌面の仕上げを施さずにこのまま壁にしました」とほほ笑む。
南側にある窓からは日の光が差し込み、茶室空間をほの明るく演出する。10年以上茶道を習い、「どんどんのめりこんでいった」という増井さん。茶室は「家の中にあるキャンプ場みたいなもの」と表現する。暮らしの中で、妻の美香さんと茶を楽しむほか、一人でこもって仕事に打ち込むこともある。釜の湯が沸騰する音を聞きながら作業に没頭する。「キャンプで火を見つめながら酒を飲むような感覚で、自分を取り戻す時間を与えてくれる」と語る。
現代の住空間に寄り添う茶室は、使い手のさまざまな思いも受け止めてくれるようだ。
自宅に茶室をつくった増井真也さんは、パソコンを持ち込み仕事に没頭することもあるという(埼玉県川口市)
「市中の山居」趣さまざま
日本の建築史で茶室は室町後期から安土桃山時代に登場する。武家社会で書院造りと呼ばれる建築様式が隆盛する。床の間などの座敷飾りを備えた応接空間がつくられ、段差で主従関係を示す広間が屋敷の中心となる。
一方で茶や書画などを楽しみ、趣味の合う人と垣根なく共有する場もつくられた。客人をもてなすための母屋から離れた私的な空間が生まれ、茶室として発展していく。離れに向かう露地や、くぐることで世俗の身分を取り払うにじり口などが築かれ、伝統的な茶室の要素として受け継がれる。
武者小路千家15代家元後嗣の千宗屋さんは「茶室はもともと建築家や大工ではなく、茶人が自分の好きなお茶を楽しむために自分の好きなようにつくったもの」と指摘する。佗茶を大成させた千利休は、民家で使われるような素朴な丸太や土壁を好んだ。一方で豊臣秀吉は天皇に茶を献じるため「黄金の茶室」をつくった。そんな自由な精神が現代の建築家やアーティストらを魅了し、新たな茶室が生み出されている。
禅宗寺院で多くの茶人が関係を持った京都の大徳寺。大慈院の住職、戸田惺山さんは竹でつくった持ち運びできる茶室「帰庵(きあん)」を2014年に考案し、街中に出現させる。細い骨組みにござを敷いただけで内と外を隔てる壁はない。茶室の理想とされる「市中の山居」を転換した。「茶室は街中でも山里の自然を感じさせるよう庭の奥にひっそりと置かれることが多い。しかし人工的な庭でなく本来の自然に、我々の側が歩み寄ってもいいのではと考えた」(戸田さん)
10月、鴨川の川辺で帰庵による茶会が開かれた。中に入ると地面に座った視点からの景色が新鮮で、川のせせらぎや木々の葉擦れが鮮明に聞こえる。戸田さんは、物珍しそうに見つめる通行人を笑顔で手招きし茶を振る舞う。友人と京都市内を観光中だった秋山あいさんは「時間が止まっているようだった。秋の虫の声や野鳥の声が混じって、周囲でランニングする人やトラックの音でさえいとおしいと感じた」と語る。
戸田さんは、パリのエッフェル塔前やロサンゼルスの美術館などでも、帰庵で茶会を開いてきた。「お茶をたてて飲む間、その場所をゆっくりと味わうことで目の前の風景の違った表情が見え、周囲に溶け込む様々な自然が発見できる」と戸田さん。その視点は禅の精神にも通じる。「人を妬んだり、世の中に流されたりせず、自分がいま座っている場所を感じてほしい」
竹の骨組みだけでつくる茶室「帰庵」。大徳寺大慈院の戸田惺山住職は「真っすぐな角材より、節やしなりがある竹のほうが心がくつろぐ」という(10月、京都市)
斬新な「硝子(ガラス)の茶室 『聞鳥庵(もんどりあん)』」をつくったのは現代美術家の杉本博司さんだ。このほどベネッセアートサイト直島のホテル「ベネッセハウス パーク」(香川県直島町)に恒久設置が決まった。もともと14年のベネチア・ビエンナーレに際し、現地のガラス工芸や街を巡る水路に刺激を受けて制作・発表し、ベルサイユ宮殿や京都市京セラ美術館を巡回してきた。「書画を掛ける代わりに茶室から見晴らせる空間そのものを絵画と捉えた。各地で設置し、どう見えるかを研究するのが面白かった」と杉本さんは語っている。10月、千宗屋さんが亭主となり茶室開きが行われた。
海に浮かぶかのようなたたずまいの中に、亭主と客人の一挙手一投足が見て取れる。千さんは透明だがガラスという物体で囲われた聞鳥庵ならではの異空間が成立するという。「中に入れるのは一人二人だが、集まった人たちが点前を見守ることで周囲も含めた独特な一体感が生まれる」
ベネッセアートサイト直島のホテル「ベネッセハウス パーク」に設置された硝子の茶室「聞鳥庵」。10月の茶室開きでは、千宗屋さんが直島町長の小林真一さんに点前を披露した(香川県直島町)=三村幸作撮影
建築家の藤森照信さんは、外界と隔てられた異空間という茶室の特性を、地面から離れた高所に設置することで究めてきた。長野県茅野市にある「高過(たかすぎ)庵」、「空飛ぶ泥舟」などで知られる。「にじり口を経ることで小さな空間でも極大に感じられる」(藤森さん)。はしごをつたって高所に登ると入りづらさが増してその作用が増幅できるという。そんな藤森さんが若者にも茶室の魅力を知ってもらおうと今年、大阪芸術大学短期大学部の学生らと茶室づくりに取り組む「茶室プロジェクト」を始めた。藤森さんが設計し、学生は茶室の歴史や精神を藤森さんから学びながら部材づくりに携わる。年明けにもキャンパス内の庭に3bほどの高さのある二畳台目の小間を設置する計画だ。
焼杉や銅板、漆喰など様々な素材を使うが、藤森さんが注目するのが同大学のガラス工芸だ。「割ったガラスを組み合わせて一枚の壁に仕上げる。教会のステンドグラスのような神秘的な印象になるのでは」と藤森さん。プロジェクトに参加したデザイン美術学科でガラス工芸を専攻する嶋津瑠奈さんは「茶室と言えば静のイメージだったが、ガラスを使うことで華やかさも出てくる。振れ幅があって、自由にできるのが茶室なんだと感じている」と話す。
プロジェクトでは藤森さんと学生たちが、銅板や焼杉などの部材制作に取り組む(兵庫県伊丹市の大阪芸大短期大学部伊丹学舎)
茶室プロジェクトの完成イメージ。地上から約3bほどの位置に茶室を設ける
茶室でなにより重要なのは「亭主の身体の延長であること」と千さんは強調する。客人をもてなす心を受け継ぎつつ、新たな解釈や発想を加えていく茶室は、日常では味わえない豊かな気付きを与えてくれるだろう。