アートレビュー

 

イタリアオペラの神髄、日本にも 指揮者ムーティ語る

 

 

ウィーン・フィル日本公演を指揮するムーティ(11月3日)=サントリーホール提供

新型コロナウイルス下の2021年、イタリアの世界的指揮者リッカルド・ムーティが2度の来日を果たした。自らが考える音楽の力や、ライフワークとするイタリアオペラの伝道などについて語った。

「音楽は喜びや希望、平和、人間愛をもたらす」「音楽家というのは職業ではなく使命」。21年初、ウィーン・フィルと臨んだ無観客ニューイヤー・コンサートで、全世界に向け訴えた。

10年来同じメッセージを発してきた。音楽は言葉を必要としない素晴らしい芸術だ。言葉には解釈の余地があり、異なる立場や相反する立場をとらせることもある。

11月の来日中、ウィーン・フィルと中高生のためのコンサートで、メンデルスゾーンの「イタリア」を演奏した。北ドイツ生まれの作曲家が、イタリアに恋し、光や色、香りを音楽に表現しようとした。その作品をオーストリアの音楽家たちがイタリア人の指揮で演奏し、日本の若い人たちが聴く。異なる文化の人々を一つにする力が、音楽にはあると思う。

私は1997年、紛争終結直後のボスニア・ヘルツェゴビナのサラエボでイタリアと現地の音楽家を指揮し、ベートーベンの「英雄」を奏でた。ケニアでも現地の音楽家と共演した。音楽には平和をもたらす力さえあると信じている。世界各地が戦地にならないために、各国は文化に投資すべきだと訴えたい。

グローバル化によって人間の根っことなる文化的、精神的な世界が毀損されている。もちろんお金は大事だが、経済に気持ちが走りすぎている。人間が野生化してしまう危険な兆候だ。新型コロナでも、文化は随分と痛めつけられた。肉体と精神は一体で「健康」がある。医者だけでなく、芸術家も大切な存在だ。

ウィーン・フィルの中高生向け公演で話すムーティ(11月11日)=サントリーホール提供

20年6月、イタリアでいち早くコンサートを再開。21年8月にはオーストリアのザルツブルク音楽祭でベートーベン晩年の傑作「ミサ・ソレムニス」を80歳にして初めて指揮した。

ミサ・ソレムニスは20年9月にシカゴ交響楽団と演奏する予定だったがキャンセルになり、その時間を勉強に充てた。この曲は富士山のように、とても高いところに頂上がある。初めて勉強したのは1970年のことだが、作品のメッセージに思いを巡らすと、恐れ多くて演奏できない。何度も何度も途中で諦めた。

音楽と人生の経験を積み、やっと「今かな」と思えた。指揮技術の問題ではない。トスカニーニは「テンポを刻むことならロバだってできる」と言った。ウィーン・フィル、ウィーン国立歌劇場の合唱団と一緒だったことが幸いだった。

不可能に挑んだことは感慨深いが、私は古いタイプの指揮者だと思う。最近は20代で「第九」を指揮する人もいる。才能があるのだろうが、私は常に「まだまだ」と思ってきた。世の中、変わったということだろう。

21年はコロナ下にあって2度来日した。4月は「東京・春・音楽祭」で「イタリア・オペラ・アカデミー」などを開催。11月にはウィーン・フィルとツアーを行った。

何よりも日本と日本人を愛している。1975年にウィーン・フィルと初来日して以来、聴衆のレベルも上がってきた。非常に厳しいが、同時に尊敬の気持ちも持ってくれる。将来、お化けになっても来たいほどだ。

 

Riccardo Muti 1941年イタリア・ナポリ生まれ。71年カラヤンに招かれザルツブルク音楽祭でウィーン・フィルハーモニー管弦楽団を指揮。同楽団との関係は50年に渡る。86〜2005年ミラノ・スカラ座音楽監督。10年から米シカゴ交響楽団音楽監督。 c Todd Rosenberg Photography - courtesy of riccardomutimusic.com.

イタリアオペラは世界で乱暴に扱われている。特にヴェルディの「リゴレット」「ラ・トラヴィアータ」などは、歌手が喝采を浴びたいがために、勝手に高く歌ったり音を伸ばしたりする。モーツァルトやワーグナー、R・シュトラウスでこんな改変をするだろうか。これはイタリア文化への侮辱だ。私はイタリアだけでなく、日本でも神髄を伝えたいと思っている。

歌心や感情表現を否定しているわけではない。私が師事したアントニーノ・ヴォット先生は、トスカニーニの下で学んだ。そのトスカニーニはヴェルディの指揮のもとでチェロを弾いた。トスカニーニがヴェルディから学んだのは、作曲家の意図を忠実に守らなければならないということ。指揮者の仕事は、作曲家への献身である。

若い指揮者はそのことをよく分かってきた。日本人ではシカゴ響でアシスタントを務めた八嶋恵利奈(35)と、19年のオペラ・アカデミーに参加した沖澤のどか(34)。この2人の女性指揮者は素晴らしい。若い演奏家による「東京春祭オーケストラ」も私のアイデアを即座に理解してくれる。

今後やりたいことは千も万もあるが、若い世代の教育には力を入れたい。そのために日本にも来る。だが「芸術は長く人生は短し」。100歳まで指揮したとしても、私が達成できることはほんのわずか。それほど芸術というものは偉大だ。

 

 

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