人生100年の羅針盤

 

倍賞千恵子さん 年齢なんて、数字に過ぎない

 

 

ばいしょう・ちえこ 1941年東京生まれ。茨城県に疎開した後、東京都北区の下町で育つ。松竹歌劇団(SKD)を経て銀幕デビュー。山田洋次監督の「下町の太陽」で主演して以来、「男はつらいよ」「家族」「故郷」「幸福の黄色いハンカチ」など山田作品の常連に。94年にロケ地だった北海道別海町に別荘を建て、横浜の自宅と行ったり来たりの生活を続ける。三浦秀行撮影

 

映画「男はつらいよ」シリーズでは風来坊の兄をけなげに支える異母妹さくらを演じ続けた。演技にも、容姿にも、下町育ちの親しみやすさがあふれている。決して偉ぶらず、誰からも愛される庶民派の俳優。元気の源は「無理しない自然体の生き方」だという。

 

――今年6月で80歳を迎えました。「人生100年時代」と言われますが、自分の年齢や残りの人生を意識することはありますか。

「あまり意識していないかもしれませんね。若い頃は『60歳で死ぬ』なんて根拠もなく言っていたけれど、80歳になっても元気だし、気持ちは若い頃と変わらない。年齢なんて、ただの数字にすぎないんじゃないかなと思ってます」

――新型コロナウイルス禍を体験したことで仕事や人生の考え方に何か変化はありますか。

「昨年はコンサートや講演会がすべて延期になり、改めて自分にとって仕事で何が重要かを見つめ直してみました。そこで次々と要らないものをそぎ落としたら、残ったのはやはり俳優と歌手。1つだけに絞らずに続けてきて、本当に良かったなと思います」

「人との出会いの大切さも実感します。下町で近所付き合いする横の世界で育ったから、映画デビューしてマンション暮らしを始めたときは少し寂しかった……。だから有名だとか、職業がどうとかは関係なく、皆が平等な立場で力を合わせて人生を楽しむことが自分の生きがいになっています」

「横浜の自宅マンションでも、北海道の別荘でも、近所の人や知人たちと一緒にお金を積み立てて旅行したり、ペットを世話し合ったりするのがすごく楽しい。人生100年時代。仕事を離れ、気軽な友人の輪がどれだけ広がるのか。いつもワクワクしています」

――どんな死生観をお持ちですか。生きがいとは何でしょうか。

「数年前、ある住職さんに『死ぬこととは何か』と聞いたら、『死ぬこととは生きることです』と言われてハッとしました。考えてみると、人はいつか必ず死ぬけれど、逆に死ぬ瞬間までは生きているわけです。だから生と死はつながっている。ほとんど変わらない」

「そしたら肩の力がスッと抜けて、『そうか! これまで通り、死ぬまで出会いを大切にし、目の前の人に尽くし、今という時間を精いっぱい楽しめばいいんだ』と思えるようになりました。無理せず、頑張らず、自然体でいることが大切なんだなと感じています」

――実践してきた健康法は。

「これまで腎臓結石になったり、脊椎を痛めたり、乳がんになったり、病気には苦しみましたが、歌や踊り、演技のレッスンが良い健康法になっています。自宅のお風呂でもよく大声で歌いますよ。好きなことに熱中し、友人や夫と楽しく人生を過ごす。そんな環境が最高の健康法かもしれませんね」

 

松竹歌劇団(SKD)時代、「東京踊り」でバトンガールを演じ、松竹に女優としてスカウトされた=本人提供

 

人の絆を作る「下町」にヒント

「男はつらいよ」の台本を初めて見たとき、自分が育った下町を思い出したという。根無し草の兄、団子屋のおいちゃん、おばちゃん、印刷工場の社長……。描かれていたのは隣近所が肩を寄せ合って生きる「疑似家族」の姿だった。

ところが近年は核家族化がますます進み、近所同士で交流したり、遊びに出かけたりする機会がめっきり減った。家族や親族も含めて人間関係が希薄になり、高齢者の孤独死なども頻発している。

倍賞さんは実生活でも近所付き合いを欠かさない。血のつながりがなくても人間の絆は作れる。介護、防犯、生きがい……。問題の処方箋は、かつて当たり前だった下町の風景に隠されている気がする。  

 

 

 

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