時論・創論・複眼
新しい働き方を支えるには 識者に聞く
青野慶久氏/黒田祥子氏/嶋崎量氏
新型コロナウイルスの感染防止策として、テレワークなど新しい働き方が広がった。仕事の時間配分を働き手が決める裁量労働制の対象を広げる議論もある。働いた時間や場所でなく、成果で評価する動きが進めば生産性も改善する。新たな流れを後押しする環境づくりについて聞いた。
百人百様、選んで責任感 サイボウズ社長 青野慶久氏
あおの・よしひさ 94年阪大工卒。松下電工(現パナソニック)を経て、97年にグループウエアを手掛けるサイボウズを設立
サイボウズでは創業当初は残業も多く、離職率が20%を超えた年もあった。人材を定着させるため短時間勤務やテレワークなどを幅広く認め、働く時間や場所の選択肢も段階的に増やした。2018年には「働き方宣言制度」を導入した。上司と相談しながら、勤務日や所定労働時間などを自ら決め、その働き方をオンラインで全社員が共有する仕組みだ。
これによって100人100通りの働き方が可能になった。育児や介護のため1日のうちで働く時間を分ける人もいれば、大好きな広島カープの応援のために早退する人もいる。裁量労働制を選択する人もいれば、週休3日にする人もいる。コロナ下ではテレワークを活用した移住が増えた。今では10人以上が地方からの遠隔勤務になっている。働き手の満足度は高まり、離職率は低下した。
サイボウズの働き方のキーワードは自立だ。働き手が自分にとってベストの働き方を考え、決める。自ら選んだ働き方だからこそ責任感が強まり、仕事に熱意を持って取り組むことができるようになる。会社が働き方を押しつけるようなやり方は機能しない。意に沿わない海外転勤などで自立できるはずがない。
働き方の制度改革は「マルかバツか」で決められないことが多い。たとえば裁量労働制の拡大の是非が議論されているが、一番重要なポイントは裁量労働で幸せになる人もいれば、そうでない人もいるということ。裁量労働の結果、長時間労働になる人が出るリスクはあるし、そういう人へのケアが必要なのは当然だが、選択肢自体は幅広く認められるべきだ。
昔ながらの労働時間管理で成果が上がるならそれでいいが、日本の多くの会社が生産性や意欲の低下に悩んでいる。今の働き方で幸せになれない人がいるのなら、そういう人が幸せになれる働き方を提案できるよう、いろんな引き出しを用意した方がいい。ただそれは働き手に選ぶ権利を与えるというのが大前提だ。経営者が裁量労働制を強要するのでは、残業代減らしなどに悪用されかねない。
テレワークの長期化でメンタルヘルスの悪化なども指摘される。その対策としてはテクノロジーの活用も有効だ。サイボウズではグループウエア上で約1千人の全従業員のスケジュールを共有している。極端に労働時間が長くなる人には管理職が直接改善を促している。
新入社員はオンラインで自分の「日報」を公開する仕組みもある。仕事で困ったことがあれば声を上げて周囲の助けを求めやすくなる。自立する力を高めるトレーニングでもある。日報の内容に同僚や上司が「いいね」をつけるなどして一体感も高めている。
働き方改革の基本は多様性だ。幸せの形は人それぞれ。一律だとうまくいかない。自分と異なる同僚の働き方が刺激になり、それがさらに個々の働き手の自立につながる。ここまで来るのに15年かかったが、今後も社員の働く幸せを高めるための仕組みの改善を進めていく。
時間管理、各労使で議論 早大教授 黒田祥子氏
くろだ・さちこ 慶大経卒、博士。専門は労働経済学や応用ミクロ経済学。労働時間制度に関する厚労省検討会メンバー
コロナ禍でテレワークが定着した結果、労働時間管理は難しくなった。在宅勤務で実際に机に向かってどのくらい働いているのか、パソコンのログ管理だけでは把握できない。テレワークでは決まった時間に仕事を始めて、決まった時間に終えるという仕組みは意味をなさなくなる場合もある。長時間通勤からの解放を喜ぶ働き手からはテレワークの継続を求める声が強い。従来の厳格な労働時間管理規制は、テレワーク普及の足かせになりかねない。
現在の労働時間法制は改良の余地は大きい。
(あらかじめ「みなし労働時間」を定める)裁量労働制については、企画や調査業務を対象とする「企画型」について導入のハードルの高さを指摘する声は多い。2019年に導入された「高度プロフェッショナル制度」は、特定の業務や年収など一定の条件の下、労働時間規制の対象外とする仕組みだが、制度導入時に大きく議論されたのに利用は低調だ。既存制度との違いが分かりにくかったことも一因だろう。
労働時間管理について企業が活用しやすい、よりシンプルな制度体系を考えた方がよい。
裁量労働制については、長時間労働の懸念が指摘されている。今年6月、厚生労働省が発表した調査では、裁量労働制の人はそうでない人に比べて労働時間は長かったが、職種などを合わせて比較した場合、労働時間の差は週当たり1.3時間程度で、睡眠時間は裁量労働の方が若干長かった。すべての人が極端な長時間労働になるわけではないというのは大きな発見だった。制度改革にあたり、議論の基盤となるデータをしっかり見ていくことも大切だ。
日本では近年、週60時間以上働く労働者は減ってきた。働き過ぎの弊害が共有されたことに加え、19年4月に残業時間の上限規制が導入されたことが大きい。コロナ下でもこの傾向は変わっていない。
一方、時間上限ギリギリまで働く人は高止まりしている。日本は長時間労働をいとわない人を評価する社会的規範がなお強固だ。「法律に違反しなければいいだろう」と考える企業は少なくない。だが高齢化も進むなか、長く頑張る人だけが報われる働き方は持続可能ではない。法律で大枠を決めた上で、仕事の内容や健康に配慮して、労使が個別に望ましい働き方を議論していくのが理想的な姿だ。
日本の労働市場は変化がゆるやかだ。東日本大震災も働き方が大きく変わるきっかけになるといわれたが、震災の翌年には元に戻った。コロナ前に後退しないためには、働き手の声を制度改革に反映していく必要がある。
コロナ下で副業やギグワークに挑戦する人も増えたが、労働時間管理の負担を理由に働き手に認めていない企業も多い。政府は副業推進にカジを切ったが、そのためには労働時間管理の仕組みも変える必要がでてくる。ポスト・コロナでどういう働き方を目指すのか、幅広い視野に基づく議論が重要だ。
在宅ゆえの負担 軽減を 弁護士 嶋崎量氏
しまさき・ちから 中大法卒。日本労働弁護団常任幹事、ブラック企業被害対策弁護団副事務局長。様々な労働事件で労働者を弁護
新型コロナウイルスの流行が収束した後も、テレワークは定着するだろう。ワークライフバランスの向上などのメリットについて語られることが多いが、テレワークであるからゆえに発生する新たな課題を見逃してはいけない。
長時間労働につながりやすいうえ、従来働くことを想定していない家で仕事をすることにより、労働者には心身共に大きなストレスがかかる。
例えば子供の世話など予期せぬタイミングで仕事を中断する必要が生じるが「仕事が時間通り終わらないのは自分のせいだ」と考えて会社に申告せず長時間働いてしまうケースも多い。私生活と仕事が分離できないことをストレスに感じることもあるだろう。
企業はオフィスで働くのと同様にきちんと労働時間を管理し、長時間労働の防止に取り組むべきだ。働く場所や時間が自由になっても、企業が従業員の労働時間や健康を管理する法的義務はある。なぜ長時間になるのかや、働き過ぎを防ぐにはどうすべきなのかについて、業務の負担量も含めてきちんとコミュニケーションをとることが重要だ。
労働環境についても、通信費や機器の代金に対して自宅で働くために必要な経費を手当として支給するなど、企業が一定程度負担すべきだ。
法律上、オフィスで働く場合は、働くための環境整備について企業が負担する義務があるが、テレワークでは厚生労働省のガイドラインで示している程度だ。私的な空間を提供させているのだから、企業は一定の対価を支払う必要があるだろう。今後テレワークが本格的に浸透すれば、企業に負担を求めたいと考える労働者も増えるはずだ。
企業側からはよりテレワークを使いやすくするために裁量労働制を拡大すべきという意見もある。表向きには働き手自身が仕事の進め方と時間配分を自由に決められるというものだが、労働時間をあいまいにし、賃金を安く抑えるという目的で利用しようと考える経営者も少なくない。
忘れてはいけないのは裁量労働制を導入したからといって、労働時間を管理しなくてよいわけではないということだ。企業には従業員の健康を管理する法的義務もある。
そもそも単に時間の使い方に裁量を持たせるのが狙いなら、フレックスタイムを利用するなど裁量労働制を導入しなくても可能な場合も多い。裁量労働制でも上司から細かな指示をうけているなど「普通の労働者」と変わらない場合も少なくない。厚労省の調査によれば、裁量労働制の労働者の約1割が「仕事の裁量がない」と回答している。
裁量労働制では実際に何時間働いても「みなし」時間働いたとされてしまい、実際の労働時間が「みなし」より長くなる悪用事例も多い。悪用を防ぐため、例えば実際の労働時間が恒常的に「みなし」時間を超過する場合、裁量労働制の適用から外れることを法律上明記すべきである。
長時間労働は労働の質の低下にもつながる。従業員が良いパフォーマンスをあげるために、きちんと労働時間を把握することが重要だ。
〈アンカー〉コロナ下の前進、定着させる改革を
コロナ禍は日本の働き方改革の歩みを一気に加速させた。富士通や日立製作所はテレワークを標準的な働き方として位置づけ、NTTグループやカルビーは転勤や単身赴任の見直しに踏み込んだ。ワークライフバランスは改善し、生産性の向上について得られた示唆も少なくない。
一方、かねての懸案である労働法制の改革は前進していない。成果ではなく時間に応じて賃金が決まる「時間給」の枠組みは揺るがず、裁量労働制拡大の議論も緒に就いたばかり。解雇規制改革の議論も進んでいない。岩盤は厚い。
コロナ感染の拡大が一服し、一部企業ではオフィスへの出勤を主体とするなどコロナ前に回帰する動きも始まった。コロナがもたらした望ましい変化を一時的なものとせず、定着させるための制度改革が急がれる。