習氏こそ中国のリスク 個人崇拝の悲劇、歴史が示す
ギデオン・ラックマン
中国の子供たちは間もなく、10歳という低年齢から「習近平(シー・ジンピン)思想」を必修科目として習うことになる。まだティーンエージにもならない児童たちに、習国家主席の人生について様々な話を学ばせ、「習おじいさんはいつも私たちのことを考えてくれている」と理解することが求められる。
イラスト James Ferguson/Financial Times
この事態は現代中国への警鐘とみるべきだ。国家主導で習氏を敬うことは、毛沢東への個人崇拝、そして毛沢東が進めた大躍進政策と文化大革命がもたらした飢餓と恐怖の時代をも思い起こさせる。
個人崇拝と共産党支配という組み合わせは、スターリン統治下のソ連から、チャウシェスク大統領のルーマニア、金一族の北朝鮮、カストロのキューバに至るまで、たいていは貧困と蛮行を生む。
今の中国が抱える富とその発展ぶりを考えると、こうした例とは無縁に思えるかもしれない。確かにここ数十年の中国の経済的変容には目を見張るものがある。そのため中国政府は、世界が見習うべき発展モデルとして「中国モデル」を宣伝するようになった。
なぜ国家主席に任期制限が定められたのか
しかし、「中国モデル」と「習モデル」は区別する必要がある。ケ小平が軌道に乗せた改革開放の中国モデルは、個人崇拝の否定を基本にしていた。ケ小平は官僚らに「実事求是(事実に基づいて真理を追究すること)」を求めた。政策を毛沢東が出した壮大な宣言に基づいて決めるのではなく、どの政策の何が機能しているのかという現実的な経過観察を重ねながら判断していく重要性を説いた。
官僚たちが新たな経済政策を試みられるようにするには、絶対権力と結びついたドグマや、それを守らないと自分がパージされるという恐怖から官僚を解放しない限り難しいと理解していたからだ。
だからこそ1982年には国家主席に任期を設け、いかなる指導者も国家主席を務めるのは最長2期10年までとした。ケ小平(編集注、97年死去)以降、93年から国家主席を務めていた江沢民氏は2003年に胡錦濤氏へ、胡錦濤氏も2012年に総書記を、その翌年に国家主席を習氏へと権力を規定通り移譲した。
一党独裁国家では、後継問題がしばしば深刻な問題として浮上する。任期制限の導入には、その問題を回避する狙いもあった。そして以来、1人の指導者によるカリスマ的支配より、中国共産党の集団による指導体制が重視されるようになった。
しかし、習氏が国家主席に就任して以降、中国共産党は再び個人崇拝を重んじるようになった。17年の中国共産党大会では、「習近平思想」なるものを党規約に盛り込んだ。
過去、在任中にこのような栄誉ある扱いを認められた指導者は毛沢東しかいない。さらに18年には、ケ小平時代に決められた国家主席の任期制限が撤廃され、習氏にとっては終身ではないにせよ、20年でも30年でも支配を継続できる大枠が整った。
習氏への個人崇拝強化という最近の動きは、22年の中国共産党大会に向けた下準備にみえる。習氏が党を支配している以上、この党大会は無期限に最高権力を握り続けたいとする習氏の野望に対し、正式なお墨付きを与えざるを得ない。
習氏の思い通りに事が進むのはほぼ確実だ。習氏の支持者や党内のその熱烈な一派は、この動きを大歓迎するだろう。そうしないわけがない。中国の指導者は"賢帝"ということになっているからだ。賢明な指導者は、中国の現代化に向けあらゆる正しい判断を下すはずだ、と。
確かに習氏が展開してきた腐敗撲滅運動や強気な外交政策などの代表的な政策をもって、同氏を皇帝に匹敵するリーダーとみなすことは可能だ。最近の格差縮小に向けた政策や中国の巨大テック各社を抑え込む政策も正当化できるかもしれない。
偽善と恐怖が染み込む現体制
だが、こうした政策はどれも、容易に間違った方向に進み得る。台湾を脅すことは米国との無用な対立を招きかねない。中国の巨大テックへの締め付けを強めれば、民間企業経営者らを萎縮させ、民間部門の活力を奪いかねない。
最もやっかいなのは、事態が悪化した場合、その事実を自由に公的に指摘することが難しくなる点だ。個人崇拝とは、どんなケースでも、その偉大な指導者が周りの誰よりも賢明な人物であるというのが前提になっている。従ってその指導者が間違いを犯すはずがない、というロジックになる。
中国で新型コロナウイルスのパンデミック(世界的大流行)への習氏の対処を批判した者は刑務所に送られた。習氏の中国ではパンデミックについて公的調査が進むことも、議会での公聴会が開かれることもない。
また、習氏への個人崇拝は、中国の教育を受けた中間層や政府高官らにとっては本質的に屈辱でもある。彼らは習氏の思想を毎日、特別なアプリを使って学ぶことを義務付けられている。習氏の思索に対し尊敬の念を表明し、「澄んだ水と緑の山は金山銀山にほかならない」といった習氏の好む言葉を唱えることが求められる。
これをとんでもないとか失笑に値すると思う者は、賢明にもその考えを口にすることはないだろう。つまり、習氏の個人崇拝が進む中で中国の体制には今、偽善と恐怖がどんどん染み込みつつあるということだ。
チェック・アンド・バランス不在の問題点
習氏が指導者でいる期間が長引けば将来、必ず権力の継承を巡って危機が来る。現在68歳の習氏が高齢となれば、どこかで、統治するにはふさわしくなくなる。だがその時に、どうすれば習氏を退任させられるのか。
習氏の自らを個人崇拝させ、実質的に「終身支配者」になろうとするこの厄介な動きは、世界にも広がっている。ロシアのプーチン大統領も改憲を強行することで、80歳を超えても大統領の座にとどまろうとしている。米国のトランプ前大統領も、中国と同じく米国も大統領の任期制限を撤廃すべきだという"冗談"を羨望を込めてよく口にした。
ただ、米国には権力に対するチェック・アンド・バランスの仕組みがあり、これによってトランプ氏の最悪の欲望は抑え込まれてきた。中国のように、独立した司法も、選挙も、報道の自由もない国では、国家のトップを絶対化していくのを阻むものがない。だから今や習氏こそが中国にとっては危険な存在となっている。