高崎経済大学・三牧氏に聞く対テロ戦争20年

 

バイデン演説で露呈した「アフガン撤退」の詭弁

 

 

みまき・せいこ/2003年3月東京大学教養学部卒業。日本学術振興会特別研究員、米ハーバード大学ウェザーヘッド国際問題研究所アカデミックアソシエイト、米ジョンズホプキンズ大学AICGS/SAISフェロー、米カーネギー・カウンシルEthicsフェロー、関西外語大学助教を経て、2017年から現職。著書に「戦争違法化運動の時代 『危機の20年』のアメリカ国際関係思想」、共訳・解説に「リベラリズム 失われた歴史と現在」など。

 

 

2001年のアメリカ同時多発テロ後、米大統領は世界に2択をつきつけた(写真:dpa/時事通信フォト)
アフガニスタンでの国家建設失敗と、瞬く間に招いてしまった武装組織タリバンの復権――。2021年8月末のアメリカ軍完全撤退後、「他国を造り替えるための軍事作戦は終わりだ」と、バイデン大統領は国内外に宣言した。
アメリカが20年にわたって繰り広げた対テロ戦争とは何だったのか。そして、国際戦略にはどんな変化が起きているのか。国際関係論やアメリカ外交を専門とする高崎経済大学の三牧聖子准教授に話を聞いた。

 

 

――8月31日、バイデン大統領はアフガニスタンからの完全撤退完了について演説を行いました。

バイデン大統領は、「20年という区切り」を強調し、そもそも「戦争の目的は、アメリカと同盟国へのテロ攻撃を防ぐことだった」と撤退を正当化した。しかし、20年間のアフガニスタン戦争で追求されたのは、決してこのような限定的な目的だけではなかったはずだ。真摯な発言ではない。

2001年のアメリカ同時多発テロ後、ジョージ・W・ブッシュ大統領は「世界はわれわれにつくのか、テロリストの側につくのか」と、単純な二択を突きつけ、アフガニスタン戦争を始めた。9.11直後は、本来は報復感情に突き動かされた性急な武力行使に批判的であるべき知識人を含め、アメリカ全体が愛国ムードに飲み込まれた。

確かに国際テロ組織アルカイダの犯行は非常に卑劣で、許しがたいものだった。しかし、彼らをかくまったタリバン政権に対し、しかもアフガニスタン市民を広範に巻き込んだ戦争を展開してよかったのか。もっと批判的な意見、冷静な態度があるべきだった。

 

戦争目的をどんどん拡大

さらに、戦争目的を拡大していったのはアメリカだ。開戦の翌月には、ファーストレディのローラ・ブッシュ氏がラジオに登場し、「アフガニスタン戦争は対テロ戦争というだけでなく、(タリバン政権下で迫害されている)女性の権利と尊厳をめぐる戦争でもある」と演説を行った。その後、戦争が長期化する中、アメリカは、アフガニスタンに「近代国家をつくる」「民主主義を植え付ける」と目的をどんどん拡大し、戦争を正当化していった。

今回、バイデン大統領が、あたかも国家建設や民主主義などは最初から目的ではなかったかのように、「戦争の目的はテロ防止に限定されていた」と撤退を正当化したことは、こうした経緯を意図的に忘却するものだ。

 

――イラクもそうですが、アメリカが外からやって来て、民主的な国家を建設するというのは、言うは易く行うは難しいですね。なぜアメリカはそれを簡単にできると考えがちなのでしょうか。

第2次世界大戦後の日本という「成功例」があることも1つの理由かもしれない。しかし、日本の場合、大戦前から欧米のさまざまな影響の下、近代的な国家作りが進んでいた歴史があり、むしろそれは例外的だ。それ以外の国・地域でアメリカが試みた民主国家建設はほとんどうまくいったためしがない。

これは、アメリカがもっと関与していれば成功したといった程度の問題ではなく、欧米とは異なる歴史や文化を持つ国々で、そもそも欧米型の近代国家建設の土壌が乏しかった。こうした歴史的・文化的な深い理解がアメリカには欠けていた。

この数十年のアメリカは、民主主義を世界に「輸出」する、非民主主義国家を「レジームチェンジ」するといった観念にとらわれ、世界各地で介入してきた。しかし、つねにアメリカの姿が介入主義的であったわけではない。第2次世界大戦前のアメリカで支配的だったのは、「海外紛争には関わりたくない、世界の警察官にはなりたくない」という孤立主義だった。

しかし戦後、グローバルな米ソ冷戦を背景に、世界への大々的な関与の時代を迎えていく。国際政治学では、戦後にアメリカを中心に形成された国際秩序は、「リベラルな国際秩序」と呼ばれる。もっとも、「リベラル」というと、もっぱらポジティブな意味が強調されるため、少し注意が必要だ。

確かに国際連合をはじめ、さまざまな国際組織や多国間協定が形成され、アメリカの行動も多国間主義によって制限された。他方、究極的にはこの秩序は、アメリカの圧倒的な軍事力に依拠するものであって、アメリカの単独行動主義の余地を多分に残していた。「リベラル」という形容詞にとらわれず、こうした国際秩序の実態も見る必要がある。

 

非介入主義への転換はどこまで進むのか

 

――ただ、そのアメリカも昨今は非介入主義に傾いています。オバマ大統領が2013年に「世界の警察官をやめる」と宣言し、その後、トランプ大統領も同様の路線を進みました。そして今回の演説で、バイデン大統領も「他国を造り替えるための軍事作戦は終わりだ」と語りました。

バイデン大統領は、今後は国家建設や民主主義の輸出などはやらない、無理だ、と素直に言ってしまった。20年にわたってアフガニスタンに巨大なカネとヒトをつぎ込んでつくった「民主主義」は表層的なもので、政府は早々に腐敗し、国民の信頼を失っていた。そうした意味でバイデンは率直であり、こうした感情は国民にも広く共有されている。

 

――それだけアメリカのパワーが落ちているとも言えますか。

バイデン演説は、アメリカのパワーの限界を見据えた点で率直だった。しかし、だからといって、就任以来掲げてきた「人権外交」まで打ち捨てていいのかは疑問だ。

中国は、新疆ウイグル自治区などにおける人権侵害をアメリカに批判されていることに対抗し、アメリカ社会にはびこる人種差別を逆に指摘し、新型コロナウイルス感染症でアメリカの低所得者や非白人層が多く犠牲になっていることも、格差や社会保障の手薄さと結び付けて糾弾している。アメリカのほうが、よっぽど人権や人命を守れていないではないか、という批判だ。

アメリカは、「女性の人権」を掲げてアフガニスタンに介入してきた。撤退とともに、こうした人権という問題関心をも捨ててしまうことがあれば、それこそ、アメリカは中国を批判するために人権を持ち出しているにすぎない、欺瞞だという中国の批判に説得力を与えてしまう。

 

かつては敵でさえ魅了した

アメリカのソフトパワーが落ちていることは否定できない。冷戦時代のアメリカ社会には、敵であるソ連の人々をも惹きつける魅力があり、それらの人々を受け入れる懐深さもあった。

バイデンは「民主主義VS権威主義」という対立軸で世界を捉え、民主主義の素晴らしさをうたってきたが、現状、アメリカの政治社会はあまり魅力的ではない。先の大統領選が示したように、選挙結果をめぐり国民はいがみ合い、分断を深めている。コロナ禍でも「個人の自由」を主張して、マスクやワクチンを拒否する運動も起きている。

アメリカ国民がアフガニスタンのような遠い国のことより、国内問題に専念したいと思うのは、ある意味、当然だ。しかし、歴史的に積み上げてきたソフトパワーを簡単に犠牲にしていいのか、もう少し考えるべきだ。

 

――アメリカでは、ミレニアル世代(1981〜1996年生まれ)やZ世代(1997年生まれ以降)といった若い世代ほど、軍事介入や覇権主義に消極的です。また2019年末には、介入主義的な外交政策の終結を目的とするクインジー研究所というシンクタンクができたそうですね。

クインジー研究所に集ったのは、アメリカのグローバルな軍事介入に対し、個別の疑問を提示することはあっても、根本的な前提を問うてこなかった既存のシンクタンクに疑問を感じた研究者たちだ。メンバーは多様だが、軍事介入を減らしつつも、孤立主義には陥らない、適切なアメリカの世界関与を模索するという方向性は共有されている。

話題をさらったのは、共和党や保守系団体を支援してきた著名実業家チャールズ・コークと、リベラル派を支援してきた投資家ジョージ・ソロスが(クインジー研究所に)共同出資したことだ。左右問わず、超党派で介入主義への疑問が生まれていることの象徴といえる。

ただ、これは今のアメリカ政治を見ていると不思議なことではない。アメリカ社会の分断が叫ばれているが、そうした状況を理解するには、左右(リベラルか保守か)という軸より、上下(高所得か低所得か)の軸で見たほうがいい。

トランプ支持者に代表される低所得の白人層(保守)と、民主党の左派バーニー・サンダース議員の反エリート主義的な支持層(リベラル)は、実は既存の政治において「忘れられた人々」という点では一緒であり、その主張や求める政策には、重なる部分も多い。

アメリカのシンクタンクの歴史を振り返れば、ランド研究所や外交問題評議会(CFR)などの古いシンクタンクは、アメリカを世界に引っ張り出す役割を担ってきた。クインジー研究所は、こうした20世紀型のシンクタンクのアンチテーゼとして、国内の建て直しを重視し、アメリカが大国として君臨する国際秩序ではなく、より水平的な国際秩序を目指している。

 

どちらの「アメリカ」を望むのか

 

――水平的な国際秩序というと、国連を想起させますが、アメリカと国連の関係は穏やかではありません。

アメリカは国連の創設には大きな役割を果たしたが、その後は、何度となく背を向けてきた。

そもそもアメリカ外交には、民主主義など基本的な価値観を共有できない国家を含む国連のような枠組みより、NATO(北大西洋条約機構)のような枠組みを尊重し、活用する傾向が根強く存在する。最近では対中競争の文脈で、日本と豪州、インドによるクアッド(日米豪印戦略対話)という枠組みを重視している。

ただ、世界がイデオロギー的に分断されている現状があるからこそ、国連のような、国連憲章を共通項に、多様な国家を包含する枠組みが重要だという面も忘れてはならない。

 

――われわれ日本人も問われていますね。

そうだ。アフガニスタン、イラクへの介入で国家を消耗させたブッシュ政権の負の遺産を引き継いたオバマ政権は、適切な世界関与を模索した。

世界はアメリカが介入するとやりすぎだと批判し、介入しないというと、アメリカの介入が必要だという。オバマはこの2つの狭間で「どっちなんだ」と引き裂かれ、シリアの人道危機へも首尾一貫した対応ができなかった。

この問いは、日本にとっても耳が痛い。アメリカにどんな役割を求めているのか。適切なアメリカの役割を、私たちも一緒になって考えていかなければならない。

 

――いまだ混迷が続くアフガンですが、今後はどんな対応が求められますか。

アフガンで長年人道支援に取り組み、銃弾に倒れた後も、多くのアフガン国民に慕われ続けているNGO(非政府組織)の中村哲医師は、タリバンのイデオロギーや価値観には決して共感しなくても、現地で人道支援をする以上は、それなりの関係を結びながら活動する必要を理解していた「リアリスト」だ。

タリバン政権下での女性の権利や市民的自由への懸念はもっともだ。私も大変憂慮している。しかし、「暗黒の時代に戻った」と思考を停止させてしまっては、そのような現実を生きていかなければならない人たちの命や生活は守られない。「暗黒」のような現実の中でも、どのように人々の命と生活を守るかを追求し続けた中村医師のような「リアリズム」が必要だ。

カブールにあった中村哲さんの壁画が、タリバンの指示で消されたという報道があった。衝撃的で、悲しい。しかし、中村さんは、アフガン市民を助けるうえで必要なことであれば、そのようなタリバンとすら、協力や共存の道を探ったのではないかとも思う。

 

 

 

もどる