核心

 

アフガン避難なぜ遅れた 民生支援の命守る備えを 

 

 

論説主幹 原田 亮介

 

みずほ銀行本店脇にある米同時テロで亡くなった富士銀行関係者の慰霊碑(東京都千代田区)

 

米同時テロから20年がたつ。テロ組織壊滅のために始まったアフガニスタン戦争は米軍撤退で終結したが、アフガン統治はイスラム主義組織タリバンの手に再び委ねられた。日本は現地関係者を避難させようと自衛隊機を派遣したが、対応は後手に回った。「失敗」はなぜ起きたのか。

東京・大手町のみずほ銀行本店の木立の陰にたたずむ石像がある。同時テロで勤務中に亡くなった富士銀行職員12人と現地スタッフらの慰霊碑だ。当時、同行人事部長で事態収拾にあたった木川真氏(ヤマトホールディングス特別顧問)が設置に奔走した。

木川氏本人も11日にこの碑の前に立つ。「日本は幸いなことに国内でグローバルなテロ組織の標的になったことがない。だが、そのせいで有事の緊張感が他の国に比べて乏しいのではないか」

8月、日本を含む各国はアフガンからの撤収に追われた。タリバンが首都を制圧したのが15日。自衛隊機で国外避難するため大使館や国際協力機構(JICA)の現地スタッフ、家族ら約500人がバスで空港に向かおうとして、自爆テロに阻まれたのが26日。この間に何があったのか。

関係者の取材から浮かび上がるのは、事態の急速な変化に政府の意思決定が追いつかず、いたずらに時間が過ぎていったことだ。

2つの壁があった。まず避難の対象に大使館や関係する組織の現地スタッフとその家族を加えることの是非の議論があった。JICAでは長年共に働いてきた現地雇用者らに命の危険が迫っているとして、その家族も含めて可能な範囲で国外に退避させる方針を早期に立てていた。さらに日本への元留学生や、研修を通じて能力向上に協力してきた現地の女性警察官らの安全を確保するために様々な方策を検討していたという。

大使館員は17日に英軍機で避難したが、現地関係者には前政権との関わりで邦人以上に身の危険を感じる人が多くいる。各国が現地関係者も含めた避難オペレーションを急いでいるのも明らかだった。

2つ目が、避難に使うのは民間機か自衛隊機か米軍機かという問題だった。自衛隊法84条には海外の邦人輸送と救助の規定があるが、当該国に政権があり、安全を確保できるのが前提になっている。

民間機は論外だが、米軍機という選択も、米軍自体が自らの撤収に懸命になっている局面である。日本の関係者を運ぶ余裕があるはずもなく、見送られた。JICAの北岡伸一理事長は18日に岸信夫防衛相に面会した。

菅義偉首相が外務・防衛両省や国家安全保障会議(NSC)幹部を集めたのは22日午後。避難するアフガン人にも日本での在留資格を与えること、自衛隊機を派遣することが決まったが、土壇場で避難はテロに阻まれたのである。

 

20年前、2機の旅客機がニューヨークの世界貿易センタービルに突入するのを現地で目撃していたのが、国連難民高等弁務官を退いた故緒方貞子氏である。1カ月後、米ブッシュ政権はテロの首謀者ビンラディン氏をかくまったとしてアフガンと戦争を始めた。緒方氏は当時の小泉純一郎首相に請われて2002年1月にアフガン復興支援国際会議の共同議長を務める。

難民の帰還から復興・開発支援までのシームレスな支援は「緒方イニシアチブ」と呼ばれた。日本国際問題研究所の佐々江賢一郎理事長は当時、外務省でアフガン支援に取り組んだ。「緒方さんは3つの解がそろわないとアフガン問題は解決しないと話していた。まず政治的なソリューション、2つ目が人道支援、最後に開発援助だ」。しかしその政治的なソリューションが最後まで実現しなかった。

米軍などの支援の下で2人の大統領が政権を担ったが、タリバンやテロ組織、部族対立を収めることができなかった。結末が米軍撤退と同時進行した統治機能の喪失だ。

シドニーを拠点とする経済平和研究所は国別のテロの脅威を指数化している。20年の指数によるとワーストトップがアフガニスタン。先進国では米、英、仏、独が29位から48位に並び、日本は79位という「安全な国」である。

しかし海外で邦人が巻き込まれる事件は後を絶たない。13年1月にアルジェリアの天然ガス施設が武装集団に襲撃され邦人10人を含む多数が死亡。アフガンでは19年12月に中村哲医師が凶弾に倒れた。

JICAの理事長で国際政治学者の北岡氏は、平和憲法があるから自衛隊派遣は慎重に考えるべきだ、という一部の意見にこう話す。

「派兵と派遣は違う。民生支援に関係した邦人らの救出は明らかに派遣だ。今の法律では安全が確保できないと自衛隊も救出できないと言うが、人の安全が脅かされているから避難が必要。法律の立て付けも解釈もおかしい」

北岡氏は現地スタッフの安全を心配し、メッセージを送った。「皆さんが国内にとどまる場合も国外に退避する場合も、安全確保のための労は惜しみません」

地域紛争で荒廃した国を立て直すために日本が貢献すべきは軍事でなく、民生支援であることは明らかだ。また米国の軍事的な展開力が低下するなかで、今後そうした日本の国際的な役割が高まるのも間違いないだろう。

しかしそれには危険が伴う。邦人や関係者の命を守る仕組みづくりを急がなければならない。それが同時テロ20年後の失敗の教訓である。

 

 

 

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