グローバルオピニオン

 

忍び寄るスパイウエアの脅威

 

 イアン・ブレマー氏  米ユーラシア・グループ社長

 

 

イスラエルのサイバー企業、NSOグループが開発したスパイウエア「ペガサス」を使えば、スマートフォンの持ち主を監視し、秘密を盗み出す並外れた力を得られる。ペガサスは通話や留守番電話を傍受し、持ち主の位置を追跡し、パスワードを盗み、メールや閲覧履歴を収集するという。監視対象のスマホのカメラやマイクをオンにして新たな写真を撮り、音声を録音することもできる。

ペガサスは持ち主がスマホに触らなくても感染する。米紙ワシントン・ポストや国際人権団体アムネスティ・インターナショナルなどによると、米アップルの最新型「iPhone」に搭載されたセキュリティー保護機能もすり抜けることがある。犯罪者やテロリストなど社会の潜在的な脅威を監視するのが本来の目的だ。

ところが、非営利団体「フォービドゥン・ストーリーズ」とアムネスティなどの調査によると、NSOの顧客である複数の国の政府は、過去5年の間にペガサスを使って少なくとも記者や活動家のスマホ37台に不正侵入していた。NSOのトップ、シャレフ・フリオ氏は顧客の行為にショックを受けているとしつつ、フォービドゥンとアムネスティの報告書で、標的になった可能性があるとされた5万人のリストとの関連を否定した。NSOは40カ国の60の政府機関が顧客だと認めている。

こうした国の一部では既に政治的影響が生じている。当然、イスラエル政府の評価は下がる可能性がある。NSOは国の安全保障機関に属していないが、創業者は政府のハッカーから民間に転じた人物で、安保機関との関係は続いている。多くの米テック企業は、個人のプライバシーを悪用する企業や、そうした企業の活動を許している国との協力や契約を拒むよう従業員から迫られている。

サウジアラビア政府はこのスパイウエアを使って、2018年にトルコで殺害されたサウジ人記者、ジャマル・カショギ氏の近親者やトルコの捜査担当者を監視していたとされる。サウジ政府は国外のサウジ人活動家をペガサスで監視していたとの指摘もある。

インドでは新型コロナウイルスの感染拡大で、モディ首相の政治的評価はただでさえ打撃を受けている。政府がペガサスを使って野党のリーダーや経済界トップ、記者、外交官を監視していたことで状況はさらに悪化するだろう。経済の回復でモディ氏は政治的打撃を一定程度にとどめられそうだが、政府と野党や地方リーダーの相互不信は類を見ないほど深い。

メキシコではペニャニエト前政権が、12〜18年に複数の記者を監視していたとされる。ロペスオブラドール現大統領も監視対象になっていたようだ。ロペスオブラドール氏の任期(憲法で1期6年と定められている)は後半にさしかかり、レームダック化しかねない時期だが、この疑惑をきっかけに人気を盛り返す可能性がある。

だが、この話の重大さは個々の国への影響にとどまらない。ペガサスや未来のさらに高度なスパイウエアは、社会の脅威になると思えないような人々を監視するかもしれない。テック企業は急速に国際政治で独立した役割を担いつつあるが、こうした企業は自らとその株主にしか関心がない。

独裁政権が記者や潜在的な政敵を監視できる点だけが脅威ではない。ハイテクツールがさらに効果的になり、政治の世界で監視が日常茶飯事になる可能性がある点こそが真の脅威だ。独裁者を守るだけでなく、私たちの大半が気付かないような方法で、政府が自由や機会を制限する新たな規制を進めるために使う恐れがある。

私たちはスパイウエアがひそかに作動し続け、私たちの暮らしや政治に徐々に影響を及ぼすのではないかと懸念すべきだ。

 

便利さは両刃の剣

テクノロジーの発達で、私たちの社会は随分と安全になった。日本でも街中にくまなく監視カメラが設置され、犯罪捜査の主要ツールになっている。この手法を禁じたら、空き巣やひったくりの検挙率は相当に落ちるだろう。

便利さは両刃の剣でもある。大分県警は2016年の参院選の期間中、野党を支援する労働組合の事務所敷地にこっそりビデオカメラを置いていた。県警は公有地と勘違いしたと謝罪したが、設置理由は明確にしなかった。

国家のような組織が先進技術を悪用して、批判的な人々を監視した場合、防ぐ手段はほぼない。スマホの位置情報を切ったぐらいでは話になるまい。

となると、組織のおおもとで良識が働きやすくなるようにするしかない。情報公開制度や内部通報者の保護制度の充実が代表例だ。もっと重要なのは、政権交代可能な政治体制をつくり、権力を固定させないことだ。

どんなテクノロジーもその価値を決めるのは、使い手の良識である。核兵器はその代表例だ。

 

参考情報

 

 

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