中国共産党支配の行方 日米中の専門家3人に聞く
国分良成氏/胡鞍鋼氏/アンドリュー・ネイサン氏
中国共産党は7月に結党100年を迎える。経済発展の実績を誇示する一方、習近平(シー・ジンピン)体制下で強権への傾斜や米欧との摩擦は止まらない。過去に1989年の天安門事件などの体制危機も経験した共産党支配の行方はどうか。日米中3カ国を代表する専門家に聞いた。
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独裁維持、強権しかない
こくぶん・りょうせい 慶応義塾大学法学部長などを経て今年3月まで防衛大学校長を務めた。現代中国論が専門。著書に「中国政治からみた日中関係」など。67歳。
中国共産党の性格は結党以来の革命期、新中国の建国後とも本質的に変わらない。そこには3つの特徴がある。
中国共産党の歴史は権力闘争の歴史である。これが第1の特徴だ。次の権力者、後継者を決める選挙制度、メカニズムがないため人事と利権を巡って絶えず争いが起きる。
第2は41年も権力の座にあった毛沢東の負の遺産の影響だ。毛沢東は1949年以降の国家建設時代も階級闘争や革命を続けた。ケ小平時代以降は終身制を廃止するなど変わったかにみえたが、思想の自由を許さないのは同じだ。権力維持に固執する習近平氏を毛沢東の再生産とみるのはその通りだろう。
第3は「中国的社会主義」の模索というイデオロギーの曖昧性である。毛沢東の自力更生モデルの失敗後、ケ小平が打ち出した「中国的な特色を持つ社会主義」では共産主義理念は死んでしまった。中国的な特色として残ったのは権威主義体制だけだった。
3つの特徴により、中国は国民を主体にした普通の国家になれず、肥大化した共産党が国家の上に立つ党・国体制が固まった。「国民国家」建設の中途半端さは今後も変わらない。市場経済の導入で中国が長期的に民主化するとの期待があったが、世界は今、中国は変わらないという現実を目の当たりにしている。
習近平体制では経済的成功を収めたケ小平路線を否定はしないが、肯定もしない。改革・開放という言葉は減った。社会主義体制が壊れる危機感から、かつての体制に逆戻りしている。それが国有企業重視や私営企業いじめだ。
成長が鈍り、利益配分もできなければ、強権体質を強めるしかない。全ては中国共産党の一党独裁という政治体制の問題に行き着く。世界はようやくそこに気が付いた。
中国が絡む安全保障で日本は尖閣諸島といった「点」ではなく、より広い東シナ海という「面」で考える方向に脱皮すべきだ。東シナ海では、海ばかりではなく空でも中国の圧力が強まっている。米国が日本との協力を必要とするのも、中国の海になりかねない東シナ海である。
中国が東シナ海から米国を追い出したい理由は台湾だ。49年以降、共産党が訴えてきた唯一の正統性は台湾統一である。実際に武力統一に踏み切るかは別にして、台湾統一を言い続けるしかない。
この台湾問題は米中関係そのものである。米バイデン政権とすれば台湾問題は民主主義をどう守るかという問題だ。そして中国との関係も深い台湾の半導体産業などの技術をどう取り込むのかという技術覇権の問題でもある。
日本は対話と抑止、国際的な連携強化で中国に対処するしかない。特に対話での外交力は重要だ。かつての米ソ冷戦と米中冷戦は違う。中国はソ連と違って国際経済に深く入り込んでいる。中国からみても国際システムに入らなければ生きてゆけない。
中国外交の現状はかなり苦しい。その辺に着目して相手も妥協できる批判や提言ができるかだ。中国が簡単に聞き入れるとは思えないが、それぐらいしか手がない。
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コロナ対応で能力示す
フー・アンガン 習政権のブレーン。米エール大学への留学などを経て12年から清華大学国情研究院院長。主な著書に「中国政治経済史論」。68歳。
1921年7月に中国共産党が結党した時、わずか50人あまりの党員しかいなかった。それがいまでは9千万人を超えるようになり、世界最大規模の政党に成長した。党の歴史が100年も続いているのは党が東西南北のあらゆる一切を指導しており、挙国体制の構築が可能だからだ。
経済分野では市場メカニズムと政府指導の両方の優位性を引き出して政策運営ができる。(国有企業を中心とする)公有経済と(民間企業を主体とする)非公有経済などを調整して最適化することができる。共産党がなければ、建国も改革開放も強大な中国もなかった。
世界で広がる新型コロナを巡っても中国はもっとも短い時間で勝利したといえる。共産党の政権担当能力が米欧や日本をはるかに上回っていることを示している。最前線でコロナ対策にあたった党組織の優位性も示した。
もちろん共産党もすべての面で成功してきたわけではない。内部の権力闘争や外国からの圧力、改革開放や経済成長という挑戦の繰り返しだった。共産党は49年の建国から約70年間政権を担ってきた。直面した最大の危機は66年から76年まで続いた文化大革命だった。
毛沢東の死去で文革が終了した。文革の失敗はケ小平の改革開放の成功の母となった。81年には文革を否定し、毛氏の誤りを認める「歴史決議」を党で採択した。中国は文革以降、40年以上も高い経済成長を続け、社会も長期安定している。
いまや中国の国内総生産(GDP)は日本の4.29倍(購買力平価ベース)に相当する。78年にケ小平は日本を訪問し、学ぶことで歴史的な経済成長を実現した。
80年代末から90年代初めに中国はインフレで経済危機に陥り、同時に(民主化を求める若者らを当局が鎮圧した)天安門事件が起きた。米国をはじめとする西側諸国は中国に経済制裁を発動した。
そういう状況にあって、91年10月にケ氏は経済が行きづまったソ連の崩壊を反面教師にするべきだと説いた。92年には(改革開放に大きくカジを切る)「南巡講話」をした。
ソ連解体は中国共産党にとって大きな試練だったが、ソ連の失敗に学ぶ何物にも代えがたい貴重な経験をもたらした。中国の改革開放路線を正しい方向に向かわせる結果につながった。
翻って日本の指導者がケ氏のように中国に来て経済の発展ぶりを理解し、学ぶことはこれまでどれほどあっただろうか。日本にとって中国が最大の貿易相手であっても、ただ米国の中国叩きに加担しているだけでは、今後の経済成長は見込めないだろう。
中国は2025年には60歳以上の割合が3億人を突破する。同時に少子化の勢いもますます強まる。資源節約型社会の構築も進める必要がある。二酸化炭素の排出を減らし、資源循環型の社会をつくり上げなくてはいけない。
共産党は党規約で「共産主義の実現」を掲げる。共産主義は最高の理想にして最終目標だ。
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習氏後継不在、リスクに
Andrew J. Nathan コロンビア大教授。「天安門文書」「中国安全保障全史」などの著書で知られる中国政治・外交の権威。ニューヨーク生まれ。78歳。
中国の安全保障政策の主な原動力は「脅威への脆弱性」だ。まず中国の指導者は国内の安定維持が非常に難しいと感じている。多くの隣国を抱え、いま最も友好的なロシアでさえ基本的に中国に嫉妬し、中国を信用していない。さらに米国が中国の台頭を妨げる可能性もある。中国は真の安全保障を獲得できていないと感じている。
習近平指導部が2012年に発足し、いま中国共産党の指導部や軍部で習氏に対抗する有力者はいない。習氏は22年以降も地位を保ち、あと2期10年務めるかもしれない。習氏は68歳。後継者候補を定めていない。習氏に突然万一のことがあれば権力争いが起き、非常に危険な状態になるだろう。
一党独裁体制は強いストレスにさらされる。社会を取り締まり、メディアを統制し、インターネットを管理する。永遠に続くと思えないが、中国が最終的にどんな体制になるかはわからない。米国のいう「民主化」以外に様々な政治体制があるからだ。最終的にはもっと自由で、独裁ではなく、もっと独立した法の支配、もっと独立したメディアなどが必要なのではないか。最低限やるべきことだ。
いずれ中国の経済規模は米国を抜く。1人当たり所得は中所得国の域で、中国、米国、日本、欧州連合(EU)、ロシア、インドに世界は多極化する。中国は多極化した世界を征服しようと思わないだろうが、価値観、人権、学問の自由などに大きな影響力を持つ。たとえば私のような大学教授が中国を批判することも、欧米が人権問題を非難することも好まないだろう。他の大国の上に米中の2つの大国がある構造だ。
米中関係は軍事面では台湾が最大の問題だ。中国は台湾を支配する明確な意図を持ち、安保上の理由から台湾を手に入れる必要がある。たとえ中国共産党が崩壊して民主主義政権が北京にできても、課題は変わらない。中国はあきらめない。
一方、米国は台湾問題の「平和的解決」を掲げ、中国に台湾を支配させない。この争いはいつまでも続く。もし中国が台湾の武力統一に動き、米国が台湾を守らなかったら、日本人は米国との同盟に何の価値もないと気づくだろう。米中双方が慎重になり、相手を抑止する軍事的地位を強化することが望ましい。恐怖と緊張に満ちた状況になるだろうが、大規模な戦争は避けられる。
中国共産党は1921年の創設以降、本当に弱かった。国共内戦は共産党が勝ったのではなく、国民党の蒋介石が負けたのだ。権力闘争、大躍進、文化大革命。89年の天安門事件まで体制崩壊の危機に何度も直面した。それ以降はむしろうまくやった。70年の失敗と30年の成功だ。
日本は中国より小さな軍事力で技術的な優位性を保つ必要がある。簡単ではない。そして信頼できる限り、米国との同盟に頼る。米国が日本に台湾問題で中国の抑止を求めるなど痛みを伴うものになるだろう。
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〈アンカー〉民主主義陣営と摩擦続く
中国共産党の存在が今ほど世界中で意識された時代があっただろうか。先の主要7カ国首脳会議(G7サミット)での中国を巡る激論も、特殊な統治システムが民主主義社会に入り込み、人々の生活を左右する現実と関係する。
32年前、民主化運動に学生を駆り立てたのは遅れた祖国への憂国の情だった。確かに経済の遅れは解消され国力も上がった。一方、「徳(デモクラシー)先生、ニーハオ」という横断幕が象徴した自由、民主への希求は習近平時代になって口にもできない。
今なお共産党は軍の指揮権を握り国家の上に立つ。武力弾圧の悲劇を生んだ天安門事件当時の構造は変わらず、政治改革という言葉も死んだ。最近はむしろビッグデータを利用した監視・統制が目立つ。当面、民主主義陣営との摩擦は続く。覚悟が必要だ。