エッセー

 

文化外交力 

 

俳人 黛まどか

 

〈さみだれや大河を前に家二軒 蕪村〉

梅雨が漢語であるのに対して、五月雨は『古今和歌集』以降の雅語だ。五月雨で水量を増し濁流が迫る大河を前に、なす術(すべ)もなく寄り添うように立つ2軒。画家でもあった与謝蕪村の真骨頂だ。

日本語には「雨」の名前が450程ある。春夏秋冬、朝昼晩、降り方によって、先人たちは、雨に美しい名を冠していった。

20年程前、韓国へ行った折のこと。尹(ユン)さんという初対面の中年男性がいきなり尋ねてきた。「あなたは"遣(や)らずの雨"を知っていますか?」。我が家では亡き祖母が、来客が帰る頃に雨が降り出すと「遣らずの雨ですよ、もう一杯お茶を飲んでいって下さいよ」と引き留めていたので、その話をすると、尹さんは相好を崩した。

反日教育を受けて育った尹さんは、長年日本に好意が持てなかったと言う。ある時出張で初来日し、任務を終えて帰国の途に就いた時、空港へ向かう車中で突然雨が降り出した。と、日本側の担当者が「"遣らずの雨"ですよ。尹さんを帰らせたくなくて雨が降り出したと、日本人は思うのです」と言ったそうだ。その言葉に、反日感情が一気に溶けたと言う。「これほど詩情豊かで繊細な言葉を育んできた民族が野蛮であるはずがない」。以来日本を悪く言う韓国人に出会うと、必ずこの話をするのだそうだ。これぞ「文化外交力」ではないか。

同時にこれらの雅語を知らない日本人が増えていることを尹さんは嘆いていた。

「文化外交」では、宗教や風土の違いによる摩擦は起こらない。むしろ違いを尊び合うことにこそ、その真義がある。

 

 

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