SNS無規制が招く危険

 

表現の自由、企業に任せるな

 

 

FT commentators   By John Thornhill

米フェイスブックの監督委員会が同社SNS(交流サイト)からトランプ前大統領を「追放」した会社側の対応を支持したことについて、トランプ氏の支持者は恥ずべきことだと語る。トランプ氏反対派の多くは、同氏が選挙後に首都ワシントンの暴動をあおったことに対する適切な処罰だと言う。

フェイスブックの監督委員会は、同社の業務慣行とビジネスモデルを暗に是認した仕組みになっている=ロイター
だが、それ以上に大きく重要な問題は、フェイスブックが構築し、委員を任命し、運営資金を出している監督委員会が果たして、そうした判断を下すのに適した団体なのかどうかだ。表現の自由の境界線を引くために、フェイスブックの「最高裁判所」と呼ばれる疑似公的機関の創設が民間企業に委ねられたのは、一体なぜなのか。

 

ラジオ・テレビと同様の規制が必要な根拠

かつて、認知科学者のジョージ・レイコフ博士はかつて、問題を特定の枠組みにはめることで都合よく政治・社会的な課題の結論を導き出せると説明したことがある。「どういう枠組みを設定するかによって問題が定義され、問題をどこまで話せるかも決まる」と同氏は述べている。

独自の監督委員会を創設することで、フェイスブックは表現の自由という問題の枠組みを巧妙に規定した。そうすることで、自社の業務慣行とビジネスモデルを暗に是認し、原因ではなく結果を重視する仕組みにしたのだ。だが、監督委自体が先日論じたように、これはフェイスブックが責任を回避できるということではない。

フェイスブックに関しては、問う価値のある、より差し迫った疑問がいくらでもある。なぜ、すべてのユーザーに一貫してルールを適用できないのか。各国の政府や市民社会、25億人以上のユーザーは、同社の運営方針に対する理にかなった意見を、どうすれば届けられるのか。そして、さらに重要な問題として、フェイスブックは統治不能になるほど規模が大きくなってしまったのだろうか。

これだけの質問をみても、フェイスブックが今、社会システム全体にとって重要な情報機関となったことが分かる。かつてラジオとテレビが規制されてきたように、現代におけるコミュニケーションインフラとして、厳しい監視の目を向ける必要があると考える根拠にもなる。

フェイスブックを擁護すると、監督委は確かに、以前と比べるとさらなる透明性とアカウンタビリティー(説明責任)を提供している。

フェイスブックのグローバル問題を担当するニック・クレッグ副社長は先日、本紙フィナンシャル・タイムズのイベント「グローバル・ボードルーム」に参加し、合意に基づく規制がないせいでフェイスブックは自ら空白を埋めるしか手がないと言った。また、監督委を立ち上げるために1億3000万ドル(約140億円)の予算を割り振ったと述べた。

さらに、クレッグ氏は監督委が設立からまだ日が浅いことを認め、フェイスブックとともに絶えず進化を遂げ、外部のパートナーをさらに呼び込んでいくと語った。

監督委は今のところ、主に政界、学界、メディアから迎え入れた19人の委員で構成されている。公式に掲げている目的は、「オンライン上での表現の自由を取り巻く最も難しい問題である、何を削除し、何を残し、その理由について、フェイスブックが答えを出すのを助ける」ことだ。フェイスブックの運営方針に対する監督委の決定には拘束力がある。だが、会社の方針は変えられない。

 

アルゴリズム駆使しても管理できず

監督委は昨年10月以降、アカウント凍結などフェイスブックの決定に対して監督委に申請された異議申し立ては30万件以上に上る。だが、このうち一握りの案件にしか対応できていない。トランプ氏の事例のように、フェイスブックも審理を依頼できる。

同社は監督委に、政治指導者のアカウント凍結に関する方針を検討することも要請した。ブラジルのボルソナロ大統領やフィリピンのドゥテルテ大統領といった他の扇動的な指導者の投稿削除やアカウント凍結でフェイスブックがどこまで踏み込めるかが、その試金石となる。

表現の自由に関する国連特別報告者を務めたデービッド・ケイ氏は、フェイスブックの監督委は「かなり有望なイノベーション」だと話す。信頼に足る専門家と意思決定の独立性が確保されていることを評価する。

だが、国連や市民社会が業界全体に対して監視体制を築こうとしている可能性を奪いつつあるとも危惧している。「(監督委は)興味深い仕組みで革新的だが、他の重要な体制づくりの可能性を潰してしまっている」とケイ氏は言う。

フェイスブックほどの巨大なSNSを運営・管理することは気が遠くなるような難題だ。フェイスブックの監督委や3万5000人のコンテンツモデレーター(管理人)、さらには最も優秀なアルゴリズムを駆使しても力が及ばないのは明白だ。

フェイスブックは、インドやベトナム、タイなど表現の自由が脅かされている国で、自由を守るためにより多くの対策を講じるべきだ。一方で、我々はSNS上にまん延する人種的な憎悪、デマ、過激なプロパガンダ(宣伝工作)の排除もフェイスブックに求めている。

これは、物議を醸すコンテンツについてより適切に処理したり、利用者の反応について現地の文脈や政治、文化を考慮したりする仕組みを築くことを意味する。資金と権力を持ったユーザーの利益だけに配慮するようなことがあってはならない。

 

規制当局、データの扱い方に注意を払え

欧州連合(EU)が人工知能(AI)規制法案で提案しているように、各国の規制当局はアルゴリズム(計算方法)によって導き出される企業の意思決定の根幹を成すデータにもっと注意を払うべきだ。各国の独占禁止当局は、ネットワーク効果と市場構造の影響を検証し、商業的な利益と公共の利益を切り離さなければならない。

オンライン上での表現の自由をめぐる問題には、単純な答えは存在しない。だが、より複雑な答えを探す試みは不毛だというわけではない。ただ、表現の自由というすべての人にかかわる問題について、フェイスブックという一企業が自社に有利になるように枠組みを規定することは許してはいけない。

 

 

 

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