日本テニスの「伝説」鈴木引退、貫いたスタイル
「サーブ&ボレー」最後まで 無類の話し好き発信期待
(左から)鈴木さん、中川、ダブルスパートナーだった岩渕聡・デ杯監督
1990年代から2000年代初頭の日本テニスをけん引した鈴木貴男さんが44歳で引退した。最後に選んだ大会は盛田正明杯(4月10、11日、千葉県柏市TTC)。盛田・日本テニス協会名誉顧問、1975年ウィンブルドン選手権女子ダブルス優勝の吉田(旧姓沢松)和子・日本協会副会長らも見守るなか、テニス選手のキャリアに終止符を打った。
札幌出身の鈴木さんは、ストロークを軸にしたオールラウンダーが主流の今、絶滅危惧種になりつつある「サーブ&ボレーヤー」だ。最後の相手となった、盛田ファンド出身で2014年全米ジュニアダブルス王者の中川直樹(橋本総業)に、次々とパッシングショットを決められながらも自分のプレーを貫き、「今のベストを出せた」とすっきりした顔を見せた。
日本男子がツアーで伸び悩んだ頃、日本の第一人者として国別対抗戦のデビス杯(デ杯)での出場数、単複合わせた勝利数は日本歴代1位。ケガが多かったものの、四大大会にはシングルスで7度出場した。06年のジャパン・オープンでは全盛期のロジャー・フェデラー(スイス)をファイナルセット、タイブレークまで追い詰め、「フェデラー、世界1000番台の選手に負ける、という見出しが脳裏によぎった」とこぼさせた。
デ杯での出場数、単複合わせた勝利数は日本歴代1位だ(2010年の全日本テニス)
「世界ランキングは100を切れなかったし(最高102位)、悔いがないといったらウソ。相手が強くなり、応援があるほど力は出たし、自分のイメージとコートサーフェスさえ合えば、それなりにやりますよ、という気概はあった」と胸を張る。
近年は解説、内山靖崇(積水化学)らのコーチ業などが中心だった。新型コロナウイルス禍の20年、実業団の日本リーグが中止になり、代わりにプロ、ジュニア、アマチュア混合大会、盛田正明杯が企画されると、引退試合に選んだ。
自身もこれまで日本リーグに出ていたし、「オンラインでも中継されるし、僕の引退試合にすれば、この大会が(注目され)うまくいく助けになるかな」と決めた。添田豪(GODAI)ら多くの後輩が駆けつけ、西岡良仁(ミキハウス)らが解説を務めた。
今後はプライベートコーチを仕事の中心に据えたい考えだが、現在は内山との契約が終わったばかりで予定は空白だ。「ほんとテニス好きだね、と、みんなにあきれられるくらいでいい」と話し、解説、一般向けのクリニックなど、テニスに関する仕事に「上も下もない。先着順でします」。テニス界屈指の話し好きでもあるだけに、テニスについてどんどん発信していくつもりだ。