盛田正明×伊達公子 テニスを語る(上)

 

ジュニアの活躍、次代握る

 

 

盛田日本テニス協会名誉顧問(右)と伊達さん

大坂なおみ、錦織圭(ともに日清食品)の活躍で日本のテニスが盛り上がるなか、その将来を冷徹に見ている元世界ランキング4位の伊達公子さんと盛田正明・日本テニス協会名誉顧問。2人の対談は5月に94歳になる盛田さんを伊達さんが質問攻めにする場となった。 

2000年、元ソニー副社長の盛田さんの日本協会会長就任は"事件"だった。今も「週一を目安に」プレーする愛好家だが、門外漢だった盛田さんに「テニス界はずいぶん助けられた」と伊達さん。1989年のプロ転向以来、日本協会と接点を持ってきた伊達さんは「必ず(日本で)開催中に会場で観戦する会長は初めて。毎日朝から晩まで試合を見て、表彰式もいる。大きな変化だった」と話す。

「ソニーは社長、会長は常に先頭にいるから、それを実行しただけ。テニスは好きですし。最初に協会の収支を見たら大赤字で、エライことだと思った」。現在、日本協会の収入の約半分を稼ぐ楽天ジャパン・オープンも当時、「1万人入るスタジアムに1週間で2万7000人しか入らなかった」。

海外では観客の半分近くはスタジアム外で楽しみ、まるでテニス会場でピクニックしているよう。対して当時の日本は「試合しかなかった。ジャパン・オープンを日本の四大大会にしないと。テニストーナメントからテニスフェスティバルに変えよう」。会場そばの広場への出店を企業に依頼すると、毎年1万人ずつ観客が増加、6年近くかけ毎日1万人近く入るまでに成長した。

「選手の声を聞いてもらえるようになった」という伊達さんにとって、盛田さんの言葉で印象的だったのは「四大大会はジュニア部門が始まる2週目からが面白い」。

「何にしてもジュニアが増えないと大変なことになる。今、『テニスやろう』という若い子がどれくらいいるか心配」と盛田さん。この正月、テレビを見てもテニスの話題がない。「子供はこういうの(テレビに出る人)に憧れるんです。このごろ露出が少ないのがすごく心配。まっさらな人にテニスをやりたいって思わせるきっかけづくりをするのは、テニス協会じゃないかな。うまい解があればね……」と頭を悩ませる。

一つの光となりうるのが、19年ウィンブルドン・ジュニア選手権覇者で今年プロに転向する望月慎太郎。盛田さんが個人的に始めた、日本人ジュニアを支援する盛田ファンド出身だ。「どこまでいけるかわかりませんが、米国の有名なコーチも思ってもみないプレーをする子という。非常に面白いテニスですから、ああなりたいと子供に思われるところまでいってほしいですね」

 

 


 

盛田正明×伊達公子 テニスを語る(中)

 

世界と戦う力、海外で

 

 

「盛田ファンド」の支援で望月は13歳から米国に留学した=ゲッティ共同

伊達公子さんは2019年からテニスの女子ジュニアの育成に乗り出した。遡ること約20年、盛田正明・日本テニス協会名誉顧問はジュニアを対象にした「盛田ファンド」を設立。錦織圭(日清食品)、西岡良仁(ミキハウス)、内山靖崇(積水化学)ら、日本男子の壁となっていた世界トップ100に入る選手を輩出した。

「選手選考のポイントは何ですか」と伊達さんが尋ねたところ、「私はわからない。仕組みをつくっただけで、選考は坂井利郎(日本協会副会長)、丸山薫(元日本代表コーチ)らが全国を回って、これぞという子を見つけ、最後はIMGアカデミー(米フロリダ州)のコーチが来日して決める」。ちなみに錦織は3人選ばれた年の3番目だったそう。非常に器用だったが、3人で試合をしたら必ずしも1番ではなかった。

伊達さんは海外遠征に行くと、必ず外国選手と練習した。「アジア人はパワー負けするから、外国選手と練習する機会を持った方がいいのに、日本選手は日本人同士で練習するケースが多い。今も、です。相手が見つからないときはともかく、わざわざ海外に行ってどうして?と思う」。盛田さんも同感で、だからこそ海外に慣れざるを得ない状況に追い込むため、育成の舞台を海外に求めた。

盛田さんいわく「テニスほど厳しいスポーツはない」。試合開始時間が読めず、5セットマッチでは4〜5時間、たった一人で戦うことも。試合中、コーチとの会話は禁止で、合図の交換も違反だ。「非常に孤独。技術がいいだけじゃ勝てない」。それなのに日本人は同郷の人と群れておとなしくしている。ソニー時代から何十年と四大大会を観戦してきた盛田さんには、試合以前にメンタルで負けているように映った。

盛田ファンドが始まって最初の3年は、米国でただ練習させていた。「うまくいかなくて、厳しいことを言わないといい選手が出ないと思って」。高いハードルを5つ提示し、2つ以上クリアしたらサポート続行。そうでない場合、帰国とした。これまで28選手を送り、18歳まで残ったのは錦織、西岡、内山、中川直樹(橋本総業)だけ。今年、望月慎太郎が加わる。

世界トップ100(女子は世界50)に入ってから5年、賞金の10%をファンドに寄付してもらう。既に3選手がその対象になっている。

「好きなテニスで人のしないことしようって、70歳のじいさんが考えた発想(盛田ファンド)」はかなり当たっていた。「こうした方がいい」というセオリーも見つけたが、1人だけ例外がいる。「伊達さんですよ。全く私のセオリーにはまらない。どうやってあなたみたいな人は生まれたの?」と、盛田さんは不思議そうに話す。

 

 


 

盛田正明×伊達公子 テニスを語る(下)

 

「正解」より考える力養う

 

 

伊達さんがジュニアを教える際、打ち合うより話を聞く時間が長い時もある

高校まで部活で育ち、留学経験もなく世界に飛び出して、1990年代にテニスの世界ランキング4位まで上りつめた伊達公子さん。盛田正明・日本テニス協会名誉顧問は「僕のセオリーに当てはまらない人」という。しかし、話すうちに伊達さんの選択が盛田理論と重なってきた。

「僕はね、ずっと同じコーチについているのはダメだと思っている。小学校では小学校の、中学では中学の、高校では高校のいい先生に習わないといけないのに、日本はコーチがいい(選手)と思うとずっと離さない。小学校の先生が大学生まで抱えている感じ。あれじゃ強くならないなって」と盛田さん。IMGアカデミー(米フロリダ州)は錦織圭(日清食品)の成長に合わせてコーチを変更、そのたびに錦織は飛躍した。

「指導者に恵まれた」という伊達さんは園田学園の光国彰コーチ、小浦猛(武)志・元フェド杯監督と高校時代から複数のコーチについた。プロ転向後もその時の自分に必要な指導者に適宜ついている。「自分でコーチをお代えになったでしょ。そんな人いません。普通は誰かが代えてあげないと」と盛田さんは笑う。

生存本能がそうさせたのだろう。「コートではいろんなことを考えては決断の連続。技術があってボールを強く、うまく打てるだけで活躍できる場所でない。世界でもまれる中、自分の存在価値を確立するために、自分の意見を口にするようになった」と伊達さん。ジュニアを育てる際も根気強く選手に考え、行動させる。「日本の教育は正解を求めがち。正解がどうこうでなく、自分で考え、行動させる大切さを周囲の大人が理解しないと」という。

それが容易でないから、盛田さんは海外に選手を送った。「選手のいいところを生かし、伸ばすのがうまいですからね。錦織が注目された頃、日本のテニススクールを視察したら、みんな錦織のフォームで打っているから心配になっちゃった」

「日本のコーチはフォームから入ることがとても多い。『どう打つか』にこだわりすぎ」。そう話す伊達さんはライジングという独特のタイミングで打つスタイルを確立した。だからこそ、165センチ足らずの細身でもトップ10内に駆け上がることができた。

今は「チームなおみ」といった、複数の人で選手を支える体制が普通になってきた。「スポンサーがつく、相当強い人の話。大半の選手はプロになりたての大事な時期にサポートがない。そこをどうするか考えないと」と盛田さん。サポートする人材をどう増やすか。「仕事に魅力がないと続かない。自分が関係した選手が伸びるといった成功例をつくることが大事。やってみたい人が増えてくる」。盛田ファンド、伊達さんのプロジェクトもそんな未来への一歩なのだ。

 

 

 

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