カバーストーリー
「能力主義」が社会を分断
マイケル・サンデル氏 米ハーバード大教授
Michael Sandel 1953年生まれ。米ハーバード大教授。専門は政治哲学。著書に「これからの『正義』の話をしよう」「それをお金で買いますか」など。Photo by Jared Leeds
テレビ番組「ハーバード白熱教室」で知られる哲学者、マイケル・サンデル米ハーバード大教授の新刊邦訳「実力も運のうち 能力主義は正義か?」(鬼澤忍訳、早川書房)が14日、刊行される。人は出自によらず、努力と才能次第で成功できるという考え方が暴走し、エリートに傲慢を、その他大勢に屈辱と怒りを生んでいると指摘する。社会を分断しかねない状況にどう向き合うか、著者に聞いた。
――執筆のきっかけは。
「トランプ氏が米大統領選に勝利したことだ。2016年の選挙で多くの労働者がエリートに対する怒りを表し、彼を勝利に導いた、背景を知りたかった。それは、ここ40年ほどで広がった不平等と関係がある」
「米国は長らくアメリカンドリーム、つまり全ての人が平等に競争できる状況を善しとしてきた。しかし、この考え方はもはや人々を動かさない。政治家は機会の平等を提供し、社会階層間の移動性を高め、大学の学位を取ることが不平等の解決策だという。だが実際には、貧しい家庭の子供が階層上昇を果たすのは難しい」
――人間の能力を測る尺度は様々あるはずなのに、学歴が過度に重視される。そこに問題の根がありそうですね。
「学歴偏重主義と能力主義が強く結びつきすぎてしまった。能力主義を貫くならば平等な条件下での競争が大切なのに、既に生まれたときに大きな差がついている。入試のためにいろいろな準備ができる裕福な家庭の子供のほうが有利なのだ。米国の名門大学で、所得の高い上位1%に属する家庭の学生が下位半分の学生より多いのは、そうした格差を示している」
――米国ほどではないにしても、日本にも能力主義偏重の傾向はあります。弊害をなくしていく方法はありますか。
「カギは労働の尊厳の回復だろう。高い給料の仕事だけでなく、全ての仕事への尊厳を高めることが大切だ。人生で最も大きな欲求の一つは、他人に必要とされることだが、市場主導のグローバル化がもたらした不平等によって、社会の多数を占める労働者が自らの仕事に敬意が払われていないと感じている。我々は学位の有無にかかわらず、よい生活が送れる社会をつくるべきなのだ」
「社会への重要な貢献の一つに子育てがある。これは国内総生産(GDP)に算入されず、労働市場でも評価されない。こうした例は他にもある。新型コロナウイルスが広がる中での顕著な例は、感染のリスクにさらされながら外に出て働かなければいけない人々だろう。彼らの仕事に私たちはどれだけ依存してきたか。それでも配達員、小売店の従業員、医療や介護に携わる人々は相応の報酬を得ていないのではないか。彼らの収入を増やし、健康を守る方法を考えることが重要だ」
(早川書房・2420円)
――能力主義の恩恵を受けた人々に能力主義の負の側面を伝えるのは、難しさを伴いませんか。
「この本が非常に挑戦的であることは認める。私自身の大学が果たしてきた能力主義に基づく選別機能についても批判的に書いたが、成功者に自らの成功について再考を促すのは簡単ではない」
「ただ、彼らもまた、競争社会の中で親からの期待の重圧などで傷つき、精神的な不安を抱えていることが多い。これは日本でも見られるのではないか。過当な競争で敗者と勝者を分け、置き去りにされた人が怒りに苦しむだけでなく、成功者でさえ傷つくのが能力主義の代償だ」
――この春新しいスタートを切った大学生、新社会人にメッセージを。
「世界的なパンデミックのさなかでも、始まりの季節には希望がある。自分たちがどうやってここまで来られたかを振り返り、謙虚さを忘れず、私たちは共同体として互いに支え合っていることを認識してほしい」