時論・創論・複眼
人権外交は奏功するか
宮本雄二氏/アイリーン・ドナヒュー氏/デイビッド・マカリスター氏/デウィ・フォルトゥナ氏
バイデン米政権の発足で人権外交が注目されている。自由や平等は人類が積み上げてきた権利であり、侵害は許されない。とはいえ、他国への過度の口出しはあつれきを生む。人権問題にどう取り組めばよいのか。
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国益を見据え総合判断 宮本アジア研究所代表 宮本雄二氏
みやもと・ゆうじ 1969年、京都大卒。外務省中国課長、駐ミャンマー大使、駐中国大使などを歴任。著書に「習近平の中国」など。
国際法においては内政不干渉が基本原則だ。中国は人権抑圧を指摘されると、「これは内政だ」と反発する。だが、国連憲章は「人権および基本的自由の普遍的な尊重」をうたい、人権規約も定めている。中国のいう「純粋な内政」はあり得ない。
1975年に発足した欧州安全保障協力会議(CSCE)はヘルシンキ宣言で「紛争の平和的解決」などと並んで「人権と諸自由の尊重」を掲げた。だから、欧州では人権擁護は内政問題ではないというコンセンサスがある。
問題は、人権外交はしばしばダブルスタンダードに陥ることだ。駐ミャンマー大使だったころ、国際社会は同国の軍事政権に制裁を科していた。それならサウジアラビアや中国の政治犯の扱いはミャンマーよりも良かったのか。決してそうではない。人権の追求という観点で言えば、一貫性に欠けていた。いかなる地域のいかなる人権にも同じ態度で臨む。それこそが人権外交の使命のはずだ。
また人権外交においては、問題があれば制裁を科すわけだが、相手国の人権状況が改善された事例はほとんどない。人権外交には限界があることも、考えておかなくてはならない。
日本の場合、アジアの国々に歴史の負い目があることにも、留意しなくてはならない。人権状況を批判するのはよいが、実際に制裁を科すとなると、向こうは「日本はかつてこんなひどいことをしたではないか」と言ってくる。
日本が欧米と同じ制裁を科せば、欧米に対するものと比べて10倍ぐらい反発する。外交においては、そうしたことも踏まえなくてはならない。
中国で天安門事件が起きた翌年に外務省中国課長になったが、「価値観の表明は明確に、実際の行動は慎重に」というのが、当時の外務省の方針だった。
この考え方はいまもって間違っていないと思っている。ウイグル族弾圧についていえば、制裁に参加することで生じる中国との関係悪化と、見送ることで生じる米国の不興とをよく検討してみて、トータルで日本の国益を追求するしかない。
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米欧日の連携欠かせず 国連人権理事会元米国大使 アイリーン・ドナヒュー氏
Eileen Donahoe 米カリフォルニア大バークレー校で倫理・社会理論の博士号。オバマ元政権で国連人権理事会の初代米国大使などを歴任。
人権を重んじる民主主義国家は、世界が岐路に立っていることを認識しなければいけない。強権の度合いを増す中国との競争の核心をなすためだ。21世紀のデジタル社会において、私たちは民主的で人権を尊ぶ統治形態が優れたモデルであると示す必要がある。そうしなければ、中国式の「デジタル専制主義」が世界に広がることになる。
中国はデジタル技術を用いて新疆ウイグル自治区や香港などで抑圧を強めている。市民を監視下におき、異論を封じて従わせるのに使っている。そうした手法が統治者の権力を長く保てるとして、アジアや欧州などの専制的な政権の模範になろうとしている。
中国の影響力がネガティブな方向に働き、こうした国々が他国からの批判に耳を貸さない傾向が強まっていると懸念している。米国の指導的な役割に後ろ向きだったトランプ前政権がこの傾向に拍車をかけた。
外交政策は人権だけでなく、同盟関係など戦略的な観点を考慮する必要がある。しかし、人権重視は長い目で世界により良い結果をもたらすと確信する。バイデン政権は人権の価値を最優先に置くメッセージを発しており、前政権で傷んだ米国の信用力を回復しようとしている。
歴代の米政権はサウジアラビアの人権問題に寛大だったとの指摘がある。(同国首脳の関与が断定された2018年の)著名ジャーナリスト殺害事件は人権侵害で厳しく対応すべきだったが、当時のトランプ政権の対応は甘く、あまりにもバランスを欠いていた。
今年3月の米アラスカ州での米中外交トップ協議で、カメラの前で人権問題を批判された中国は、どんな制裁よりも痛手だったとみる。米国は人権に基づく批判をやめないというシグナルを送ることが大事だ。
私たちにはパートナーが必要だ。ウイグル問題では米欧が連携して対中制裁を科した。日本を含む各国政府はできること全てをやるべきだ。協力してデジタル技術が民主主義を発展させ、そうではないモデルが標準にならない方法を見つける必要がある。
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国でなく人・団体を制裁 欧州議会外務委員長 デイビッド・マカリスター氏
David McAllister ドイツ出身。独ニーダーザクセン州首相などを経て、14年から欧州議員。英国のEU離脱に関する議会側責任者も務めている。
欧州連合(EU)の基本的な価値観は人間の尊厳と人権、自由、民主主義、平等、法の支配の尊重だ。この原則が加盟国を結びつけている。我々は欧州と世界でこの価値観を守らねばならない。法の支配は企業に安定と安心をもたらし、投資に適したビジネス環境を整備するのに欠かせない。
2020年12月、EUは「グローバル人権制裁制度」(EUマグニツキー法)を新設した。(ロシアや中国当局者らへの)制裁は人権を侵害した責任者に具体的な行動をとるEUの強い決意を示した。この制度は国を対象とせず、深刻な人権侵害に関与した個人・団体を対象とすることで、一般市民への意図しない悪影響や、特定の国とEUの関係悪化を防ぐ。
世界で大衆迎合主義(ポピュリズム)や権威主義が広がっている。表面上は民主主義でも、実際は民主主義と人権を抑圧している国をEUは看過できない。深刻な人権侵害や虐待には政治的な対話、多国間の枠組み、制裁などのツールを使って改善に取り組む。
ロシアは次第に欧州から離れつつある。民主主義の価値観を脅威とみなしているようだ。EUは対ロ戦略を再構築する必要があるだろう。ロシアが国際法や人権を侵した場合は、EUはそれをただそうと動き、共通の利益があると判断した場合はともに取り組む。
中国への対処には、我々には3つのアプローチがある。可能な場合は協力し、必要ならば競争する。さらに我々の価値観が危機にさらされているときは立ち向かう。EUは中国との人権に関する対話を望んでおり、人権侵害を世界からなくすことを追求し続ける。
同じ世界観を持つパートナーとの協力を強めなければならない。日本やカナダ、韓国、インドなどと手を組むことは世界へのメッセージになる。人権と民主主義の保護はEUが米国との協力を期待する分野の一つだ。バイデン米大統領が民主主義国による首脳会議を招集する意向を示したことを歓迎したい。日本やオーストラリア、南アフリカなどと連合をつくるのに役立つだろう。
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長期的視野、日本に役割 インドネシア前副大統領補佐官 デウィ・フォルトゥナ氏
Dewi Fortuna Anwar 外交政策が専門。カラ前副大統領の補佐官を経て現在インドネシア科学院研究教授。
人権は普遍的な価値で、国際社会は人権侵害に目をつぶってはならない。理想を言えば、国連や地域組織、民主主義を採用する各国が人権侵害について、あらゆる場面で懸念を示すことが必要だ。
ただ実際に人権問題を外交手段に使うとなると、さまざまな問題が生じる。自国や同盟国などで人権侵害があっても沈黙してしまい、その国の基準がダブルスタンダードになる傾向がある。人権保護を名目に対立する国が政権交代を狙うといった外部介入も避けなければならない。
国際法を違反する国に経済制裁を科す人権外交の有効性も疑わしい。人権を侵害する権威主義国家は、福祉など国民の生活に関心がないからだ。指導層は保身のため不正に走り、制裁を逃れようとする。割を食うのは国民だ。効果は限定されるが、軍など的を絞った制裁を科すしかない。
制裁で追い詰められた権威主義国家には、ほかの権威主義国家が政治や経済、安全保障で支援の手を差し伸べる。結果として権威主義のネットワークが広がり、人権外交の有効性がさらに弱まる。
国際的な制裁は、国連の安全保障理事会が承認し、大多数の大国が支持する場合に効果が期待できる。米国と中国が繰り広げる現在の地政学的な対立は、国際協調をさらに困難にする可能性がある。
国軍がクーデターを起こしたミャンマーを含め、東南アジア諸国では、大なり小なり人権問題が指摘されている。国家の長期的な建設と関連しており、簡単な解決策はない。人権の保護には民主主義の強化、法制度の整備のほか、軍・警察の改革、市民社会の強化など複雑なプロセスを経る必要がある。これは骨の折れるプロジェクトだ。
日本は人権外交で存在感が薄い。しかし、欧米などほかの西側諸国とは異なり、対象国の実情に配慮し敬意を払ったアプローチができる。欠かせないのは持続的に人権状況を改善していく能力だ。日本は人権の保護に向けた体制支援で重要な役割を果たすことができる。
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<アンカー>勢い増す強権体制 人権の価値再確認
国民の自由を抑圧する強権的な政治支配は、憎しみを生み、長続きしない。奴隷労働よりも市場経済の方が生産性が高く、結果として多くの人に豊かさをもたらす。戦争や虐殺といった惨禍を経て、民主政治こそが最良の体制という結論に、人類はたどり着いたはずだった。
ところが、米国と中国の覇権争いは、この概念を揺さぶりつつある。3月の米中高官協議で、人権抑圧を批判された中国の楊潔?(ヤン・ジエチー)共産党政治局員は「中国には中国式の民主主義がある」と反論した。
民意を束ねられず、混乱続きの米国と、コロナ危機でも経済成長を続ける中国。それだけをみると、中国の言い分に耳を傾ける国が増えても不思議ではない。
なぜ自由を守らなくてはならないのか。いまこそ人権の価値を再確認するときだ。