ワクチン忌避、克服への難路

 

 

By David Pilling

 

18世紀の英国の医学者エドワード・ジェンナーは、天然痘の根絶につながった予防接種法の科学的な仕組みを解説した研究書を1798年に著した。その初版本の一冊には、内容に懐疑的だった読者による「ばかばかしい!」という殴り書きがみられる。

 

ワクチンへの信頼は一度損なわれると、回復するのは容易ではない(昨年12月、ロンドン中心部で起きたワクチン反対派のデモ)=ロイター

 

 

失われやすい信頼

接種をためらう「ワクチン忌避」の風潮は今に始まったことではない。それは陰謀論がインターネットによって勢いを増す前からあった。もちろん英アストラゼネカと英オックスフォード大が共同開発した新型コロナウイルスワクチンへの信頼が欧州など世界各地で損なわれる前にもさかのぼる。同ワクチンの信頼低下は技術的なミスや規制当局の対応の拙さ、政治的な失態が引き起こした。

間違った理解よりも不信感がより一層、ワクチンへの恐怖を広げている。「教育」を通じて信頼を取り戻せるという考え方は「信頼は得がたく失われやすい」という誰もが知る真実を見過ごしている。

アストラゼネカ製のワクチンが優れていることはおそらく間違いない。ただ、同ワクチンは配布開始の段階からまるで信頼を揺るがす事態が仕組まれていたかのようにみえた。価格が安く大量生産が可能で、保管が容易なことから世界の主力ワクチンになることが期待されていただけに、とりわけ発展途上国にとっては大惨事といえる事態になった。

カメルーンとコンゴ民主共和国は、血栓ができる事例との因果関係を巡って欧州各国が接種を一時的に見合わせたことを受け、自国での接種をそれぞれ中断した。ナイジェリアでは、テレビカメラの前で接種を受ける予定だった政治家たちのキャンセルが相次いだ。アフリカでのワクチン供給の調整を担うアフリカ・ワクチン配布アライアンスの共同代表、アイオアデ・アラキジャ氏は、民衆が新型コロナワクチンへの信頼を失ってしまえば他に頼れるものはほとんどないと懸念する。

 

製薬会社と政治の重い責任

この事態を招いた責任の多くはアストラゼネカにある。米当局に一部古いデータを提出するなど、臨床試験(治験)のやり方やデータの扱いでミスが重なり、欧州や米国の規制当局の疑念を招いた。バイデン米政権でコロナ対策を主導するファウチ大統領首席医療顧問はこのデータ提出ミスに関し、同社が「自らのケアレスミス」で信頼をおとしめたとの見方を示した。

政治家にも責任の一端がある。フランスのマクロン大統領は科学的根拠を示すことなくアストラゼネカ製ワクチンが65歳以上の人に「ほとんど効果がない」と語った。3月15日にはフランスをはじめ欧州の複数の国が副作用の懸念があることから接種を中断すると表明した。だがフランス当局は最終的には当初の立場を一転させ、19日には55歳以上の人々に限り接種を勧めるとの見解を示した。

これでは信頼が失墜するのは驚くにあたらない。英調査会社ユーガブが22日に発表した世論調査結果によると、フランスではアストラゼネカ製ワクチンが安全でないと考える人々の割合は61%にのぼった。

感染率が跳ね上がっているポーランドでは、ワクチン接種を予約しても実際に受けに来る人は半数に満たない状態だった。エチオピアでは欧州の人々がアストラゼネカ製ワクチンを怖がって接種しないなら自分たちも受ける理由はないとする風潮が広がった。

英ロンドン大衛生熱帯医学大学院でワクチンの信頼度など世論の動向を調べている「ワクチン・コンフィデンス・プロジェクト」のディレクター、ハイディ・ラーソン氏はワクチンに懐疑的な人々を非科学的な愚か者と決めつけず、人類学的なアプローチで人々の不安に対処すべきだと主張する。ワクチンを巡るうわさはむしろ「集団的な問題解決」につながるものとして扱うべきだと指摘する。

 

接種拡大という大きなハードル

ワクチン反対運動は、英国が天然痘の予防接種を義務化してまもない1850年代にも高まった。ジェンナーが最初に種痘法を開発してから天然痘が根絶に至るまで、実に200年近くの年月を要している。米ジョンズ・ホプキンス大ブルームバーグ公衆衛生大学院のダニエル・サーモン教授の言葉を借りれば、ワクチンそのものではなくワクチンを接種することが命を救うのだ。

ワクチンは大半の医薬品とは異なる。医薬品は病気を患う限られた人々に、それによるメリットの方が病気によるリスクより大きいことを納得してもらったうえで投与される。対照的にワクチン接種は仮定のリスクを軽減するために不特定多数の健康な人々が受ける。

ワクチンには社会的側面もある。水道水にフッ化物を添加して社会全体で虫歯を予防する取り組みと似ている。ワクチン接種を受けるのは、自分だけでなく他の人々を感染症から守るためでもある。20歳の健康な人が新型コロナワクチンの接種を受ける動機の少なくとも一部には、同じ社会に属する感染リスクのより高い人々を守るという狙いがある。

では、例えばガーナの20歳の健康な人が接種を受ける場合はどうだろうか。とりわけ新型コロナ感染症はそもそもお金持ちの国の病気だと考えている人だったとすれば、誰のためにワクチンを接種するのか理解できずに戸惑うかもしれない。

ワクチンへの疑念は、政府や利益ばかり追求する製薬業界、科学者の開発動機に対する不信の表れであるケースが多い。政府が国民から信頼されない状態にあるのも、製薬会社が時としてカネの亡者になるのも、一部の科学者が倫理に反する実験に手を染めるのもワクチン懐疑論の払拭には百害あって一利なしだ。うまく統治されていない国では国民が政府から恩恵を受けることに慣れていないため、ワクチンの無料接種に対しても何か裏があるのではないかという疑念が生じてしまう。

アストラゼネカ製ワクチンの信用回復の取り組みは苦しい闘いになる。しかも、このワクチンを最も必要としている貧しい国々でこそ、この闘いに全力で取り組まなければならない。安い価格でワクチンを供給する唯一の製薬会社として、アストラゼネカは本来なら今ごろ栄光に包まれた存在になっていたはずだった。だが実際には、安全性も有効性も高いはずのワクチンがその存亡をかけて闘わなければならなくなっている。

 

 

 

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