アナザーノート
三陸で語りつぐ大津波 二つの碑に並ぶ言葉
伊藤裕香子
消費者のくらしから税制・財政の姿を考える
三陸鉄道に乗るのは、2年ぶりだった。白青赤の車両に乗り、窓側の席に座る。岩手県の沿岸にある釜石駅から、北へと向かう。
20年ほど前の駆け出し記者のころ、岩手じゅうをめぐっていた。離れてからも毎年のように、広い海を見たいと訪れていた。
東日本大震災の年、初めて訪れた5月の連休に、三鉄の線路はあちこちで途切れていた。海岸に沿った道路もまっすぐに走れず、パトカーや自衛隊の車が行き交っていた。翌年以降もしばらくは、土ぼこりとともに、関西や北陸など遠くの県外ナンバーのダンプカーをたくさん見かけた。
震災10年の前日となる3月10日、車窓から眺めた国道にも、ときおりダンプカーが通っていた。海の手前の防潮堤や砂浜は、まだ工事中のところもある。おそろいのかたちをした災害公営住宅、建物と空き地が混じり合った空間が繰り返し、列車の後ろへと過ぎていった。
80年の時を超えて
30分ほどで、浪板海岸駅に着いた。
小さな無人駅のホームのすぐ脇に、空とつながった青い海をのぞめる場所がある。海岸からの高さは20メートル近い。10年前にここまで津波が来たと記した石の柱と、二つの碑が並んでいる。
黒く光る「東日本大震災備忘の碑」は2018年12月の日付。「千年後への伝言」の書き出しで、こう書いてある。
「地震が起きたら津波が来ると思え 高台に避難し解除が出るまで戻らない。今次の震災が永久に教訓となることを願ってこの地に建立する」
その左側、一歩下がったところにある古びた碑は、1933(昭和8)年の大津波の教訓を記した「大海嘯(かいしょう)記念碑」だ。もとは海岸近くの国道沿いにあった。10年前に200メートルほど流され、移されたという。
鼻がくっつくほどまで顔を近づけると、消えかかった文字を、ようやく読むことができた。
「1、地震があったら津浪(つなみ)の用心せよ」
「1、津浪が来たら高い所へ逃げよ」
「1、危険地帯に住居をするな」
昭和の碑に確かに書いてあった同じ教訓は、80年ほどの時を経て、新しい碑に刻まれた。津波が襲来した時刻は、どちらも地震発生から30分後。地元の台野宏さん(76)は「二つが同じ戒めとわかるように。碑は思い出してもらうためです」と教えてくれた。
台野さんは高校生のとき、チリ地震津波も経験した。10年前のあの日は、近所の人たちに声をかけながら、高台へ向かった。一緒に走って津波を免れた人も、また家に戻って命を落とした人もいた。
「人の心なので、時間がたてば薄らいでいくこと、ありますよね。どうしてもふだんは、忘れて生活していると思います」
復興税はあと17年
薄らぐ記憶と言えば、震災の年に東京で取材していた復興税のことを思い起こす。
震災から8カ月後の国会で、決まった。2013年分から25年かけて所得税に上乗せされる。住民税も所得にかかわらず一律1千円を10年間払う。特別税という名の毎年の出費は、所得税であと17年続く。
復興にかかるお金を、だれがどんなかたちで負担するべきか。政府はこのとき、「国民の幅広い参加と貢献」をふまえた増税を考えた。
安住淳さんは当時、財務大臣として国民に新たな負担をお願いする立場にいた。
「被災地の人間で、心苦しい思いもしております。ただ、さまざまな世論調査でも、日本の国民の多くはこの復興に向けて、多少の負担にも大変寛容な気持ちを持っていただいている」
安住さんが生まれ育った宮城県沿岸の石巻市も、津波に襲われている。「心苦しい」を繰り返し、「本当にありがたい」と続けた。
当時の取材ノートには、震災1年後に石巻市を訪れたときの、工場の社長さんの言葉も残っている。
「遠くにいる見ず知らずの人たちが払ってくれる税金で、私たちは助けられています。早く工場を元に戻して、少しでも恩返しをしたい」
被災地とつながり、ほんの少しは役に立っている、と私も意識していた。いま、復興税を思い出すことはほとんどない。
風化は進むけれど
浪板海岸駅に戻った。列車が来るまで待合室で過ごす。掃除が隅々まで行き届き、落書き一つない。
棚にあった「三陸鉄道 浪板海岸駅ノート」には、全国から来た人がペンをとっていた。それぞれにとって、忘れられない思いがつづられている。「あの人」や「あのとき」を心からずっと離さず、離せない人たちが、駅に降りたっていることを知った。
時は止まらず、流れていく。昭和の碑のように、どうしても風化は進む。だからこそ、この先も繰り返し伝え、刻んで未来へつなぐ大切さを、改めて思う。
「復興のシンボル」走り続けて
三陸鉄道は津波から5日後に、一部の列車が動き始めました。163キロの線路は、8年を経てつながります。下記のリンクでは、ドラマ「あまちゃん」で知られた三鉄のこの10年を、線路や駅の写真も交えて振り返りました。
3本目は、同僚が取材した安住さんのインタビュー。修学旅行で国会見学にくる地元の中学生には、必ず復興税の話をするそうです。
津波5日後、三陸鉄道は動き始めた 運んだのは生きる力
志村けんさんも出迎えた三陸鉄道 警笛は響くよ津波跡に
「この世代で解決する」 安住淳氏、苦心の復興増税語る