東日本大震災10年

 

10年目の3.11 被災地の祈り「生きていることに感謝」

 

 

 

仙台市荒浜地区の海岸を訪れ、犠牲者の冥福を祈る人たち(11日朝)=目良友樹撮影

季節は巡り、今年も東日本大震災の被災地を見つめ直す日が訪れた。大切な人や我が家を失った人らの悲しみに区切りはなく、終わりはない。10年目の「3.11」。東北の被災地など各地の表情を追った。

 

「前を向く」被災者照らす「3.11」 岩手県釜石市

「3・11」の文字を乗せたあんどんと花火(11日午後、岩手県釜石市の根浜海岸)=森山有紗撮影

静寂に包まれた海辺に「3・11」の文字が浮かび上がった。津波で多くの砂浜が流失した岩手県釜石市の根浜海岸。午後6時すぎ、海に浮かべた高さ約3メートルのあんどんに明かりがともり、花火も打ち上げられた。

市内在住の80代の女性は津波で自宅が流された。大切なものを失った悲しみと向き合った10年だったが「前を向いて、一歩ずつ人生を豊かにしていきたい」と優しく笑った。

 

「立ち上がろう」灯籠に復興への願い込め 福島県富岡町

火がともされた灯籠を見る子どもたち(11日午後、福島県富岡町)=藤井凱撮影

一部に帰還困難区域が残る福島県富岡町の公園では午後5時半から、復興への願いを込めて約680個の灯籠にあかりをともす催しが開かれた。暗闇をオレンジ色に照らした灯籠には「たちあがろう」「富岡は負けん」などと手書きのメッセージが記されていたが、住民からは「震災前と比べて商業施設は少なく、生活は不便になった」との声も聞かれた。

 

風船に思い乗せて 宮城県名取市

地震発生時刻の黙とう後、風船を飛ばす人たち(11日午後、宮城県名取市)=目良友樹撮影

宮城県名取市閖上(ゆりあげ)では約750人が犠牲になった。資料館「閖上の記憶」前では、遺族らが鳩型の白い風船約400個に追悼の思いを書き込み、空高く飛ばした。

大震災の津波で14人の生徒が亡くなった市立閖上中学校の遺族会代表、丹野祐子さん(52)は「この町に14人の子どもがいたことをいつまでも覚えていてほしい」と訴えた。日航ジャンボ機墜落事故遺族会事務局長で、丹野さんらと交流を続ける美谷島邦子さん(74)も参加し「大切な人を失った悲しみは消えずに深まる。悲しみつづけていい。立ち止まっていい。その中で人とつながり、応援してくれる」と語りかけた。

 

東京・銀座で11回の鐘 友人失った女性「ずっと忘れない」

地震発生時刻に黙とうする人たち(11日午後2時46分、東京・銀座)=樋口慧撮影

東京・銀座でも地震発生時刻の午後2時46分、街のシンボルとなっている時計塔の鐘が11回鳴り響き、足を止めて黙とうをささげる人がいた。

鐘が鳴り終わった後も手を合わせていた港区の70代主婦は「10年がたったなんて信じられない。今もあの日のことを鮮明に思い出す」と話し、涙目に。宮城県気仙沼市に嫁いだ古くからの友人を亡くしたといい「ずっと忘れないからね、と声をかけた」と漏らした。

 

気仙沼で復興祈念公園が開園 犠牲者1089人銘板に

復興祈念公園の銘板に記された犠牲者の名前を探す人たち(11日、宮城県気仙沼市)=柏原敬樹撮影

宮城県気仙沼市で11日午後、復興祈念公園がオープンし、開園にあわせて約20人の地元住民らが足を踏み入れた。沿岸の町並みを見下ろす小高い山の頂上に、高さ約10メートルの三角形のモニュメント「祈りの帆―セイル―」と犠牲者1089人の名前を刻んだ銘板を設置した。

訪れた同市の小山亜古さん(58)は震災当時、小学生だった次男の同級生の母親が亡くなった。銘板に名前を見つけ「故人を思い出すいい場所をつくってもらった」とぽつり。東日本大震災について「過去にあった津波の記憶も薄れていた中での災害だった。これからも起こりうる災害にしっかり備えたい」と話した。

 

被災地に鎮魂のサイレン「亡くなった人の分も生きる」

地震発生時刻に防潮堤の上で黙とうする人たち(11日午後2時46分、岩手県宮古市)=森山有紗撮影

冷たい海風が吹き付ける岩手県宮古市田老地区。東日本大震災が起きた午後2時46分、鎮魂のサイレンが鳴り響き、高さ10メートルの防潮堤の上に集まった地元の小中学生や住民らが一斉に黙とうした。

「震災のない平和な時代が続きますように」「天国から田老の復興を見守っていてください」。犠牲者の追悼や復興への願いなど10年分の思いが書き込まれた短冊が用意された。集まった人々が短冊を結びつけた風船を放つと、澄み切った青空に勢いよく舞い上がった。

市立田老第一中学校に通う中学1年生の石垣奏音さん(13)は震災当時3歳だった。町をのみ込んだ巨大津波は記憶にあるといい「震災で亡くなった人の分まで一生懸命生きたい」と話した。

 

福島の魚、特設コーナーでPR 東京のアンテナショップ

福島県のアンテナショップでは県産の海産物を並べたコーナーを設けた(11日、東京都中央区)=樋口慧撮影

福島県のアンテナショップ「日本橋ふくしま館 MIDETTE」(東京・中央)は11日、県内の復興の歩みを紹介するパネルを展示し、沿岸部の業者から仕入れた海産物の販売コーナーも設けた。小山勉館長(44)は「客足は絶えない。多くの人が福島に思いを寄せてくれたのはありがたい」と喜んだ。

会社員、小林毅さん(56)は震災後の数年間、同県富岡町で汚染水処理の事業に関わったという。「被災地への思いは人一倍強いつもり。少しでも応援できれば」と話し、会津地方の郷土玩具「赤べこ」や揚げかまぼこを購入した。

和菓子を買いに来たという50代の女性会社員は震災当日、帰宅できず都内のビルで一夜を明かした。10年前を振り返り「今もふるさとに帰れない人がいると思うとやるせない」と漏らした。

 

岩手県陸前高田市 不明者捜索「手掛かり見つけたい」

行方不明者の手掛かりを求めて沿岸部を捜索する岩手県警の警察官(11日午前、岩手県陸前高田市)=柏原敬樹撮影

岩手県警などは11日、行方不明者の手掛かりを求め、津波の被害を受けた沿岸部を捜索した。死者・行方不明者が県内で最多の1700人を超えた陸前高田市では、警察官ら62人が黙とうした後、景勝地だった「高田松原」の砂浜に並んで立ち、スコップなどを使って遺留品を探した。

震災発生当時、釜石署の新人警官だった県警機動隊の田中誠也巡査部長(30)は「待っている家族のために手掛かりを見つけたい」と力を込めた。県警によると、10日時点で1111人の行方が分かっていない。

東京電力福島第1原子力発電所が立地する福島県大熊町の夫沢地区でも、双葉署員らが捜索に当たった。

 

「寄り添い、支える」支援者が遺族訪問 宮城県石巻市

遠藤伸一さん(右)に花を渡す志村知穂さん(11日午前、宮城県石巻市)=小林隆撮影

宮城県石巻市長浜の自宅で3人の子どもを津波で亡くした遠藤伸一さん(52)、綾子さん(52)夫妻のもとを、一般社団法人「こころスマイルプロジェクト」代表の志村知穂さん(54)が花束を携えて訪ねた。

志村さんは、親やきょうだいを突然失い、心に深い傷を負った子どもに寄り添う活動を伸一さんと続けてきた。遠藤夫妻にとって、11日は長女、花さん(当時13)、長男、侃太さん(同10)、次女、奏さん(同8)と突然別れた慟哭(どうこく)の日。伸一さんは「子どもたちには、父ちゃん、いろんな人に守られてきたからなと伝えた」と話した。

「ただ近くに寄り添うことで支える一人でいたい」。こう考える志村さんはその後、幼稚園のバスに乗った次女、春音ちゃん(6)を津波で亡くした西城江津子さん宅を訪問し、西城さん家族とともに仏壇に花を手向けて手を合わせた。

 

福島県沖で試験操業 漁協「風評の悩みいつまで」

試験操業でとれた魚を水揚げする漁師(11日午前、福島県いわき市)=黒滝啓介撮影

福島県いわき市の久之浜漁港では11日午前、試験操業に出ていた約20隻の船が次々に寄港。シラウオ、カレイ、イカなどが水揚げされ、その場でせりにかけられた。

いわき市漁協組合長で漁師の江川章さん(74)は、東京電力福島第1原子力発電所事故に翻弄され続けた10年を「長いようで、短かった」と振り返り、「漁民は魚をいっぱいとるのが楽しみなんだ。風評の悩みはいつまで続くのか」と険しい表情を浮かべた。

「震災から10年たち、流通は上向いてきた」と話すのは、仲買人の遠藤浩光さん(61)。放射性物質トリチウムを含む処理水の処分問題については「処理水の処分で風評被害がこれまで以上にひどくならないか」と心配していた。

 

「万里の長城」見学 岩手県宮古市で防災ツアー

防潮堤の上でガイドの説明を聞くツアー参加者(11日午前、岩手県宮古市)=森山有紗撮影

震災で181人が亡くなった岩手県宮古市田老地区では午前9時から、防災ツアーが開かれた。震災遺構「たろう観光ホテル」で17メートルを超える大津波を6階から撮影した映像が上映されると、約20人の参加者は言葉を失った。

「万里の長城」と呼ばれる巨大防潮堤も見学。ガイドの元田久美子さん(63)が「次の地震に備え、命を守るために津波から避難する大切さを発信していきたい」と話すと、目頭を押さえ涙を流す人もいた。

福岡県から訪れた団体職員、園田庄治さん(62)は「自分の防災意識が低いことを反省するきっかけになった。防災対策の重要性を若い世代にも伝えていきたい」と話した。

 

仙台市荒浜地区 祈りの朝「生きていることに感謝」

いてつく寒さのなか、水平線からオレンジ色の太陽が昇った。仙台市の沿岸部、荒浜地区では夜明け前から約20人が海岸に集まり、海に向かって犠牲者への祈りをささげた。近くに立つ慰霊の塔と観音像の前でも次々と花が手向けられた。

慰霊碑に刻まれた妻の名前を指でなぞる男性(11日午前、仙台市荒浜地区)=目良友樹撮影

10年前、この地区は約10メートルの津波に襲われ、約190人が犠牲になった。仙台市宮城野区の会社員、北芝佳代子さん(44)は長男(15)や友人家族とともに、3月11日に初めて荒浜に足を運んだ。家族は無事だったが、友人には家族が行方不明のままの人もいる。「生きていることに感謝しながら、当時に思いをはせたかった」と話し、「10年はあっという間だった。全国から支援をもらったけれど、恩返しできているかな」とつぶやいた。

 

 

 

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