馬氏、共産党の矛盾を象徴
経済成長と統制の両立は困難
ジャミル・アンデリーニ
米アマゾン・ドット・コムの創業者ジェフ・ベゾス氏や米マイクロソフト共同創業者のビル・ゲイツ氏が公の場から姿を消したとする。きっとバイデン米大統領の命令で逮捕されて、政府の極秘の場所で厳しい取り調べを受けているのだ、と誰もが即、何の疑いもなくそう考える状況を想像できるだろうか。
イラスト James Ferguson/Financial Times
だが世界第2位の経済大国では起きている。保有資産が500億ドル(約5兆3000億円)を超えるアリババ集団創業者の馬雲(ジャック・マー)氏は、昨年10月以来一度しか姿を公の場にみせていない。しかもその一度は1月にオンラインのイベントで短くあいさつした程度で、同氏が政府に拘束されているとの臆測を静めるにはほど遠かった。馬氏が姿を消したのは、昨年11月に予定していたアリババ集団傘下の金融テック会社アント・グループの新規株式公開(IPO)を当局が差し止めた直後のことだった。このIPOが実現すれば過去最大規模の資金を調達できるはずだった。
最新の噂では馬氏は南シナ海の島でゴルフを楽しんでおり、資産の大半を維持できるだろうとみられている。だが中国で最も有名な起業家にあのような容赦ない恥をかかせたことは、中国という国が根幹に抱えている著しい矛盾がさらに拡大しつつあることを物語っている。
「中国の夢」の実現には経済発展しかない
中国の習近平(シー・ジンピン)国家主席は「中華民族の偉大な復興」という夢の実現に取り組んでいるが、それには民間企業の成長によって急速な経済発展を遂げるしか道はない。だが習氏は同時に政治権力を自らに集中させ、国有企業部門を拡大し、中国共産党が個人の生活や企業活動のあらゆる面に介入する権利を強化してきた。
「東西南北およびその中心も一切を党が支配する」。これは習氏が好きなスローガンの一つだ。伝統的マルクス主義や「中国の特色ある社会主義」を常に強調するが、習氏にとっては不都合にも中国都市部の雇用の8割と国内総生産(GDP)の6割は民間企業が創出している。
億万長者で自身も中国共産党党員である馬氏は、中国が国家を挙げて追求するイデオロギーに内在する矛盾をいわば体現している。昨年後半までの馬氏のキャリアは、中国共産党以外の権力や権威といったものは徹底的に排除する「市場レーニン主義」、つまり国家資本主義の下で企業家として生き残るべく最も巧みに立ち回った成功例の一つといえる。
プーチン大統領が支配するロシアと同じく、中国の新興財閥(オリガルヒ)も国家に奴隷のように忠実でないという兆しを少しでもみせれば、すぐに容赦のない罰が下される。
中国の「全体主義化」にも役割果たした馬氏
つい最近まで馬氏は「国家にかわいがられる資本主義者」の役をうまく演じてきた。筆者が馬氏に最初に会ったのは05年、米ヤフーがアリババ株の40%を取得した際の式典の場だった。ヤフーは当時、深刻な問題に陥っていた。中国当局に電子メールのユーザー情報を引き渡したことで、中国国内のジャーナリストや人権活動家らが逮捕され長期に収監されたことにつながったためだ。
本件について尋ねると、馬氏は「(政府が)何を求めてきても私はそれに従う」と即答した。天安門事件で民主化運動弾圧のため戦車を投入した中国共産党の決断も支持する発言をした。別の取材では政府の要請があればいつでも自分の会社すべてを「国」に差し出すと述べた。
中国のテック業界で財を成した他の億万長者と同様、馬氏は監視技術などを駆使した中国の「全体主義化」に重要な役割を果たした。中国の他の資産家と同様、馬氏も中国共産党の幹部やその親族とまめに人間関係を構築した。アリババやアント・フィナンシャルの大口投資家には、江沢民(ジアン・ズォーミン)元国家主席の孫など、権力者の子弟が含まれる。
著名資本主義者への見せしめは増える
こうした支援者らが政治的影響力を失い、アント・グループ株を手にする機会がなく過去最大のIPOの恩恵を受けられない新世代の指導者らから馬氏を守りきれなかった。このことが馬氏が今、苦境にある一因かもしれない。だが馬氏の最大の問題は莫大な資産を抱えて傲慢になり、中国で最も派手な起業家として目立ちすぎたことだ。
今年7月に中国共産党創立100年を迎えるため、習氏は中国社会主義の歴史に名を残す重要人物らに熱烈な賛辞を贈ることで自らの指導者としての正統性を強化しようとしている。だが中国では昨年、最も豊かな国民20%の平均可処分所得が最も貧しい20%の平均の10.2倍に上っただけに、習氏が自らの評価を高めるのは容易ではないかもしれない。弱肉強食の資本主義国である米国でさえ、この数値は約8.4倍だった。
習氏は過去、自由市場の考え方に傾いた時期もあった。だが今の政策をみると、全体としては依然として民族主義的イデオロギーを最重要視しているものの、同時にマルクス主義や社会主義に近い目標を目指しているように思える。
ただ、1949年に国共内戦に勝利した時のように中国共産党が民間企業を国有化しさえすればよいわけではないことを習政権は承知している。
今掲げる目標の達成は、もっと微妙な問題をはらんでおり難しい。習氏は民間企業を後押しする一方で、起業家らの行動から動機、果てはその思想まで中国共産党の考えで統制したいと思っている。習政権は昨年9月、民間企業向けの新たな指針を発表し、各社は社内に共産党委員会なるものを設け、人事その他の重要案件については同委員会の承認を得るよう求めた。
新指針は、企業人は中国共産党と「政治的、思想的、感情的に一心同体」になるよう教育されなければならないと定めている。従って民間部門への介入や馬氏のような著名な資本主義者への見せしめは今後、その頻度と激しさを増していくだろう。
問題は中国への投資増やす米企業の対応
これが海外の投資家にどう影響していくかが大きな問題だ。特に米ウォール街の銀行や資産運用各社は今、中国への投資を拡大しているからだ。ゴールドマン・サックスやブラックロックなど米資本主義を代表する企業が習氏と「政治的、思想的、感情的」に方針を一致させることなどできるのだろうか。
米政府は中国に進出した米企業の経営組織内に中国共産党の細胞があることをどう考えるのだろうか。
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