コロナは科学が救う 政治はどうか

 

 

歴史学者ハラリ氏寄稿、パンデミック1年で世界の課題は

 

新型コロナウイルスは世界をどう変えたのか――。昨春、感染防止を狙いとする監視技術の活用などは慎重に展開しなければ全体主義につながりかねない、と警鐘を鳴らし世界で注目を集めたイスラエルの歴史学者ユヴァル・ハラリ氏。パンデミックから1年を経た今の世界が直面する課題について寄稿した。

 

監視と自由の均衡探れ

大局的に歴史をみたとき、新型コロナウイルスが世界で大流行したこの1年をどう総括できるだろうか。多くの犠牲者が出たため自然の猛威に遭遇した人間の無力さを痛感した人も多い。だが実際には人間は決して無力ではないことが示された。感染症はもはや人の手に負えない自然の脅威ではなく、科学で手なずけられる試練になった。

それでも多くの死者や苦難が続いているのは政治判断を誤ったからだ。人類は過去、黒死病(ペスト)などの感染症に見舞われた際、その原因や防御手段を解明できなかった。1918年のインフルエンザ(スペイン風邪)の時も、世界有数の科学者でさえそのウイルスの正体を特定できず、多くの対策は使い物にならず、有効なワクチン開発の試みも失敗に終わった。

新型コロナでは状況が一変した。新たな感染症の疑いが浮上した翌月の昨年1月10日には科学者らが原因ウイルスを特定、ゲノム(全遺伝情報)配列まで解析し、インターネット上に情報を公開した。数カ月後にはどの対策が感染を遅らせ阻止できるかが明らかになり、1年もたたぬうちに複数の有効なワクチンを開発、量産を実現した。人間と病原体との闘いで、人間がかくも優勢だったことはない。

バイオテクノロジーの空前の成果とともにIT(情報技術)の威力も特筆に値する。スペイン風邪の際は感染者は隔離できたが、発症前や無症状感染者の動きは追跡できなかった。国民に数週間自宅にいるよう命じていたら経済は破綻し社会は崩壊し、大規模な飢餓を招いていただろう。

今回はデジタル監視ツールの普及で感染経路の監視や特定が容易になり、感染者だけを効果的に隔離できるようになった。自動化とネットのおかげで、先進国ではロックダウンができた。

農業をみてほしい。食糧生産では何千年も人口の約9割が農業に従事してきたが、もはや先進国は違う。米国の農業人口は全体の1.5%だが、それで全国民を賄い、食糧輸出国にもなっている。病気になる心配のない機械がほぼ全ての農作業を担うため、ロックダウンは農業にほとんど影響を及ぼさなくなった。

黒死病が大流行した頃の小麦畑の収穫期に農民に自宅にいろと命じたら人々は飢えるし、畑で収穫しろと命じれば感染が広まる恐れがある。どうしたらよいのか――。今なら全地球測位システム(GPS)に誘導される1台のコンバインが畑の小麦を効率的に収穫する。感染リスクはゼロだ。1349年の農民1人当たりの平均収穫量は日量約5ブッシェルだった。2014年はコンバイン1台で3万ブッシェルと1日当たりの最高の収穫量を記録した。おかげで主要農作物の世界生産量はコロナ禍でも大きな影響はなかった。

食糧は時に数千キロメートルも輸送する必要がある。歴史的に貿易は常にパンデミック(疫病の世界的大流行)の元凶の一つだった。黒死病は東アジアからシルクロード経由で中東まで至り、ジェノバの商船で欧州に運ばれた。荷馬車には御者が欠かせず、小さな商船の運航にも船員数十人が必要で、混み合う船内や宿屋は病気の温床となった。貿易が死に至る脅威を拡散したのだ。

昨年、海外旅行者は激減したが、海上貿易量は前年比4%減だった。人間がほば介在しなかったからだ。1582年の英国商船の合計輸送能力は6万8000トンで、約1万6000人の船員を必要とした。今のコンテナ船は自動化され、新型なら搭乗員22人で約20万トンの物資を輸送できる。

自動化とデジタル化のサービス部門への影響も大きい。かつてオフィスや学校、裁判所、教会がロックダウン下でも機能するなど思いもしなかった。人間は以前はリアル(現実)の世界だけで生活し、致死率の高いウイルスが広がれば逃げ場はなかった。今は多くの人がリアルとバーチャル(仮想)という2つの世界で暮らす。

もちろん全てをデジタル化はできない。この1年で看護師、清掃作業員、運転手、配達員など多くの低賃金の仕事が文明の維持に重大な役割を担っていることが判明し、リアルの世界の重要なライフラインになった。

一方、オンラインへの移行が進むに従い新たな危険が浮上している。この1年で特筆すべきはネットが「壊れなかった」ことだ。実際の橋は通行量が突然増えれば崩壊する可能性がある。昨年、学校やオフィス、教会などが一気に活動の場をネット上に移したが、ネットは持ちこたえた。ITの活用でウイルスへの私たちの耐性は高まったが、マルウエアやサイバー攻撃には、はるかに脆弱になった。

「次の危機は何か」とよく聞かれるが、筆頭候補はデジタルインフラへの攻撃だ。新型コロナ感染者が数百万人に上るのに数カ月かかったが、デジタルインフラは1日で崩壊するかもしれない。コロナ禍は、デジタルインフラの脆弱性という科学と技術の限界も浮き彫りにした。

科学は政治に代わることもできない。政策判断を下すには多くの利害や価値観を考慮する必要がある。どの利害や価値観の方が重要かを判断する科学的方法はなく、かつ決める科学的方法もない。ロックダウンを決めるのに「しなかったらいかに多くが感染するか」と問うのでは不十分だ。「実施したらいかに多くがうつ、栄養失調、失職に至るか」なども問う必要がある。

データを正確で信頼できるとしても「何を重視し、何が重要かを誰が決めるのか」を常に問うべきだ。これは科学ではなく政治の仕事だ。政治家が医療、経済、社会面の検討すべき事項のバランスをとり、包括的対策を打ち出さなければならない。

技術者もロックダウン下の社会機能を維持できるよう新たなデジタルプラットフォームや感染の連鎖を防ぐ監視ツールを開発している。だがデジタル化と監視は私たちのプライバシーを脅かし、前例なき強権体制に道を開く。昨年は大規模な監視が一段と正当化され一般的になったが、人々のためになる監視とディストピア(暗黒郷)の間の最適な均衡点を見いだすのは技術者ではなく政治家の仕事だ。

 

強権阻止へ3つの原則

3つの基本原則の追求がデジタルによる強権政治の阻止に役立つ。

第1は市民に関するデータの扱いだ。特に体の状態に関するデータを収集する際は、それは必ず市民を支援するために活用されなくてはならない。市民を操作、支配したり、危害を及ぼしたりするためであってはならない。

私のかかりつけ医は私のプライベートな情報を多く持っているが、私のために使うと信頼しているから認めている。かかりつけ医は、このデータをいかなる企業にも政党にも売るべきではない。今後、設立されるかもしれないどんなタイプの「パンデミック監視当局」もそうあるべきだ。

第2は監視は常に双方向でなければならない。上から下への一方通行の監視は独裁政治を招く。このため個人への監視を強化する際は、必ず政府や大企業への監視も強化すべきだ。

例えば各国政府はコロナ危機対策として巨額の給付金を配布している。私は一市民として誰がどれほど受け取り、資金の配分先を誰が決めたのかが分かるようにしてほしいと考えている。政府に近い大企業でなく、切実に必要としている企業に届けてほしいと願っている。

第3は多くのデータを1カ所に集めすぎてはならない。これはコロナ収束後も同じだ。データの独占は独裁政治を招きやすいからだ。

パンデミック阻止のために市民の生体データを収集するなら警察ではなく独立した公衆衛生機関が担当すべきだ。収集データは、政府や大企業が保有する他のデータとは別に保管することが必要だ。非効率になっても、監視がその分難しくなるのは良い。デジタル独裁台頭の阻止には非効率さを残すのがいい。

新型コロナで科学と技術は大成功を収めたが、その危機は解決していない。新型コロナは今や自然災害から政治的課題に変質した。

黒死病の死者が数百万人に上っても当時、誰も王に多くを期待しなかった。第1波で英全人口の約3分の1が死亡したが、イングランド王が退位する事態にはならなかった。支配者の力で感染拡大を食い止められないのは明白だったため責任を問う声は上がらなかった。

現在は感染拡大を阻止する科学的手段はある。それだけに科学的進歩の成果は政治家にとてつもない責任をもたらすようになった。この責任を果たさない政治家があまりに多いのが問題だ。米国のトランプ前大統領とブラジルのボルソナロ現大統領は事態を軽視し、専門家の意見にも耳も傾けなかった。そのために数十万人の救えたはずの命が失われた。

私の母国イスラエルはワクチン接種では世界で先頭に立つが、初期の判断ミスから人口当たりの感染者数は世界7番目だ。現政権は事態に対処するため米製薬大手ファイザーと「データを提供する代わりに人口分のワクチン提供を受ける」という取引を決めた。このことは市民のデータが今や国家の貴重な資産の一つになったことを示している。

パンデミック対応で科学と政治の明暗が分かれた一因は、科学者は国際的に協力したが、政治家は反目しがちだった点にある。世界中の科学者らは先の見えない状況で研究に取り組み、情報を惜しみなく共有し、研究結果や知見を共有した。だが政治家らは協力体制を築けていない。米中は重要な情報は隠し、互いを陰謀説を広めたと非難し合った。不足する医療物資を巡っては各国間の争奪戦にまで発展している。

 

国際協力は自国のため

認識すべきは、感染拡大が世界のどこかで続く限りどの国も安心できないという事実だ。イスラエルが国内のウイルス根絶に成功しても、ブラジルの辺境の町でワクチンの効かない変異ウイルスが出現すれば、新たな感染拡大が起きる恐れがある。この緊急事態下での国際協調は他を利するものではない。自らの国益の確保に不可欠なのだ。

この1年に学んだ3つの教訓に誰も異論はないはずだ。

第1はデジタルインフラを守らなくてはならない。ネットはコロナ禍の救世主となったが、今後、大きな災害の源になりかねない。第2は各国は公衆衛生体制にもっと資金を投じるべきだ。第3はパンデミックを監視し阻止する強力な国際システムの構築だ。

人間と病原菌の闘いの最前線は人間の肉体だ。どこかでこの前線が突破されれば全人類が危機に陥る。辺境の地で、新たなウイルスがコウモリから1人の貧しい村人に飛び移れば、数日でそのウイルスが米ウォール街にたどり着く可能性もある。

世界保健機関(WHO)が存在するが、予算は限られ政治力もない。感染症に対抗できるシステムに一定の政治的影響力を持たせ資金を投入する必要がある。そうすれば自分のことしか考えない政治家に振り回されずに済む。

重要な政策判断は政治家が担うべきだが、独立した国際的な公衆衛生機関が存在し、そこが医療データを収集し、潜在的危険を監視し、警告を発し、研究を指揮すれば理想的な基盤となるだろう。

新型コロナは今後相次ぐパンデミックの始まりにすぎないと懸念する人は多い。だがこの教訓を実践すれば、新型コロナから我々は学んだことになり、今後のパンデミックの頻度が減るかもしれない。人類は新たな病原菌の出現を阻止できない。それは数十億年続いてきた自然の進化のプロセスで今後も続く。だが我々は新たな病原菌がパンデミック化するのを防ぐ知識と手段を手にしている。

今年も新型コロナの感染拡大が続き数百万人が犠牲となったり、2030年に致死率のもっと高いパンデミックに襲われたりしたら、それは人の手に負えない自然災害でも天罰でもなく、人災であり、より厳密に言うなら失政ということだ。

 

ユヴァル・ノア・ハラリ(Yuval Noah Harari) 1976年、イスラエル生まれ。歴史学者,哲学者。93〜98年ヘブライ大学で地中海史と軍事史を学んだ後、英オックスフォード大学で博士を取得。著書に世界で1200万部を超えるベストセラーとなった「サピエンス全史 文明の構造と人類の幸福」のほか、「ホモ・デウス:テクノロジーとサピエンスの未来」「21 Lessons:21世紀の人類のための21の思考」などがある。

 

 

 

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