コロナ医療の病巣(1)
小規模乱立、余力なき病院 「経営の自由」もろさ露呈
さくら総合病院の小林豊病院長は「コロナは災害医療」と昨年12月に患者の受け入れを決断した(愛知県大口町)=共同
新型コロナウイルスの感染拡大で医療崩壊の危機に直面した日本。世界に誇る長寿社会を支えてきた医療体制は、他の先進国よりも少ない感染者を前に、驚くほどのもろさを露呈した。コロナがあぶり出した日本医療の病巣を探る。
愛知県大口町のさくら総合病院は400床弱の民間病院だ。これまでPCR検査には対応していたが2020年12月に30床の病棟1つを20床のコロナ病床に転換。中等症患者を受け入れ始めた。
感染拡大第3波によって地域の公立・公的病院の病床がどんどん埋まっていったためだが、簡単な決断ではなかった。昨年7月に院内でクラスター(感染者集団)が発生した際は外来患者の診療を停止するなどした結果、単月収入が1億円減った。これは通常の2割強にあたる。収入水準が戻るまで3カ月かかり、経営に打撃を受けた。
「断らない医療」をモットーとする小林豊病院長はそれでも受け入れに踏み切ったが、大半の民間病院は後ろ向きだ。
政府は受け入れを促すために診療報酬を上乗せし、空床確保料などの補助金を用意。21年1月には1床確保につき最大1950万円を出す措置も追加した。それでも病院側は「クラスターが起きたときの減収を補いきれない」とみている。
日本の病院経営は脆弱だ。小規模な病院が全国各地に林立し、医師や看護師ら医療従事者も分散し治療の効率が諸外国に比べて悪い。経済協力開発機構(OECD)の統計によると、人口100万人あたりの病院数は66施設と、仏の45、独の37、英の29、米の19を大きく上回る。一方で1000人あたり医師数は2.5人と独の4人超、仏の3人超より少ない。
救急や重症の患者向けの「急性期病床」をみると日本は人口1000人あたり7.8床と、米国(2.5床)の3倍以上の水準。それなのにコロナ病床の確保で海外に見劣りするのは「小規模・分散型」の医療体制に大きな原因がある。
日本の医療へのアクセスの良さは世界一とされる。患者はコンビニエンスストアを選ぶように、身近な医療機関で自由に受診できる。厚生労働省の幹部は「小規模病院が点在し、均一の医療を提供できることは日本の強み」と話す。一方で「有事の備えがない」とし、非常時への対応力が乏しいことを認める。
コンビニ型医療の源流は1961年の国民皆保険制度の創設にさかのぼる。皆保険で急増した医療ニーズを引き受ける形で民間の診療所が増えた。公的病院に病床規制が導入される一方、診療所の一部は規模を拡大し、入院機能を持つ病院に衣替えしていった。
82年まで25年にわたって日本医師会の会長を務めた武見太郎氏は開業医の利益を重視。医師が外部干渉を受けずに活動する「プロフェッショナル・フリーダム」を掲げ、政府の介入をことごとく阻んだ。診療報酬増額などを求めて全国一斉休診に踏み切るなど、歴代の厚生相以上に医療政策に影響力を発揮した。
今日まで続く民間の開業医を中心とする医療体制はこうして形成され、結果として「経営の自由」が確保された病院が増加の一途をたどった。
人口減時代に入り、病床余剰が強まると医師会は公立・公的病院の縮小を強く求めた。「民間病院と競合している場合は公立・公的病院が撤退すべきだ」。今の日医会長である中川俊男氏は副会長時代にこう主張した。
厚労省は19年9月に手術など実績の乏しい400以上の病院の実名を挙げて再編を迫ったが、リストに載ったのは公立・公的病院のみだった。
医療政策のこうした歴史は、医師が重篤な患者の治療にあたる勤務医より開業医を目指す風潮を生んだ。ある病院経営者は「大学病院に働きかけても開業のため医局を去る医師が多く、派遣してもらえない」と話す。
日本では診療所の開設やどの診療科を掲げるかは自由。それはコロナ前から救急医や産科医の不足、医療費の無駄をうむ重複診療などの問題につながってきたが、診療ニーズにあわせて医療機関数を調整をするといった規制はほぼ手つかずだ。
お金で医療機関を誘導するコロナ対応は財政の制約もあり限界がある。保険料や税金を財源とする診療報酬で収入を得ている医療機関の「経営の自由」を、パンデミック(世界的大流行)という非常時にどこまで守るのが正しいのか。コロナは日本医療の積年の宿題を改めて突き付けている。
小黒一正 法政大学経済学部 教授
分析・考察
厚労省が2019年9月の「地域医療構想に関するWG」で公表した424再編リスト(正式名称は「公立・公的医療機関等の診療実績データの分析結果」)に改めて注目が集まっていますね。当初は誤解されましたが、この424再編リストは、厚生労働省が強引な形で再編統合を促すものではないわけです。この分析結果によると、公立病院・公的病院の25%超に相当する全国424の病院が、診療実績が少なく、非効率な状況で、再編統合の検討の必要性を示唆しています。重要なことは、必要な医療システムを堅持するため、今回のコロナ危機も教訓に、民間病院を含め、医療施設の最適配置の実現と連携などの議論を深めることに思われます。
コロナ医療の病巣(2)
コロナ医療、機器あれど医師おらず 効率的な体制不可欠
エクモを使う人材の育成は道半ばだ(2月、東北大でのデモンストレーション)=共同
機器があっても扱える医師がいない――。新型コロナウイルスの重症患者の治療に使う体外式膜型人工肺(ECMO=エクモ)は昨年2月時点で全国で1412台あったが同時に使えるのは300台程度。扱える専門知識と経験がある医師が少なかったからだ。
緊急事態宣言が発令された昨年4月、厚生労働省は緊急対策としてエクモの研修事業を盛り込んだ。日本集中治療医学会の専門医らでつくるグループ「エクモネット」が事業を担い、当面800台の同時稼働を可能にすべく人材育成を急いだ。今年2月までに研修を受けた医師などは約2千人を超えた。
だがエクモが3台ある東京都内の大病院の院長は「人手が足りず同時稼働できるのは2台が限界」と明かす。今なお機器があっても使えない病院は多い。
同ネットの竹田晋浩代表は「1台のエクモを動かすのに多くの医師などが必要。とても800台同時に使える状態ではない」と首を振る。「他病院を指導できる医師がいる中核病院などにエクモを使う施設を集約する必要がある」と指摘する。
日本医療の「機器偏重」と人材不足はエクモだけではない。
人口100万人当たりのコンピューター断層撮影装置(CT)は約100台、磁気共鳴画像装置(MRI)は同約50台でいずれも世界一。高額の最新機器を導入する施設が増えても、画像から異変を見抜く専門の読影医がいない施設も少なくない。検診などで撮影した画像の「見逃し」が発覚する事例も相次いでいる。
医師の育成も無計画だ。国家試験の合格数のみで数を調節し、地域ごと、診療科ごとに何人必要なのか、という調整機能がない。都市に医師が偏り、地方で産科医や小児科医などが不足した問題と同様の事態が、新型コロナでも露呈した。
一例が新型コロナの最重症患者の治療で最後のとりでとなる集中治療室(ICU)の専門医だ。日本経済新聞が首都圏4都県の病院を調べたところ、ICUがある142病院のうち、1割弱が集中治療や救急科の専門医が不在。特に集中治療専門医が少ない。米国2万9千人、ドイツ約8千人に対し、日本は2千人のみだ。
亀田総合病院(千葉県鴨川市)の林淑朗・集中治療科部長は「日本は臓器別の診療科の権限が強い」ことが背景にあると指摘する。ICUに入院した患者も各診療科の主治医らが診る病院が多い。「縦割り」の体制では「横断的な技能が必要な集中治療の専門医が育ちにくい」(林部長)。
欧米では各診療科と連携しつつも、ICUでの治療は集中治療の専門医が中心となる方式が主流だ。専門医が育ちやすく、同病院もこの方式を採用する。
日本は数床のICUしか持たない病院が多い。1970年代に「一流病院の証し」として小規模なICUを持つ病院が乱立したためだ。日本集中治療医学会のある専門医は重症患者の治療を十分できないICUを「なんちゃってICU」と揶揄(やゆ)する。
せっかく育成した人材も生かせていない。
新型コロナの感染拡大で看護師不足に陥った日本看護協会は昨年4月と12月、都道府県ナースセンターに登録している約5万5千人の看護師にメールで復職を呼びかけた。これまでセンターを通じて復職したのは2月下旬時点で約2800人にとどまる。
働く看護師約160万人に対し、働いていない潜在看護師は数十万人に上るとされる。コロナ対応で復職した看護師の多くは電話相談や宿泊療養の支援業務に就き、最も求められている医療現場への復職は少ない。
日本看護協会の熊谷雅美常任理事は「結婚などで離職する人が多いのに潜在看護師を把握する仕組みがない。研修など復職しやすい支援を十分できていない」という。「夜勤など働き方改革も遅れている。復職しやすい環境を整える必要がある」と指摘する。
先進国の中でも高齢化が進む日本では手術が必要な患者は減少し、生活習慣病など慢性疾患の療養病床が不足する。新型コロナで不足したからとむやみにICUなどを拡充すればミスマッチが広がるだけだ。医療資源の育成、配置の適正化には、医師や医療機関を役割別に集約するなど効率的な医療提供体制への変革が不可欠だ。
コロナ医療の病巣(3)
国と地方、不作為のツケ コロナの病床確保「司令塔」機能せず
新型コロナウイルス感染症対策分科会の初会合(2020年7月、東京・永田町)
「全国で重症者用病床は3600床以上確保できる計画なのに、重症者500人前後で逼迫するのはなぜか」。第3波で感染者が急増していた昨年12月11日に開かれた政府の新型コロナウイルス感染症対策分科会でこんな質問が上がった。
疑問を投げかけたのは東京財団政策研究所の小林慶一郎研究主幹。この日にまとめる政府への提言に「(なぜ逼迫したのかを)これから検証すると書いておくことが必要」と指摘したが、盛り込まれなかった。
小林氏は「分科会は感染拡大を防ぐ方策を議論する場とされ、受け皿となる病床確保について指摘してもほとんど議論にならなかった」と話す。今年2月までに開催された25回の分科会で議事次第に「病床確保」が上がったことはない。約500ページの議事概要の中でも、昨年11月下旬まで経済学者の小林氏以外から病床確保を巡る質問はほぼない。
感染拡大防止だけでなく、受け皿を大きくすることが対策の二本柱だったのに、なぜ病床確保が議題にならなかったのか。
答えは昨年7月に開かれた第1回分科会の資料にある。「医療体制整備の再構築に当たっての基本的な考え方」として「都道府県が主体となって推進し、達成することを基本とする」と明記している。「『司令塔』は国ではなく知事」という整理が背景にある。
厚生労働省幹部は「病床確保は感染症法などに基づき一義的に知事の権限。国は調整・支援する立場」と説明するが、国の支援策について分科会で議論が深まることはなかった。病床確保が進まない現場の声を十分くみ取らず、補助金上積みなどの対策は遅れた。
重症者向け病床の定義が国と東京都で違う状態が2月末まで続き、重要指標である病床使用率が過大に計上されるなど、調整役のはずの国と地方のすれ違いも目立った。
司令塔を託された知事の権限や対策も十分だったとは言いがたい。
「社会経済を動かすために、重症病床をどこまで確保できるのかが最も重要」。大阪府の吉村洋文知事は公立の大阪急性期・総合医療センター(大阪市)の駐車場にプレハブで最大60床の重症センターを急造した。東京都の小池百合子知事も旧都立府中療育センターを改修して中等症、軽症用に最大100床の受け皿をつくった。
だが新たな施設は人員確保に苦戦を強いられ、目標通りに稼働できない事態を招いた。病院などに協力を求めても、新たな施設に応援を出す余力は乏しかった。
人口あたり感染者数が日本より桁違いに多い欧米では、大病院が数十〜百床単位で新型コロナ患者を集中的に受け入れ、効率的に対応している。一方、日本は多くの病院が少しずつコロナ医療を担う「薄く広く」の非効率な体制。戦線が伸び切り、個々の医療現場は疲弊した。
日本は自治体が直接指揮できない民間病院が全体の8割を占める。明治以降、近代的な医療体制の整備は財源不足に悩む国や自治体に代わり、主に民間が担ってきた歴史がある。半面、有事に柔軟に対応できない。
2月施行の改正感染症法で知事が病院に病床確保を勧告し、従わない場合に病院名を公表できる規定も設けられた。「強権」発動はあくまでも最後の手段。医療機関の役割分担や病床機能の調整がより求められる。
病院の役割分担などは都道府県が6年に1度策定する「地域医療計画」で検討される。対象はがん、脳卒中、急性心筋梗塞など5疾病と、救急や小児医療など5事業などで「感染症」は含んでいなかった。新型コロナ禍を受け、政府は昨年11月、24年度以降の次期計画で感染症追加を決めた。
この医療計画も政府が地方任せにする構図はコロナと同様だ。高齢化が進む中、需要の増減に応じた病床転換が急務なのに、都道府県は民間病院などに自発的な対応を促すことしかできず、成果を上げられずにいる。
都道府県側の備えも進んでいなかった。2009年の新型インフルエンザの流行を受け、政府だけでなく、都道府県は「行動計画」を策定した。だが未知の感染症に備えて医療機関の役割分担などの具体策を詰めなかったツケが新型コロナで浮き彫りになった。
コロナ前から政府は医療体制の構築を地方に委ね、地方も権限を持たないまま機能不全に陥っていた。平時にできていなかったことが非常時にできるはずもなかった。
コロナ医療の病巣(4)
戦略なきDX、変わらぬコロナ医療の現場
新型コロナウイルスの患者の治療に当たる東京医科歯科大病院の医療スタッフ(2020年11月、東京都文京区、画像の一部を加工しています)=東京医科歯科大提供・共同
「搬送先を30件探して断られた」。新型コロナウイルス感染症の患者が急増した今年1月初め、感染症指定医療機関でもある横浜市立市民病院には重症者が相次ぎ運び込まれた。「想像を絶する患者の増え方だった」と立川夏夫感染症内科長は振り返る。
神奈川県は2020年春の流行「第1波」の頃から、県内の病院の患者受け入れを症状の重さに応じて割り振る「神奈川モデル」を進めてきた。各病院の病床使用状況などの情報は保健所と県の支援チームを通して電子データとして収集・整理し、搬送に役立ててきた。その神奈川でさえ混乱を防ぎきれなかった。
重症病床の患者は人工呼吸器や体外式膜型人工肺(ECMO=エクモ)を使う高度な医療が必要で、現場の負担が重い。入院期間は何カ月にも及ぶので病床は空かない。がんや心臓病など他の重要な疾患の治療にも手が回らなくなる。
症状が回復しても、中等症や軽症者を受け入れる病院への「ステップダウン」が難しいことが、病床の回転率をさらに下げる。「感染症専門医は地域の要の大学病院でさえ足りておらず、まして民間病院では極めて限られる」(日本感染症学会理事長の舘田一博東邦大医学部教授)
病棟が狭く、新型コロナ患者とその他の動線を分けにくい病院もある。「無理をすれば院内感染につながる」(舘田氏)ため、中等症や軽症でも受け入れに及び腰となる。病院の実態をきめ細かく把握したうえで「病院間の患者の移動をスムーズに調整するシステムがない」と東大医学部付属病院の芳賀信彦副院長は嘆く。
ウイルスが検出されなくなり病院にいる必要がなくなった高齢者でも、足腰が衰え動けなくなって、退院が難しいケースがある。病院からケアの受けられる高齢者施設に移せればよいが、そうした連携もまれだ。
藤田医科大病院の湯沢由紀夫院長は「医療機関どうしや県との情報共有ができているかが、いざというときの対応を左右する」と話す。愛知県では同大と名古屋大、名古屋市立大、愛知医科大の大学病院長、県の幹部らが以前から定期的に集まって情報交換し、役割分担などを話しあってきた。
地域医療機関どうしの日ごろの付き合いが大切で、「よろしく頼む」と言える関係を多くの病院と築いているところは危機を回避しやすい。だが、これでは地域差が大きいし、人が代われば関係が途切れかねない。戦略的に連携の仕組みを整えておく必要がある。
デジタル技術は改革推進のツールになり得る。医療機関の情報をオンラインで集め、地域内外の患者の受け入れや医療資源配分の最適化に生かせないか。そうした狙いもあり、厚生労働省は全国の病院情報を集約するオンラインシステム「G-MIS」を稼働した。
病床使用率や通常診療の有無などの推移を把握し、政策立案の参考にできるようにはなった。だが、「いま、どこに患者を運ぶか」という現場判断には生かせていない。データ入力の手間がかかる割に、医療機関のメリットはいまひとつだ。
キヤノングローバル戦略研究所の松山幸弘研究主幹は「デジタル化やオンライン化は、資源配分の権限をもつトップの下に、多数の医療機関がネットワーク化された組織があって初めて意味がある」と指摘する。まず情報システムの構築に走るのは順序が逆だという。
モデルとして米国やオーストラリア、カナダにあるヘルスケアネットワークと呼ばれる非営利組織を挙げる。経営のプロがトップにつき、地域の数十の病院や介護施設、さらに保険部門を傘下に置く場合が多い。
病床の埋まり具合や患者の分布、医療者の配置などを専門スタッフが常時確認する。さらに、患者の医療データをクラウドで一元管理する。症状に応じて患者が転院したり介護施設に移ったりしても、行き先の医療者らは患者の最新データにアクセスできる。ネットワーク内での医師や看護師の移動も容易だ。
そのまま日本に当てはめるのは難しいが、「地域内の国立病院機構や国立研究開発法人、国立大学などの病院経営を一体化し機能分担を明確にしたうえでデジタル化やデータ共有を進めるイメージになる」(松山氏)。組織や運営は従来のまま、戦略なきデジタルトランスフォーメーション(DX)を進めても次の医療崩壊は防げない。
コロナ医療の病巣(5)
時代遅れのワクチン行政 内向き志向、革新阻む
菅首相は新型コロナウイルスワクチンの先行接種会場を視察した(2月18日、東京都目黒区の国立病院機構東京医療センター)
日本での新型コロナウイルスのワクチン接種は世界に大きく出遅れた。科学技術立国をうたいながら国内で実用化のメドも立っていない。時代錯誤なワクチン行政に根深い病巣がある。
国内でワクチンを流通させるには「国家検定」という関門をくぐりぬけなければならない。国立感染症研究所による抜き取り検査で、品質が保たれているかどうかを出荷ごとにチェックする。製品によっては2カ月ほどかかる。
日本製薬工業協会は昨年9月、ワクチンの早期実現に向け提言書を公表した。世界を見渡せば、国が威信をかけ前例のないスピードで開発競争が進む折だった。承認審査の迅速化や包装表示の簡略化に加え、焦点だった国家検定も書面審査で済むよう求めた。
パンデミック(世界的大流行)という一刻を争う際に、有事向けの「ワクチンルール」が示されていなかった日本。製薬会社が多額の投資を要する開発に二の足を踏むのも無理はない。
日本の感染症対策、ならびにワクチン行政は、戦後の一時期、死因トップだった結核という国民病を克服した成功体験から抜け切れていない。厚生労働省の担当窓口が今も「結核感染症課」を名のっているのもそのあらわれ。要は下水道整備など公衆衛生向上の一手段として予防接種を位置づけてきた。
しかし、ワクチンを巡る世界の潮流はこの10年余で変わった。バイオ技術の進展とともに肺炎やがんを予防する製品も普及。従来型の子供向けの予防接種だけでなく、成人になってからの重い病気を防ぐことで、結果的に医療費を抑制する効果も見込めるようになってきた。
子宮頸(けい)がん向けはその代表例だが、国内では安全上の問題を解消しようとしない行政の不作為で、事実上、接種は7年間も止まったままだ。
新しい感染症向けのワクチンは開発に10年かかるといわれるが、新型コロナワクチンは感染拡大から1年足らずで実現した。わずか3カ月の間に世界の累計接種回数は2億6千万回を超えた。ワクチンは今や国の安全保障上でも欠かせぬ切り札である。「ワクチン外交」という言葉が飛び交い、確保と接種の進み具合が世界経済の行方を占う。投資家の大きな関心事にもなっている。
時代にあったワクチン行政と改革の必要性を求める声は日本にもあった。政府内にもその認識はあり、2016年10月には、当時の塩崎恭久厚労相に対し「タスクフォース顧問からの提言」も出された。
特定の製薬会社が国の主導下で生産する「護送船団方式」から抜けだす。中長期を見据えた国家戦略のもと、ワクチン産業を強化していく。さもないと世界の趨勢に取り残され、安定供給もこころもとない。まさに今の危機を予言する内容だが、政策に魂を入れることはなかった。
霞が関の官僚組織には「無謬(むびゅう)性の原則」がある。政策を遂行する際、失敗を前提にした議論が行われないというものだ。リスクをとらなくなり、建設的な政策立案が遠のく。コロナではその副作用が露呈した。
流行拡大当初に大きな問題となったPCR検査体制もそうなのだが、要は、ワクチン行政では、医療という枠組みのなかで安全性が金科玉条となり、リスクを避けながら失敗を認めない姿勢を貫こうとする。正解のないコロナとの闘いに前例踏襲主義は通じない。
このパンデミックはいつか必ず終息する。が、グローバル社会で新たな感染症の脅威はまたやってくる。確率は万が一でも、起きてしまえば国家的な危機を招く「テールリスク」にこの国が向き合うには、ワクチン行政を厚労省から切り離すぐらいの劇薬が必要だ。この1年、後手に回ることの多かった日本のコロナ対策から得られた教訓といえる。(おわり)