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「菅降ろし」の虚実 SNS時代の世論が焦点

 

ニュース・エディター 丸谷浩史

 

 

森喜朗元首相の東京五輪・パラリンピック組織委員会会長辞任が示したのは、デジタル化とグローバル化の波が、日本で最後に残った政治というムラ社会にも押し寄せている事実だった。

ひと昔前なら、座談の名手でサービス精神旺盛な森氏の発言は「あれが森さんだから」で終わったのかもしれない。しかし、森氏の発言はソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)を通じ、英語をはじめとした外国語でも直ちに広がり、大きな反響を巻き起こした。世界中の人たちがリアルタイムで要人の発言を知り、反応する時代になっていたことが事態を動かした。

2000年11月、政権を担当していた森氏は、インターネット世論の後押しも受けて倒閣に動いた次の首相候補、加藤紘一氏を退けた。それから20年、ネットとは遠く離れていた日本の政界もデジタル化とグローバル化に無縁ではいられなくなった。

「加藤の乱」をしのいだ森氏に対し、夏に参院選を控えていた与党には「森首相では選挙を戦えない」との空気が充満していた。いわゆる「森降ろし」である。森氏は01年4月、予算成立を待って退陣を表明した。

この時の連想からか、昨年9月の政権発足当初からみると内閣支持率が大きく下落した菅義偉首相の命運を取り沙汰する声があがる。4月には衆参両院3つの補欠選挙、7月に都議選、秋までには衆院選と自民党総裁選もある。目白押しの選挙を前に「自分のために、党首を選挙で勝てる顔に代えたい」との議員心理が高まるだろうとの見立てだ。「菅降ろし」は起こり得るのだろうか。

森内閣は日本経済新聞の世論調査で、退陣直前の01年2月の支持率が15%、不支持率は70%だった。菅首相の支持率は4割で、危険水域の20%台を超えている。

野党に政権を奪われる恐怖も、自民党には薄い。

麻生太郎内閣の09年、政権交代となる衆院選の3カ月前に自民党の支持率は民主党に追い抜かれていた。現在の野党第1党、立憲民主党の支持率は1桁にとどまる。

世論調査からみると内閣支持率は危険水域にいたらず、政権交代の可能性も小さい。そこで自民党が「永久与党」だった55年体制下の故事が引き合いに出される。

1976年の三木武夫首相と91年の海部俊樹首相はともに小派閥出身で、衆院解散にたどりつけなかった。衆院議員の任期満了まであと8カ月、無派閥の菅首相と重なり合う部分が多いからという見立てだ。

三木氏と海部氏は大派閥の資金が豊富で所属議員への締め付けも強く、領袖が総裁候補として競い合う中選挙区時代に「結党以来の危機」を救うため、いわば緊急避難的に登板した総裁だった。三木氏はロッキード事件、海部氏は初の参院での自民党過半数割れという衝撃が弱まると、派閥の会長とその参謀たちが「つなぎの役割は終わり。次は我々の番だ」と立ち上がってきた。「俺の気持ちが分かる同業者は日本中を探してもほとんどいない」と小渕恵三氏が漏らしたように、子分を養う派閥領袖には「総理総裁」を目指す責任と、強烈な自負があった。

いま派閥と派閥トップには、かつてのような力と自負はない。そもそも無派閥の菅首相が総裁選で圧勝したのは、小選挙区時代になって派閥が衰えたからでもあった。その事情は菅内閣が発足した当初も今も変わらない。こうしてみると「菅降ろし」は話題として口の端にはのぼるが、自民党の内部から仕掛ける状況にはない。「この難局は俺に任せろ」との気概を示す候補も見あたらない。

菅首相も「このままでよい」とは考えていない。感情をこめた言葉で語り始めた発信方法の変化も、その一つだ。首相が施政方針演説で言及した梶山静六氏も自ら意識してモデルチェンジした。それまで寝業師、国対族とみられてきた梶山氏は晩年、金融問題の提言を連発し、政策通へとイメージを一新した。70歳前後での変身を、首相も試みる。

状況の変化とともに、政治家も変えるべき部分は変えなければならない。今後数カ月で最も大きな影響が政界にあるのは、デジタル化とグローバル化がもたらす新たな国内外世論の動きだろう。

森内閣の打倒を目指した「加藤の乱」が失敗し、派閥議員などになぐさめられる加藤紘一氏(中央、2000年11月)
誰もがスマートフォンを持ついまなら、森内閣を倒そうとした「加藤の乱」は成功していたかもしれない。デジタル空間での世論には極端なものもあるが、有権者が瞬時に自分の意見や考えを発信し、共有できる環境は、20年前にはなかった。

グローバル化は森氏の辞任が示すように、新型コロナウイルス禍での東京五輪のあり方に最も大きな影響を与える。菅首相が向き合うのは自民党の「菅降ろし」ではなく、デジタルとグローバルが絡み合った新しい世論になる。

「新たな世論」の支持率が危険水域になれば、首相が自らの判断で身を引かざるを得ない。世論の動向はいつの時代も大事だが、ムラ社会の理屈と動きではなく、世論こそが首相の進退を決める時代になった。

 

 

 

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