創論

 

SNS上の「表現の自由」は

 

 

ハナ・ブロックウェバ氏/ディタ・ハランゾバ氏/山本龍彦氏

 

 

世界中でSNS(交流サイト)などでの表現の自由について議論が起きている。米ツイッター社が1月上旬にトランプ前米大統領のアカウントを永久凍結したことを機に「誰が規制するか」「どのような内容を制限するか」といった複雑な問題が浮かび上がっている。日米欧の識者に聞いた。

 

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運営企業に「透明性」義務  米テキサスA&M大准教授 ハナ・ブロックウェバ氏

 

Hannah Bloch-Wehba 2013年米ニューヨーク大法科大学院修了。米エール大などを経て20年から現職。「法とテクノロジー」が専門でSNSの投稿管理に詳しい。

トランプ前米大統領が1月6日の米連邦議会議事堂占拠事件に絡み、米ツイッターなどを通じて狂乱に加わったのは想定外の出来事だった。一方、支持者が怒り、集会や行進を予定していたのは広く知られていたことでもあった。

トランプ氏は少なくとも4年にわたり、ツイッターなどのルールに違反していた。今回、アカウントを永久凍結した対応は一貫性を欠くとの声もあるが、そうは思わない。一貫していないように映るのは、利用者の要求が時間とともに変化してきたからだ。

SNS(交流サイト)の運営企業はサービスの利用を増やし、利益や株主価値を高めることに主眼を置いてきた。支配的な地位を守るためにルールもつくり、適用してきた。こうして政治や利用者、市場の圧力にこたえてきたが、今回の事件により多くの人々が現状を変えなければいけないと考えたのは間違いない。

ただ、現在出てきている選択肢はいずれも満足いくものではない。

ひとつは米フェイスブックが立ち上げた外部の有識者が投稿の掲載可否を判断する「監督委員会」だ。裁判所型のアプローチで、フェイスブックの決定に正当性を与えるとの見方がある。ただ、多くの人が独立性を疑う可能性を捨てきれない。

もうひとつは政府が基準やルールを定めるとの考え方だが、こちらもリスクが大きい。仮に現在、合意点をみいだせたとしても、政府が将来、どう運用するかという問題が残る。民主的な政府が良心に基づいて使うのであれば問題ないが、言論の抑圧や権力強化に悪用される恐れがある。

(SNS運営企業が利用者の投稿に対して責任を負わなくて済むことなどを定めた)米通信品位法230条の改正についても、さまざまな提案が出ているが、先行きは見通しづらい。そもそも230条は制定のときから、言論の自由を保障した合衆国憲法への抵触が指摘されていた。改正を試みると確実にこの議論を蒸し返すことになるからだ。

現実的な方向は230条とは別にSNS運営企業に対して意思決定の透明性を高めることを義務付けることではないだろうか。具体的にはコンテンツ管理に使っている人工知能(AI)や、投稿の拡散にまつわるアルゴリズムなどに関する透明性の向上だ。投稿を拡散する仕組みが重要との理解も広がっている。

SNS運営企業は米国家安全保障局(NSA)の職員だったエドワード・スノーデン氏が米国の大規模な情報監視活動について暴露した事件を機に、透明性に関する報告書を定期的に発行するようになった。ただ、企業によって形式が異なり、規制で改善する余地がある。

米国はSNSに関してひとつの時代を終え、規制について新たな実験を始める必要が生じているのは明らかだ。ロシアやタイのようにSNSを厳しく監視している国家の事例もあり楽観することはできないが、民主主義の価値観に沿った形で実験が進むことを期待している。

 

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巨大ITに任せられない 欧州議会副議長 ディタ・ハランゾバ氏

 

Dita Charanzova チェコ出身。プラハ経済大で博士号(国際政治)。チェコ外務省を経て2014年欧州議会議員。中道会派「欧州刷新」所属。19年から現職。

 

SNS(交流サイト)の表現の自由をどう守り、どう規制するかは、米議会の占拠事件を契機に欧州でも大きな議論になっている。欧州の政策関係者の反応はおおむね、プラットフォーマーが表現の自由について重要な決定をすべきではないというものだ。

規制するのがプラットフォーマー自身でないとしても、誰がすべきなのか。政府か裁判所か独立機関か。裁判所が判断するには数年かかることもある。デジタルの時代には現実的ではないだろう。

こうした問題への対応も含め、欧州連合(EU)の欧州委員会は2020年12月、包括的なデジタル分野のルール案を公表した。デジタルサービス法案(DSA)とデジタル市場法案(DMA)の2つからなる。オンライン上で何が違法なコンテンツで、それをどう扱うかを明示している。プラットフォーマーは法律を守るように義務付けられ、公的機関には大きな執行権限が与えられる。プラットフォーマーと利用者の関係がより透明になり、問題に対処しやすくなる。

EUのデジタル関連の現行ルールは約20年前につくられた。2つの法案は、これまで出てきた課題に対応できるように修正すると同時に、デジタル世界の成長を継続できるよう後押しする狙いがある。欧州委の案について大きな方向性は評価できるが、欧州議会でさまざまな視点から詳細を議論していくことになる。

EUはプラットフォーマーの問題に対し、これまでは競争政策と市場機能に依存してきた。だがプラットフォーマーは、EUが市場のゆがみをただそうとする努力を重く受け止めなかった。

これでは規制当局として、巨大IT企業がデジタル世界での問題に責任を負えるという確信を持てない。それゆえ欧州委は事後規制だけでは不十分で、事前規制が重要だと判断した。

米国でバイデン政権が誕生し、欧米で巨大IT企業を含めてデジタル分野でどう協力するかという課題もある。米国の政策はすぐには変わらないだろうが、バイデン大統領はEUとの対話を受け入れている。これは最初の重要なステップだ。米国とはデジタル課税などの問題もあるが、インターネットと電子商取引のルールづくりも重要だ。

フォンデアライエン欧州委員長は米国に、デジタル経済に関する共通のルールブックをつくろうと呼びかけた。EUがバイデン政権に提案している「貿易・技術評議会」は技術的な基準だけではなく、データフローやデジタル規制にも焦点を当てるべきだ。バイデン氏が早期に対話を始めることを望んでいる。

米国とEUで異なる規制が採用されると、大西洋間の貿易とデータの流れが細る可能性がある。トランプ前政権では不可能だったが、私はバイデン政権に楽観的だ。米国が参加するならば、アジアのリーダーである日本がルールづくりに参加できない理由は見当たらない。これは我々がデジタル経済のリーダーであり続け、中国に立ち向かう唯一の方法だと信じている。

 

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守るべきは「熟慮の産物」 慶応義塾大教授 山本龍彦氏

 

やまもと・たつひこ 1999年慶応義塾大法卒。同大博士。内閣府など各省庁のデジタル関連の有識者会議に多数参加。専門は憲法学、情報法学。

 

表現の自由に対する姿勢はもともと欧州と米国の間で開きがある。欧州には国民の熱狂がナチスを生み、過酷な人権侵害を招いた記憶がある。このため表現活動の場である「言論空間」に法的な枠をはめる傾向がある。ドイツ憲法では自由民主主義体制を否定する言論はそもそも認められていない。ヘイトスピーチ規制もある。人権や民主主義の理念と調和した理性的な言論空間を、国家が法的にデザインすべきだと考えてきた。

メルケル独首相は米ツイッターによるトランプ前米大統領のアカウント凍結を批判した。国家ではなく民間企業が言論空間の「立法者」となることを懸念した。米企業がこの空間を支配し、欧州の民主主義を制御することをけん制する意図もあったのだろう。

米国では欧州とは逆に、表現の自由が国家の成功体験と結び付いてきた。有害・悪質な言論であっても、物理的な害悪が生じる危険が明白になるまでは言論によって制し、国家は極力介入すべきでないと考えられてきた。この新自由主義的な考えが、SNS(交流サイト)の自主性を重んじてきた背景にある。

アカウント凍結についても、米国のリベラル派識者の多くが肯定的に評価している。国家の介入なく有害な言論が抑制されたととらえている。米国で表現の自由の侵害者として警戒されるのは主に国家であり、民間のSNSによって侵害されるとの意識は低い。SNSが米国の国内企業に運営されていることも安心材料のひとつなのだろう。

本来、表現の自由と秩序・人権のバランスをどうとるかは、それぞれの憲法に基づいて各国で議論すべき問題だ。

日本では戦後、憲法の表現の自由への期待が高まったものの、米ソ冷戦の下で安保闘争のデモなどが厳しく規制された。米国の国際戦略に日本の言論の形成が左右された側面がある。日本国内でシェアが高いSNS事業者は米企業という事情は欧州と同じだ。どのような言論空間を構築したいのか、どのような民主主義を実現したいのか、日本は自ら考えるべきだ。

今日の日本は守るべき表現をどう定義するのか。表現の自由の専門家だった故・奥平康弘東大名誉教授は、憲法が守る「表現」について「個人が判断し熟慮した結果の産物」と定義した。米国では広く企業献金なども表現の自由で手厚く守っていることに対する批判といえる。SNS上では他者や社会への影響を熟慮する前に反射的に投稿する表現があふれる。偽アカウントやボット(自動プログラム)を使っての投稿はそもそも「表現」なのか。

利用者の見識に委ね、偽情報などに自浄作用を期待するのは難しい。国民的議論を経た立法による規律が必要だ。

もっとも、政府がSNSの言論空間に深く立ち入ることを許容するような法は望ましくない。法は偽情報対策などを通じた環境の健全化を事業者に要求するにとどめ、具体的な取り組みについては企業の裁量を尊重すべきだ。その際には透明性と説明責任の確保が重要になる。

 

 

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<アンカー>時代に合わせ再定義を

インターネットが登場する以前も扇動的なデモは存在し、表現の自由と社会秩序をどう均衡させるかという議論はあった。現在、その構造はより複雑化している。国家と市民の間の問題に、プラットフォーマーも大きく絡む状況に発展しているためだ。

プラットフォーマーはネット上の言論への影響力という点では、今や国家をしのぐほどの力を持つ。欧州の規制で制御するという発想は、民間企業の営利行為も広く表現の自由として保護する米国の発想とはぶつかることもある。

ツールや社会的背景が変わっても、表現の自由は民主主義の根幹を成すものとして時代に合わせて再定義されてきた。各国はデジタルの世界の覇権をめぐり綱引きを続けている。対等な議論に参加するには、日本も独自の視点を持つ必要がある。

 

 

 

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