コロナワクチン 日本の課題

 

 

岡部信彦氏/手代木功氏/宮坂昌之氏/内田麻理香氏

 

2月中旬から国内で新型コロナウイルス向けワクチンの予防接種がようやく始まる見通しだ。緊急事態宣言の延長も決まり、ワクチンへの期待は高まるが、副作用や例のない大がかりな集団接種への不安も大きい。接種の意義、留意点、そして滞りなく進めるための課題は何か。4人の識者に聞いた。

 

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集団接種の運営カギに 川崎市健康安全研究所長 岡部信彦氏

 

おかべ・のぶひこ 1971年東京慈恵会医科大卒。90年代に世界保健機関西太平洋地域事務局で感染症対策に携わる。内閣官房参与。

 

できるだけ多くの人にワクチンの接種を受けてもらうとなると、集団接種というオペレーションをうまくできるようにしなければならない。毎冬にかかりつけの医師のところでやるような季節性インフルエンザの予防接種とはまったく違うものとなる。

また、新型コロナワクチンは、これまでに慣れてきた手技とは違う接種方法となっている。日本は長年、皮下注射を採用してきたが、今回は海外では普通に行われている筋肉への注射方法となる。これ自体に安全性の問題はないが、上腕部に「ブスッ」と注射針を刺すため、見た目にもびっくりするかもしれない。効果は筋肉注射の方がよいことも明らかとなっている。

経験を積めば、これまでの予防接種とは違うということが自然とわかるだろうが、一定の時間はどうしてもかかる。

接種による痛みや接種後の対応も変わる。昔の人は集団接種を覚えているが、医療従事者や行政担当者でも中堅クラスだと経験がない。住民もしかりだ。

川崎市は1月27日に国と米ファイザーと一緒に、大がかりな集団接種の訓練をした。丁寧にやるには一定の時間がかかるので、スピードアップだけを目標にしてはいけないということがわかった。課題を含め、全国の自治体に情報提供していく。

仮に多くの人が接種を希望をした場合、優先対象になっていない人の接種がすむのは夏や秋になる可能性もある。

効果に対する過剰な期待も慎まないといけない。ワクチンさえ打てば、マスクや手洗いも不要になり、どこにでも行けるようになるというわけではない。

ワクチンをもともと嫌う人もいる。本当に打ちたくない人が打たないというのはいい。ただ、打ちたいという人まで巻き込まないようにしないといけない。

ワクチンは安全保障的なものだから、これだけの知力がある国であれば、やはり自分で作るのが基本だ。海外から調達できないリスクもある。しかし、開発の能力はありながら、残念ながら国産化を促す土壌が育っていなかった。

 

 

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欠かせぬ国防の視点 塩野義製薬社長 手代木功氏

 

てしろぎ・いさお 1982年東大薬学部卒、塩野義製薬入社。米国駐在が長い。2008年から現職。日本製薬団体連合会会長。

 

米ファイザーや米モデルナのワクチンは人類が活用できなかった新技術を使っており、治験期間が半年、申請後2週間〜1カ月で承認にこぎ着けた。このスピード感は製薬企業の安全性確認の常識からいえば、まだ怖いというのが本音だ。

この1年、世界は大混乱に陥った。進行形で起きている難題を何とかしなければならない。ワクチン接種はとにかく「やってみよう」という段階なのだと思う。

50カ国以上でワクチン接種が実施されている。日本はまだかという指摘もあるが、リスクとベネフィットとを見極めながら進めるとなれば、日本の感染状況、保健体制などを総合的にみると、そんなにおかしなことになっていない。

平時と戦時の違いだとしても、何を重要と考えるかだ。例えば、ワクチン接種で因果関係のある死者が出たとしよう。99.9%の人を助けるために、1人の犠牲は仕方ない。緊急時のワクチンだからそういうこともありうるよ、といえば日本の社会は許すだろうか。

10年に1度、いや100年に1度かもしれないが、パンデミック(世界的大流行)が起きたら世界が翻弄されるということをわれわれは実感したはずだ。ならば発生に備え、すみやかに対応できるような平時からの積み上げをやろうよ、というコンセンサスが要る。

国家安全保障の観点からの新たな社会契約を築けるかが、今回のパンデミックで日本が問われていることだ。国はコロナのワクチンを来年も再来年も年7000億円かけて海外から買い続けるのか、と言いたい。

塩野義は昨年12月に臨床試験を始めた。国から約400億円の援助を受け、リスクをとって今年末までに3000万人分を目標に工場を整備し、並行してワクチン開発を進めている。さらに1億人分まで能力をあげる。

ヒトとカネとについて国レベルでコミットしてもらわないと難しい。ワクチン対策費はまさに国防費の一部。備蓄や民業とのアライアンス、国際協力も必要になる。アジアで一定の存在感を示すためにもワクチンを供給される側でなく供給する側にならないといけない。

 

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リスクと効果、見極めて 阪大免疫学フロンティア研究センター招へい教授 宮坂昌之氏

 

みやさか・まさゆき 京大医学部卒。豪州国立大学ジョン・カーティン研究所博士課程修了。阪大医学部教授などを経て名誉教授。

 

新型コロナウイルスのワクチンを巡るこれまでの発表データを見る限り、発症予防効果は高い。原理的には免疫反応が強いほど副作用も強くなる。全身の倦怠(けんたい)感や疲労感などは既存のワクチンよりやや発生頻度は高いものの、現段階で命にかかわる副作用が出ていないのは安心材料だ。

1年以内に開発されたといっても、使われている「メッセンジャーRNA(mRNA)ワクチン」の技術は10年近く地道な基礎的な研究を積み重ねてきた。画期的な発明である可能性が高く、驚嘆に値する。

考えられる副作用は大きく分けて3つある。まず、接種後すぐの強いアレルギー反応(アナフィラキシー)だ。米ファイザーのワクチンでは20万回に1回程度出ている。既存のワクチン(100万回に1回程度)よりやや頻度は高い。接種会場にアレルギー反応を抑えるエピネフリン注射を準備し、医師に周知しておく必要がある。

2点目は接種から2〜4週間後に出る神経障害が考えられる。ただ、接種後2カ月以上経過観察した論文でこうした報告はなく、データをみる限りあまり心配なさそうだ。

3点目は接種後に感染するとかえって症状が重くなる抗体依存性感染増強(ADE)だ。重症急性呼吸器症候群(SARS)や中東呼吸器症候群(MERS)のワクチン開発で報告された現象で「悪い抗体」ができたことが原因とみられる。

これまで欧米ではワクチン接種者がコロナに感染している例があるが、あきらかなADEの例は報告されていない。現在、欧米で接種がさらに進んでいることから、日本にワクチンが来るころまでにはADEのリスクを判断するのに十分な接種回数に達するだろう。そのデータを確認したい。

どんなワクチンでも副作用のリスクが全くないことはあり得ない。私たちは自動車や飛行機など、ある程度リスクがあっても必要なものは、無意識に受け入れている。ワクチンも副作用のリスクと、発症予防効果のベネフィットを見極めることが大事だ。私は現時点では接種に前向きだ。

 

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若者に「メリット」示そう 東大特任講師 内田麻理香氏

 

うちだ・まりか 東大大学院工学系研究科を経て学際情報学で博士号。専門は科学技術社会論。著書に「科学との正しい付き合い方」。

 

薬にもなんらかのリスクはあるが、今ある病を治すため、となったら許容はできる。一方、ワクチンは罹患(りかん)していない状況で打つ。万が一の副作用や健康被害への考え方、感じ方がまるで違う。

新型コロナのワクチンは1年足らずで実現した。いくら資金、人的資源を投入したとしても、ここまで早くできるものなのか。効果や安全面への不安、どこか無理しているのではないかという疑問がわく人がいても不思議ではない。

いくら丁寧に説明されたとしても、なかなか腑(ふ)に落ちないのも当然である。非常時のもと、新しいテクノロジーであっという間に生まれたワクチンが何千万人、何億人に打たれた後に何が起こるのかも不透明で、コロナのワクチンを敬遠するのも仕方ない。しかしコロナ禍を乗り切るには、ワクチンは必須であることを忘れてはならない。

社会防衛の観点からすると、ワクチンは大勢の人が打たないと意味がない。国が安全保障のためというのであれば、死者や重篤な副作用が出た場合に、迅速な補償とセットにしないと、なかなか進まないだろう。

20歳代、30歳代の人が果たして接種するだろうか。新型コロナの感染症はかかったとしても軽症だったり発症しなかったりする。なぜワクチンをわざわざ打たなければならないのか。かかるリスクと接種するリスクとをてんびんにかけ「かかった方がまし」と考えるのもわかる。

より多くの人に接種してもらうため「ワクチンパスポート」のような使い方が考えられる。イベントや大学の対面授業への参加といった自由に行動するための条件にすれば、ワクチンを打つ「別のメリット」が生まれる。若い世代への動機づけになるだろう。

ただ、接種済みというデータをどう管理するか。偽造問題も発生するかもしれない。いろいろなセキュリティーホールがでてくるだろう。

ワクチンができた途端に変異ウイルスがあらわれた。この厄介なウイルスに対抗するためにも、接種への理解を求めるコミュニケーションが重要だ。

 

 

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<アンカー>政府は丁寧に意義説明を

 

人類が前例のないスピードでワクチンを手にし、新型コロナウイルスとの闘いは新たな局面に入った。世界50カ国以上で接種が進むなか、変異ウイルスが猛威を振るい始めたのも偶然の出来事ではないだろう。

公衆衛生の観点からいうと、ワクチンはウイルスに打ち勝つ最強の手段となる。が、使い方を誤ると新たな災いをも引き起こす。感染の拡大期にはどうしてもベネフィットだけに目が向かいがちだが、リスクにも注意を払い、そのバランスを吟味する冷静さがいる。

ワクチンを打っても、パンデミックが終息するには相当な時間がかかる。すぐにコロナ前の日常生活が戻るというわけではない。健康を守ると同時に社会を守るのであれば、政府は接種開始にあたり、ワクチンの意義を国民にきちんと伝える責務がある。

 

 

 

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