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アラブの春、混迷10年の教訓

 

市民社会の育成、民主化に不可欠


10年前、チュニジアの若い露天商ムハンマド・ブアジジさんが、腐敗した警官から受けた屈辱的な仕打ちに抗議して焼身自殺した。その数週間後、同国で長期独裁を続けていたベンアリ政権が崩壊し、民主化運動が中東全域から北アフリカにかけて連鎖的に広がっていった。

期待された民主化は中東や北アフリカのほとんどの国で頓挫した(2011年10月、リビアの首都トリポリでカダフィ政権の崩壊を祝う市民)=ロイター

 

エジプトではムバラク政権、リビアではカダフィ政権が倒れ、イエメンではサレハ大統領が退陣に追い込まれた。いずれの独裁者も軍の支持を得て20〜40年間にわたって統治を続けていた。一方、バーレーンの大規模な反政府デモは、サウジアラビアなどの介入によって抑え込まれた。シリアではアサド政権が反体制運動を弾圧して以降、内戦が続いている。

チュニジアだけが唯一「アラブの春」という民主化運動の壮大な夢を今も追い続けている。中東から北アフリカに至る国々では現在でもまともな暮らしや生活水準の向上を切望する若者の声が充満し、当局への抗議運動はアルジェリアからスーダン、イラクからレバノンに至る地域で頻発している。

では、アラブの春が始まってから続いた混迷の10年は何を意味しているのだろうか。アラブ諸国の民主革命が成功する可能性は、実は民主化運動に火がつくかなり前の2003年に米軍がイラクに侵攻したことで低下していた。

同年、誤った情報に基づいて始まったイラク戦争によってフセイン政権が崩壊した。民主制度に基づくアラブ世界の再編成が模索されたが、イラクの実権を握ったのは国内で多数派だがイスラム世界では少数派のシーア派だった。その結果、何世紀も続くスンニ派とシーア派の対立が再び激化した。国際テロ組織アルカイダのウサマ・ビンラディンが武力によるジハード(聖戦)を呼びかけ、スンニ派のジハード主義が勢いづいた。

それ以後、スンニ派とシーア派の対立は中東だけでなく欧州からアジアに至る広い地域に暗い影を落としている。短命には終わったものの、過激派組織「イスラム国」(IS)がイラクとシリアにまたがるカリフ国家の樹立を宣言する事態にまで発展した。

こうした情勢を背景に、イラク戦争で漁夫の利を得たイランが非正規の武装勢力を使って攻勢に出た。ミサイルで武装したシーア派勢力を展開し、西はイラク、シリア、レバノンから地中海に至り、南はペルシャ湾を経由してイエメンへと広がる「三日月地帯」を確保した。これを受け、この一帯ではスンニ派を支援するサウジアラビアとシーア派を後押しするイランの代理戦争と呼べる内戦が繰り広げられている。

この2国はどちらも政教が分離されていない政治体制をとるが、相違点は多い。サウジは数十年間、厳格な原理主義を貫くワッハーブ派の布教活動を世界各地で展開し、ジハード主義の種をまいている。いずれにしても、戦乱のなかで民主主義を根付かせるのは至難の業だ。

こうした情勢は、アラブの民主化運動が倒そうとした軍主導の強権体制の復活を目指す勢力に利用された。君主制を導入している中東諸国は治安当局の権限を強化した。社会的制限は緩和したものの、反政府勢力を徹底的に弾圧している。エジプトでは、サウジやアラブ首長国連邦(UAE)が主導する形で強権的な体制が復活。ムバラク体制崩壊後に発足していたモルシ政権は13年のクーデターで倒され、国防相だったシシ氏が実権を握った。

カイロの中心部の広場で激しい民主化運動が起こってから短期間にみられた一連の体制転換からは、別の教訓も浮かび上がる。イスラム原理主義組織「ムスリム同胞団」が実現したような「政治的イスラム」は期待外れだったということだ。

エジプトでは接戦の末にムスリム同胞団出身のモルシ氏を初の民選の大統領に選出した。この結果、政治的に死んだも同然だった同胞団が復活。モルシ政権は全ての国民のために統治するのではなく、社会制度をイスラム色の強いものにし、同胞団以外の人々を排除する道を選んだ。

イスラム主義を掲げる主要勢力が民主主義へのうねりに加われていないのは大きな問題だ。トルコでも同様の問題が起きている。エルドアン大統領が率いる公正発展党(AKP)は「新オスマン主義」を掲げ、かつての帝国の版図に影響力を広げようと強硬外交を展開している。

ただ、AKPは一時、欧州の世俗的なキリスト教民主主義のイスラム版になるのではないかと期待されていた。それが実現しなかったことで勢いづいたジハード主義者は、民主主義は行き詰まっているだけでなく、神に背くことだと断じるようになっている。

民主化運動の広がりは、アラブの社会や国家が内に秘める根源的な弱点も暴き出した。それはしっかりと機能する社会制度や共通の市民文化の不在であり、信頼と助け合いによって人々の協調行動を活発にするネットワークが欠けていることだ。ハーバード大学のロバート・パットナム教授(政治学)が「ソーシャルキャピタル(社会関係資本)」と呼んだ要素の欠如とも言える。そのため、この地域の人々は自分の家族や親類、宗派、民族に頼ることが多い。

この点でも、今のところチュニジアだけが例外といえる。同国は労働組合などの制度を確立し、質の高い教育の実現や女性の権利向上、政教分離などに向けた改革を推進してきた。11年の制憲議会選挙で第1党となったイスラム政党「アンナハダ」は13年に労働組合や市民社会の反発が高まったことを受けて下野した。そして現在は自らをイスラム民主主義政党と定義している。

しかし、チュニジアがここまでくるのに1世紀半以上を要している。手っ取り早い方法などないのだ。ただ、国内政策や支援する諸外国が若い世代への教育の改善に重点を置き、市民社会や女性の権利の強化を目指すようになれば、状況は変わるだろう。民主的な社会制度の構築は特に重要だ。

しかし、西側諸国は独裁者に傾倒している。米国とその同盟諸国は武器や石油などの取引を重視し、独裁者と付き合いたがっているようにみえる。トランプ米政権はその代表例だった。バイデン次期大統領はそれを変えると言っている。本当であるかそのうちわかるだろう。

 

By David Gardner

 

 

 

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