レコード復権 デジタル時代に「フィジカル」の価値

 

 

 

ジャズ喫茶「ラグタイム」。照明の高さは、床から約140センチ。あえて光が店内を広く照らし出さないような高さにした

インターネットの広大な空間を無数の音楽が流れる時代。わずかな金額で数千万もの曲を聴くことのできる圧倒的な便利さの中にあって、手間のかかる昔ながらの音楽の楽しみ方が改めて評価されている。レコードだ。聴くものが自分で手に取り、その存在を確かめることのできる「フィジカル」の音楽メディアの復権が始まっている。

 

手間をかけて聴く充実

その場所では様々な人が今もレコードを楽しみ、そして新たなレコードファンを生み出している。

東京都世田谷区にある京王線の千歳烏山駅から歩いてすぐ。小さなビルの細くて急な階段を3階まで上ったところに、ジャズ喫茶「RAGTIME(ラグタイム)」はある。

ドアを開けると目に飛び込んでくるのは、開店から40年余りで板がすっかり変色し、タバコの煙で黒ずんだ壁と天井だ。目を凝らすと、その色と同化したポスターが浮かび上がってくる。ソニー・ロリンズやセロニアス・モンクなどジャズの巨匠たちだ。

高さが約1メートルで、幅は60センチ強のラグタイムのスピーカー。天川新一さんによると「低音の出がいい」という

この空間の主役は、名機として知られる米JBLブランドの大型スピーカー。カウンターの内側にあるターンテーブルの上を回るレコードの音が、店内でひときわ存在感を放つスピーカーから流れ、オレンジ色の淡い照明に照らされた空気を震わせる。

「この夏前にレコードプレーヤーを買いました」。そう話すのは、カウンターで音楽に耳を傾けていた学生(22)。新型コロナウイルスの影響で、家で過ごす時間が増えたので購入した。最初に買ったレコードは、以前から好きだった尾崎豊の「回帰線」。この店の影響でジャズに興味を持つようになり、ビル・エバンスの「ワルツ・フォー・デビー」も買った。

店長の天川新一さん(34)も、父親が経営していたこの店で働き始めてから、レコードを聴くようになった。「スマホではなく、ひと手間かけてレコードで聴くことで、音楽への向き合い方が変わった」という。

天川さんが20代後半のとき父親が亡くなり、その後を継いだ。3800枚あるレコードの多くはくり返しかけた結果、ジャケットのへりが擦り切れている。レコードにも傷がついてかけるのが難しくなると買い替えるが、古いほうも捨てずに大切に取っておく。

カレー店「茄子おやじ」。奥に見えるのが西村伸也さん。「こだわってそろえたオーディオで音楽を聴けるぜいたくな空間」という

親子2代にわたってレコードの魅力を発信し続けている場所がある一方、新たに登場したスポットもある。世田谷区の下北沢にあるカレー店「茄子おやじ」だ。4年前に店長が西村伸也さん(42)に代わってから、レコードをかけるようになった。

前の店長のときはiPod(アイポッド)で音楽を流していた。西村さんがアルバイトから店長になると、入り口のドアの横にある大きな窓の内側に棚を設置。そこにプレーヤーを置き、外からのぞいた人にもレコードをかける店だとわかるようにした。

西村さんは「毎日タマネギを8時間以上炒め、20種類近いスパイスを季節に応じて使い分ける。それと同じ感覚」と話す。レコードをゆっくりターンテーブルに置いて針を落とし、ジャケットを壁にかける。その動作の一つ一つに「ここで食事と音楽を楽しんでほしい」という思いを込める。

店を継ぐのに前後して集め始めたレコードは1000枚以上になった。CDを聴いて育ったが、今は「レコードの温かみのある音」のとりこだ。客の中にはレコードをプレゼントしてくれる人もいる。そんなとき西村さんは、ここがレコードで音楽を楽しむ場所と知ってもらえたと実感する。

レコードに関連し、西村さんにはもう一つ大きな楽しみがある。長年、仲間たちとバンド活動をやってきたが、レコード会社から「うちから出してみては」と声がかかったのだ。すでにレコーディングも終えた。

日本レコード協会によると、19年の国内のレコードの販売枚数は122万枚と、10年の10倍以上に増えた。音楽関係者も驚く急増ぶりだ。

愛好家の層は幅広い。ボリュームゾーンの一つは、昔からレコードを聴き続けている人たちだ。先代のころからラグタイムに通い続けている年配の顧客にはそうした人が多い。

もう一つは、クラブなどでDJがレコードをかけた90年代に青春時代を送った人たちだ。下北沢のレコード店「JET SET(ジェットセット)」にはそうした人が多く集う。

レコード店「ジェットセット」。ときにアイドルのレコードも置くが、あくまで「DJ目線で格好いい」と思えるものを選ぶ

店長の松浦正晶さん(47)は「DJ文化で育った人が子どもが大きくなるなど生活が落ち着き、改めてレコードを買うようになった」と話す。レコードに添えたカードにある「初アナログ化」「アナログ正規復刻」などの言葉は、デジタルではないことに価値を認める人が来ていることを示す。

そして新たに登場したのが、未知のツールとしてレコードに接する人たちだ。これまではスマホのストリーミングサービスで音楽を聴くことに慣れていた若者たちが、レコードの新たな購買層として数を増やしつつある。

 

手仕事が刻み込む魅力

今回の取材で、多くの人が「フィジカル」という言葉を口にした。レコードなど実物があり、手に取ることができる音楽メディアを指す。ネットを使ったデジタル配信などと区別するため、使われることが多くなった。

彼らがレコードに引かれる理由は「盤面についた傷やホコリで起きるプツプツという音が心地いい」など様々にある。その中で浮かび上がってきたのがグッズとしての価値だ。

レコードをジャケットから取り出すときのわくわく感やデザインが映える大きなジャケットがその魅力。日本レコード協会によると「プレーヤーは持っていなくて、飾っておくために買う人もいる」。レコードがフィジカルであることを象徴する話だろう。

ミキサーズラボのスタジオ。カッティングが始まると「ブーン」という音が響く。ラッカー盤をターンテーブルに吸い付ける音だ

これらのニーズに応えるため、ジェットセットが手がけているのがレコードの制作だ。CDの原盤を持っているレコード会社などに使用料を払い、外部に発注してレコードを作る。有名ミュージシャンのものを含め、月に10タイトルほど制作している。

ではレコードはどうやって作られているのか。それを知るため、東京都港区にある「ミキサーズラボ」を訪ねた。見学したのはカッティングと呼ばれる作業。レコードをプレスする型を作るため、原盤に溝を刻む工程だ。

スタジオにあったのはドイツ製のマシン。レコードが隆盛だった1980年代の機種で、今にいたるまで最も性能の優れたモデルの一つとされる。薄いアルミ盤にラッカーを塗った円盤をこの機械のターンテーブルに置き、サファイアの針で溝を刻む。

北村勝敏さんは顕微鏡でラッカー盤に刻んだ溝を確かめる。カッティングは一度始めたら中断することのできない集中力の要る作業だ

カッティングを担当するエンジニアの北村勝敏さん(64)は、この道40年のベテランだ。中森明菜や井上陽水、椎名林檎など、数多くの有名ミュージシャンのレコードの制作を手がけてきた。

ターンテーブルの上に据えた顕微鏡をのぞいてみると、波形の違う複数の線が走っていた。北村さんがラッカー盤に掘った溝だ。レコードをかけたときの針の飛びにくさや音量はこの形状で決まる。レコードの音は、長年磨き上げた熟練の技に支えられている。

溝を刻んだ盤と並び、モノとしての魅力を高めてくれるのがジャケットだ。その制作の様子を記録した映画がある。スクリーンに映るデザイナーの菅谷晋一さん(46)が小さなボルトを指でつまみ、机にくり返し落としてその姿を観察する。続いて水道管を粘土で覆い、表面に細い溝を掘って長さが30aほどのボルトのオブジェを仕上げた。

自分の手で表現することにこだわる菅谷晋一さん。「小さいころ、レコードを畳の上に並べてニコニコしていた」という

ザ・クロマニヨンズの「PUNCH」(ソニー・ミュージックレーベルズ提供)。

菅谷さんは「手応えがすごかった」という 映画の題名は「エポックのアトリエ 菅谷晋一がつくるレコードジャケット」(21年1月8日公開)。このオブジェを写真に撮り、ロックバンド、ザ・クロマニヨンズのアルバム「PUNCH」のジャケットを完成させた。

なぜ実際のボルトの写真を使わなかったのか。港区のアトリエでたずねると、菅谷さんは「(オブジェの)均等ではないネジの間隔が美しい。ボルトの写真を撮り、コンピューターで加工することもできるが、それではウソになる」と答えた。「できる限り自分の手で表現したい」という思いが、菅谷さんの仕事の核にある。

デジタルが全盛の時代にあって進むフィジカルの復権は、レコード以外の音楽メディアにも広がる。東京都目黒区にあるカセットテープ専門店「walz(ワルツ)」が発信拠点だ。

国内外の様々なミュージシャンの音楽や映画のサントラなど色とりどりのカセットが整然と棚に並ぶ様子は、気軽なダビング用のツールとして使われていたカセットのイメージとは一線を画す。きちんと音が出るように整備し直した年代物のラジカセも目を引きつける。オーナーの角田太郎さん(51)は「ここをアートギャラリーみたいな雰囲気にしたかった」と話す。

カセットテープ専門店「ワルツ」。角田太郎さんは「カセットテープを通して新しい音楽体験を提供したい」と話す

開店から5年。一般に売られている安いラジカセではなく、高品質の再生機で聴いて音の良さに驚く人がいる。小さなケースを初めて手にし、「かわいい」と喜ぶ若者もいる。この店の発信力に期待し、国内外のレーベルから「うちのカセットを扱ってほしい」という提案も来るようになった。角田さんは「まだ黎明(れいめい)期。ポテンシャルはまだまだある」と未来を見る。

デジタルの空間を膨大な量の音楽が流れる中で、モノとしての音楽メディアが新たな輝きを帯びる。一枚のレコードや一個のカセットが届けてくれる量は限定的だが、聴くものが手にすることのできる確かさが、音楽を楽しむ時間を豊かにしてくれる。

 

 


 

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