NIKKEI The STYLE

 

 

ジャパニーズウイスキー 第2の夜明け

 

 

 

昨秋稼働したベンチャーウイスキー第2蒸留所の蒸留釜。直火(じかび)式を採り入れ、床には耐火レンガを敷いてある(埼玉県秩父市)

ちょうど100年前、日本の青年がスコットランドから2冊のノートを持ち帰った。ニッカウヰスキー創業者の竹鶴政孝だ。本場蒸留所での修業成果はまず、鳥井信治郎率いる寿屋(現サントリーホールディングス)での国産ウイスキー第1号に結実する。不断の努力とミズナラなど多様な樽(たる)での熟成を経て、日本のウイスキーは繊細で複雑な香りと味をまとった。近年は国際的な受賞ラッシュと、副産物としての価格高騰が続いている。イチローズモルトの成功を受け、新手の参入はラッシュのようだ。ジャパニーズウイスキー第2の夜明けを占ってみたい。

海にほど近い堅展実業厚岸蒸溜所の貯蔵庫。白壁に黒文字の蒸留所名というスタイルは、スコッチの聖地、英アイラ島に倣った(北海道厚岸町)

 

繊細かつ複雑 多様な樽で熟成

11月初旬、イチローズモルトで知られるベンチャーウイスキー秩父蒸溜所(じょうりゅうしょ)は大きな節目を迎えた。2008年の免許取得以来の念願だった、初の10年熟成シングルモルト「秩父ザ・ファースト・テン」をリリースしたのだ。造り手にとってラベルに熟成年数をうたう商品はある種の「顔」だ。熟成に費やした時への深い思いと、今後もその営みを重ねる覚悟も込められている。

貯蔵庫にたたずむ肥土伊知郎社長とミズナラの樽(手前)。ザ・ファースト・テンもミズナラ樽など複数の樽の原酒を組み合わせた(埼玉県秩父市の秩父蒸溜所)

肥土伊知郎社長は「目指したのは王道。フルーティーさや樽(たる)の香り、バニラ香などが調和した味わいを感じてほしい。『ウイスキーってやはりこれだね』と言ってもらえるものになっているはず」と自信を漂わせた。

肥土氏は近年の日本ウイスキー人気をけん引した一人だ。経営破綻した家業の「東亜酒造」の原酒を活(い)かした品や、秩父で新たに手掛けた品で「ワールドウイスキーアワード(WWA)」など国際的な賞の受賞を重ねる。「カードシリーズ」54本セットは、昨年のオークションで1億円近い値がついた。「秩父10年がいつ出るか」は、愛好家の間で話題の的だった。

ワールドウイスキーアワード(WWA)など国際的な賞の受賞が続く(秩父蒸溜所)

実は10年ものは5月に発売予定だった。だが、新型コロナウイルス禍で飲食店が大打撃を受けるなか、先送りを決断し、代わって飲食店向け限定で投入したのが「モルト&グレーン505」だ。大麦麦芽のみの「モルト原酒」と、その他の穀物原料の「グレーン原酒」とのブレンデッドで、同社の定番「白ラベル」より秩父のモルト原酒比率を増やし、度数も50.5度に高めた。

今春の規制緩和で飲食店での酒類の量り売りやボトル販売が期限付きで可能になり、話題作りに一役買った形だが、蒸留所の飲食店支援は珍しい。

秩父はウイスキーに特化したクラフト蒸留所だ。参入を決めた当時はハイボールブーム前の低迷期だったが、単一蒸留所のモルト原酒だけで造る個性の強い「シングルモルト」が1980年代後半から静かに台頭し、道が開けた。飲みやすいブレンデッドが流通量の8〜9割を占めたが、徐々にシングルモルトの固定ファンが増え、多くの銘柄をそろえたバーとコアなファンが秩父の酒を支持した。それだけに「お世話になった飲食店のために」と、505の投入を決めたという。

秩父の山並みを背景に麦芽の乾燥棟(キルン)が立つ秩父蒸溜所

秩父のもう一つの節目は、昨秋の第2蒸留所の操業開始だ。第1は小さな工場のたたずまいだったが、第2のポットスチル(蒸留釜)は大きなガラスに面し、秩父の山並みや木々が目に映る。生産量は最大で5倍になるほか、蒸留釜の加熱方式を第1の間接式から伝統的な直火(じかび)式に変えた。「感動を覚えた1950年代、60年代のスコッチの味を再現するため、伝統の造り方に取り組みたい」(肥土氏)と話す。第1では一層クラフト感を追求するという。

竹鶴ノート(写真は複製)は2冊で80ページを超え、ポットスチルなどを巧みなイラストで解説。技術を日本で実務に反映する際の私見なども書きこまれている(ニッカウヰスキー所蔵)

日本のウイスキー造りは「竹鶴ノート」に基づくスコッチ流だが、蒸留所数の違いが造り方の大きな違いを生んだ。スコットランドには100超の蒸留所があり、原酒の交換でブレンデッドが造れる。日本では当初、現在サントリースピリッツ所有の山崎蒸溜所(大阪府島本町)1カ所で、自ら多様な原酒を造る必要があった。その後もメーカー間の原酒の交換はない。その流れが後のシングルモルトにも影響した。同社ウイスキー事業部の佐々木太一課長は「単一蒸留所のシングルモルトとはいえ山崎は10種類前後の原酒を使い、スコッチとは(概念が)違う」と解説する。日本ウイスキーが「繊細で複雑」と評されるゆえんもこの辺にある。

熟成用の樽(たる)もプレーンなオーク材や事前にシェリーやバーボンなど他の酒を詰めていたものもある。日本独自のものがミズナラだ。第2次大戦中や戦後直後は国産樽でしのがざるを得ずに使ったが、原酒が漏れやすく、当初は評価されなかった。だが、長期熟成させたことが幸いし、白檀(びゃくだん)や伽羅(きゃら)のようなオリエンタルな香りを帯びたのだから、熟成期間の妙というほかない。

肥土氏は十数年前にミズナラ樽40年熟成ものを飲んだ。当時で1杯1万5千円、半杯で試したが香りに驚いた。「これを自分で造れたら最高だな。日本の個性を表現できる」。今回の10年ものでも一つのキーだ。

日本ウイスキー専門店として400種類がそろう「ショットバー・ゾートロープ」。今年出たばかりの3年熟成ものなども並ぶ(東京都新宿区)

東京・新宿のショットバー・ゾートロープは日本ウイスキーが専門の異色の店で、400本の品ぞろえを誇る。開店の契機は堀上敦オーナーが本坊酒造の「マルスモルテージ駒ケ岳10年」と、イチローズモルトの「ヴィンテージシングルモルト1988」のおいしさに驚いたことだ。それらを飲める店がなく、「日本のウイスキーを日本で飲めないのはおかしい」と開業した。

2006年の開業当時需要はどん底だったが、海外から風が吹く。日本のウイスキーの受賞が続くなか、英語サイトで「数少ない専門店」と紹介されたのだ。コロナ禍以前は外国人客が7割以上を占めた。「『日本ものの評判は聞くが飲んだことがない』という人と、『山崎も響も飲んだ。ほかの珍しいのは?』という人に二分された。口にすると、余韻の長さや華やかさに感心する人が多い」という。

 

クラフト勃興 100年の新景は?

激しい雨、次いで厚い雲の切れ間から日が差し、にび色だった海が輝く。さらに突然ひょうが降る。10月末の北海道厚岸町の天候変化はめまぐるしい。堅展実業厚岸蒸溜所の立崎勝幸所長は「厚岸を知ってもらうには一番良い日だ」と笑う。それは「1日に四季がある」と言われるスコットランドに通じる。

「アッケシ」という不思議な響きを耳にしたのは約3年前だ。「英アイラ島のような酒造りを目指す蒸留所が北海道にできた」と聞いた。アイラ島はラフロイグやアードベッグなどの銘酒で知られる。強い潮風、冷涼な気候、麦芽を乾燥させる燃料でヨード臭の元になるピート(泥炭)が強い個性を生む。酒類などの輸出業から参入した堅展実業は、環境の似た道東の厚岸を選んだ。

「寒露」を手にする堅展実業の樋田恵一社長。タイプの異なる二十四節気シリーズを続け、次作は2021年2月にもブレンデッドの発売を見込む(北海道厚岸町)

10月末に初の3年熟成フルボトルのシングルモルト「寒露」を発売した。シェリー、ワイン、バーボン、ミズナラの樽を使い、「柿のような風味も感じる。和にも洋にも合う味を狙い、特に和に合わせるのにワイン樽原酒が生きた」(立崎氏)。原酒が樽の隙間から蒸散する「天使の分け前」が日本では寒暖差でスコットランドの倍近く、熟成は速い。冬は氷点下10度を下回り、寒暖差30度以上の厚岸の分け前は年3〜4%だ。

原生林の中で、大きな存在感を放つミズナラの古木(北海道厚岸町)


樋田恵一社長は煙臭さで鳴るアードベッグに魅了され、アイラ熱にかかったが「造ってみて酒質に甘みを感じ、海霧の影響か、塩っぽさも感じるようになった」という。麦もピートも樽も厚岸産という「厚岸オールスター」が当面の目標だ。大麦は既に地元産を一部採り入れた。町有林から間伐した老ミズナラを用いた樽も徐々に増え、湿原で試掘したピートの適性もみている。

湿原から切り出したピート(泥炭)。厚岸の素材でのウイスキー造りを目指す「厚岸オールスター」に欠かせない要素だ(同町の真栄木材)

名産のカキとウイスキーのコラボメニューをそろえた道の駅「厚岸味覚ターミナル・コンキリエ」の荻原俊和副支配人は「カキの街から、カキとウイスキーの街に」と意気込む。

ウイスキーをカキに垂らして食べるのも英アイラ島由来だ。ホテル五味では、厚岸だけでなく内外のウイスキーをそろえている(厚岸町)

樋田氏は上々の滑り出しにも、「地力ではなく、日本ウイスキーブームのおかげ」と自戒する。たしかに竹鶴翁が最初のウイスキー発売まで、リンゴジュース販売でしのいだのとは隔世の感がある。ウイスキー文化研究所(東京・渋谷)によると、今春時点でウイスキーを手掛ける国内の蒸留所は約30カ所と急増中だ。ウイスキー評論家の土屋守社長は「肥土氏の成功がなければここまでのクラフト勃興はない」とみる。

人気の過熱はすさまじい。限定5千本の秩父10年は1万9800円だが、ネット上では早々に10倍以上の値もついた。限定1万5千本の寒露も1万6500円だが、100本を用意したコンキリエでは整理券が20分で無くなった。関東から来た人もいたという。

この10年の人気過熱は深刻な原酒不足を呼んだ。アサヒグループホールディングス傘下のニッカウヰスキーは今年、受賞歴も多い竹鶴ピュアモルトをノンエイジに改め、同社のウイスキーから年数表記が消えた。熟成に年数のかかる原酒の需給調整は、絶対の解がない各社共通の難題だ。ニッカは竹鶴の年数表記ものを細々と続けることも考えたが、「入手できない人がこれ以上多くなってもいけない」(桐山修一・アサヒビールワイン・スピリッツマーケティング部次長)と、決断した。

「ジャパニーズウイスキーとは何か?」という問いも無視できなくなってきた。スコッチは「スコットランドでの糖化、発酵、蒸留、熟成」や「3年以上の熟成」などが法律で義務付けられている。日本は生産場所や熟成年数の定めがない。輸入原酒を使っても、日本でブレンドや瓶詰めをすれば「日本産」になる。それを憂う声は小さくない。

土屋氏は「海外でほとんど流通しなかった頃とは違う。定義を明確にすべきだ」と指摘する。実行委員長を務めるコンペでは今年から、糖化から熟成まで一貫して日本で行ったものを「ジャパニーズウイスキー」、外国産原酒も用いて日本で造ったものを「ジャパンメイドウイスキー」とする参加基準を示した。ただ、商品ラベルの表示などにかかわる定義は業界団体マターで、見直し論議は既に4年を越えた。ただ独自に、「ワールド・ブレンデッド」などのラベル表記で消費者に外国産原酒使用を示す社もあり、静かな変化もみられる。

竹鶴翁は1968年の本紙連載「私の履歴書」で、「世界の各国でスコッチと日本のウイスキーが四つに組む時代はそう遠くはあるまい」と、今日の隆盛を予言した。あと3年で山崎の建設から100年だ。願わくば第2の夜明けの新たな景色は、投機的騒ぎに煩わされず静かに眺めたい。多くの造り手の願いは「おいしく飲んでほしい」と実はシンプルなのだから。著名スコッチの貯蔵庫のプレートを思い出す。「Quiet please,Whisky sleeping.」。それは観光客への注意と読めたが、深い含意もあったのだろうか。

ウイスキーに静かな眠りを。

 

 

 

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