人命重視が経済も救う
次の感染流行へ備えを
新型コロナウイルスのパンデミック(世界的大流行)から我々が学んだ唯一にして最大の教訓は、歴史的な観点でみると比較的緩やかなパンデミックであるにもかかわらず、大きな被害が生じてしまったことだ。
イラスト James Ferguson/Financial Times
緩やかといっても、コロナがもたらした苦しみや、効果的なワクチンを世界に展開できるまで続く苦痛を軽んじているわけではない。だが、新型コロナは専門家の想像を大きく上回る社会的、経済的な脆弱性を明らかにした。なぜそうなったのかを理解し、将来こうした感染症の影響をもっとうまく管理する方法を学ぶことが重要だ。
米ハーバード大学のデビッド・カトラー、ローレンス・サマーズ両教授は最近発表した論文で、新型コロナの被害総額が米国だけで16兆ドル(約1600兆円)に上ると試算した。米国の年間国内総生産(GDP)の75%に相当する額だ。被害のほぼ半分は、超党派機関の米議会予算局(CBO)が推計したGDP逸失額の累計だ。残りは米国で一般的に利用される数値に基づいて算出した、早世、そして身体的、精神的な健康被害に伴うコストだ。
過去のパンデミックと比べると死者は少ない
両氏の判断では、コロナの被害総額は2008年の世界金融危機後の景気後退の4倍に上る。もし世界全体の被害額も年間GDP比75%に相当したとすれば、その額は購買力平価ベースの為替レートで96兆ドル前後に達する。この数字は過大に見積もっているはずだ。しかし、これを下回ったとしても、失われたコストは莫大だ。
一部の国では病床数が春と比べて逼迫している
これまでのところ、新型コロナによる世界の死者数は140万人強と推計されている。死者数は現在、1日1万人弱、年間約350万人のペースで推移している。この水準が続くと、パンデミック発生から最初の2年間で累計の死者数が500万人に迫り、世界の人口の0.06%強に達するかもしれない。
この数字を過去と比較すると、1918年に発生したスペイン風邪は26カ月間続き、世界で1700万〜1億人、当時の人口の1〜6%の命を奪った。現在の新型コロナに当てはめると、8千万〜4億人超の死者が出る計算だ。14世紀の黒死病など、一部のパンデミックはスペイン風邪さえも大きく上回る死者を出した。
CBOが2006年に公表した報告書は、「強毒性インフルエンザのウイルス株(1918年のスペイン風邪のようなタイプ)のパンデミックは、深刻さと継続期間において、米国の戦後の平均的な景気後退時と似た短期的影響を世界経済に及ぼす可能性がある」と論じていた。
だが、スペイン風邪の際、米国では1億300万人程度だった当時の人口のうち約67万5千人が死亡した。現在の人口に照らせば200万人以上になる。もしCBOが正しかったとすれば、今回のパンデミックの経済的な影響は、実際の数字より格段に小さくて済んだはずだ。
新型コロナの第2波の死者数は第1波よりは抑えられている
欧州連合(EU)の欧州委員会のために作成され、同じく06年に発表された同様の研究は、「パンデミックは莫大な人的被害をもたらすが、十中八九、欧州のマクロ経済にとって深刻な脅威にはならない」と結論づけていた。この結論は、かなり間違っていた。
経済的被害を容認できる現代
では、過去と比べると緩やかといえるパンデミックの経済的被害がこれほど大きくなったのは、なぜか。「それだけの経済的被害を容認できるから」だ。パンデミック中でも、裕福な人の日常的な消費は大部分において支障がない一方で、政府は影響を受けた人と企業を大々的に支援できる。
市民も、こうした支援を政府に期待する。パンデミックへの対応は、少なくとも豊かな国においては、現在の経済でできることと社会的な価値観を反映している。パンデミックを封じ込めるためなら、我々は大きな代償を払う用意がある。そして、以前よりはるかにうまく封じ込められるようになっている。
新型コロナの被害額は莫大だ
一部には、各国が選択した手法、特に無差別なロックダウン(都市封鎖)が、こうした莫大な経済的被害の大きな原因だと主張する人もいる。そして、弱っている人だけを守りながら、新型コロナ(とその患者)は自由にのさばらせるべきだったと話している。
この意見は極めて疑わしい。感染例が多いほど人は自らを守ろうとするからだ。この点は、国際通貨基金(IMF)が最新の「世界経済見通し(WEO)」で指摘している。
新型コロナの死者数とGDP成長率の比較
理論上の費用対効果分析ではない、実際の経験に基づく数値をみると、できるかぎりウイルスを抑制すべきだとする論拠がさらに強まる。「経済を救うためには、まず人を救え」と題した米シンクタンク、新経済思考研究所(INET)の最近の論文が、その理由を説明している。論文では、各国の新型コロナ対策は2つに分かれたことを示している。ウイルスを抑制するか、あるいは経済のために一定の死者数を許すかだ。大まかに、前者の方が経済、死者のいずれにおいても被害が少なかった。一方、人命を犠牲にした国は大抵、多くの死者と大きな経済的被害を出している。
今、欧州でコロナ感染の第2波が生じ、再度ロックダウンが導入されるなか、第1波でウイルスを完全に制御するまで対策を貫けなかったことは、大きな過ちのようにみえる。もちろん、効果的な検査・追跡・隔離策があれば、なおのこと好ましい。だが、感染率が昨今のようなレベルに近づくと、不可能だ。
人類は新型コロナより人的被害が大きいパンデミックを経験してきた
政治の金科玉条は「市民の安寧」
新型コロナから学べることはまだ山ほどある。そして、次のパンデミックが今回よりもはるかに致死性が高いかもしれないことを考えると、絶対学ばねばならない。一方で、現在の惨状から速やかに抜け出す必要がある。そのためには緊密な世界的協力は欠かせない。
パンデミックの被害は驚くほど大きかったが、幸い、科学的な対応も目覚ましかった。これからワクチンを生産し、全世界に配布しなければならない。重要な一歩は、米国を含むすべての国が、全世界にワクチンを供給する国際枠組み「COVAX(コバックス)」に参加することだ。グローバルな課題にはグローバルな解決策が必要だからだ。
コロナ禍は、経済学者の予想よりもはるかに破壊的な経済的ショックをもたらした。これは極めて大きな教訓だ。新型コロナ以上に毒性の高い感染症の発生はあり得るだけに、次に起きた場合ははるかに素早く抑制しなければならない。多くの人が今、自由が制限されていると騒いでいる。しかし今も未来も、そして永遠に、市民の安寧を守ることが政治の金科玉条であり続けるべきだ。