論座

 

インタビュー 文春編集局長が語る「信頼とは」

 

スクープがもたらす正のスパイラル 親しくなっても書く覚悟

 

新谷学 文藝春秋執行役員、週刊文春編集局長

 

次々と社会を驚かすスクープを積み重ねることによって、国民に支持される、まさに「正の循環」を実践する「週刊文春」。メディアの目指すべき信頼の形にも見える。「賭けマージャン」問題をスクープしたのも同誌だった。「文春砲」とも呼ばれる、そのスクープを目指す集団を率いる新谷学・同誌編集局長に「メディアと信頼」について聞いた。

 

 

――大型の選挙違反事件に発展した河井議員夫妻(注1)はじめ、政界を揺るがすスクープを連発していますが、なぜ文春にばかり情報が集まるのでしょう。

新谷 例えば、ある政治家に関するスクープは、文春リークスというネット上の情報提供サイトへの投書がきっかけでした。その1行目には「初めは警察に送ろうとしましたが握り潰されると思ったので文春に送ります」と書かれていました。大変僭越ながら、警察大学校で研修を頼まれた際、都道府県警の幹部50人ぐらいを前にその話をしました。「皆さんが問われるのは、政治との距離、政権との距離ではないですか」と。

(注1) 週刊文春19年11月7日号は、河井克行法相(当時)と妻の案里参議院議員のウグイス嬢買収疑惑を報じた。現職国会議員夫妻が逮捕される大型の選挙違反事件に発展。

 

「賭けマージャン問題」の本質

――メディアにとっても、権力との距離は難しいテーマ。まず、「賭けマージャン」問題(注2)の本質は何だと考えますか。

新谷 誌面を読んでいただければ分かりますが、朝日の元記者、産経の記者については、基本的に批判していません。むしろ黒川検事長という極めて機密性の高い情報にアクセスできる人物に食い込んだのは、記者としてはすごい、そういうスタンスです。何で記事にしたかといえば、官邸が定年延長という前代未聞の法改正をしてまで検事総長にしようとする黒川さんとは一体どんな人物なのか、を様々な角度から深掘りしようと。情報提供があって、約3カ月にわたり取材を続けた。その結果、ステイホーム期間中に深夜2時まで賭けマージャンをやるような人物だということが分かり、本当に余人をもって代え難い人物なのか、を読者に問題提起した。それが「週刊文春」のスタンス。けしからんと大上段からぶった切るわけではない。目指すのは論よりファクト。新聞各紙は、社説などでこんな定年延長が許されていいのかと繰り返したけれど、事態は動かない。ただ、彼が深夜まで記者とマージャンに興じていたという事実一発で大きく動く。

 

――事実を突きつけて、読者に問うと。

新谷 総長にするなとは書いていない。政治家を書く上でも、やめろとか、資格がないと断じるほど、我々は偉くない。こんな人です、どうですかと事実を伝えるところまでが我々のすべきことです。

一方で、私たちは朝日の元記者、産経の記者のマージャンは取材活動の一環と考えていたので、発覚後の対応は不可解です。特に産経は取材活動と説明していたわけだから、マージャンをやっていた記者に署名で書ける範囲で事実を書かせるべきでしょう。マージャン当日のドキュメントに加え、黒川さんとの関係性など、読者に取材の正当性を説明すべきではないか。それでもけしからんと言う人もいるでしょうが、報道の本質を分かっている人は、理解してくれると思います。

朝日は、元記者と「元」にこだわっていましたが、現職じゃないから罪は軽いと言いたいのか、ピントがずれている。防衛ラインの引き方が明らかにおかしい。世の中が問題にしているのは、そこじゃないと思います。

 

――どうすればよかったのでしょうか。

新谷 黒川さんとのやり取りで、取材のヒントがあれば、現場の記者に伝えるのが当然。黒川さんと緊密に話ができる関係は、一朝一夕で築けるものではないわけですから、有効に使うべきです。

 

――新谷さんが編集長なら、記者から黒川さんと会えるかもしれない、行ってもいいかと相談されたら、どう答えますか。

新谷 難しい判断です。ただ、行けと言った可能性はあります。彼から聞かなければいけないこと、確認すべきことがあれば、リスクを負ってでも行かせるでしょう。ただし、行かせて、聞いた話は、すぐに報じると思います。「黒川独占告白90分」といった形で記事にしてしまう。それによって、なぜリスクを負ってでも彼に会ったのか、それはこの事実を伝えるためです、と読者の皆さんに胸を張って説明できると思います。もちろんその結果、記者と黒川さんとの人間関係が壊れるリスクは大いにありますが。

 

――取材方法に問題があっても、結果に繋がれば、ということですか。

新谷 そこはものすごく難しい天秤だと思います。モラルとか、法的なルールを重んじるのか、記者としての使命を重んじるのか、難しいけれど、極力、記者の使命を果たすことに重きを置きたい。重要なネタ元に食い込んでスクープを取ってくることを、最優先すべきだと私は思っています。完全な違法行為は駄目ですけれど、例えば、相手の違法行為を告発するためなら、隠し撮りすることも許されるのではないかと考えています。マニュアルで何でもかんでも駄目だと禁じてしまうのが一番危険。取材相手との距離にしても、重要な情報源であれば、リスクを取りながらも食い込む努力をするのは記者としては当然だと思います。それが一括りに癒着は駄目だとされてしまうと、自分たちの取材領域がどんどん狭くなってしまう。スクープを取る記者じゃなくて、トラブルを起こさない、ルールを守る記者がいい記者だとなってくると、大本営発表のようなコモディティー化されたニュースを横並びで出すような状況に拍車が掛かってしまう。それではデジタルシフトが進む中、マネタイズすることは難しいでしょう。

(注2) 20年5月28日号に、黒川弘務・東京高検検事長が、新型コロナウイルス感染拡大に伴う緊急事態宣言下で、記者らと賭けマージャンをしていたとする記事を掲載。定年延長で次期検事総長が有力視されていた黒川氏は辞任。

 

 

上に立つ者の覚悟

――記者は「取材のプロ」なんだから、問題になったら本人の責任という意見がある一方、リスクを現場に負わせるのか、という声もあります。

新谷 上に立つ人間の覚悟、腹のくくり方だと思います。結果的に現場が下手を打つ、社会的に批判にさらされるようなことをしたとしても、最後、責任を取るのは俺だと上が言えば問題ない。そうでなければ現場は心置きなく前のめりに戦えない。私は、編集長になって以降、責任は俺が取るからいいネタを持ってきてくれと言い続けています。

報じるということには大きなリスクが伴うわけで、究極のリスクは、例えば、シャルリー・エブドみたいな話ですよ。何は書いてよくて、何が悪いか誰が決めるのか、それは自分たちが決めるべきで、それこそが編集権。世の中に発信した以上、リスクを引き受ける覚悟を持たなければ駄目で、究極的には命を取られることだってある。最終責任は自分が負う、その覚悟が求められると思っています。

最近おかしいと思うのは、ちょっと炎上すると、すぐ謝罪したり、撤回したりしますよね。新聞も、テレビも、雑誌も。まさに「メディアと信頼」の話で、トラブルが生じた時、なぜこれを報じたのか、を説明するべきなんです。それもしないで、すぐ謝ったり、引っ込めたり、休刊・廃刊したり。その程度の覚悟で読者、視聴者に、本なり、テレビ番組なり、新聞なりを読ませたり見せたりしていたんですかと思われますよね。

私は、記事を出して、炎上したり、批判されたりした際には、文春オンラインに、なぜ報じたのかを編集長名でアップするようにしています。編集長の仕事は、常にアクセルとブレーキ両方に足を乗せていて、瞬時にどのタイミングで、どっちをどのぐらいの強さで踏むのか、ゴーなのか、ストップなのか、目いっぱい踏み込むか、急ブレーキか、その判断なんです。基準は、最悪の事態が起こった時、読者に胸を張って、なぜ書いたかを説明できるのか。できなかったらやめる、できるんだったらリスクがあっても行こう。言い方を変えれば、この記事が、「週刊文春」のブランドを磨くことにつながるのか、傷つけるのか、そこで常にゴーとストップを決めているわけですね。

 

――一般的な倫理観と、記者倫理って、やはり乖離があるように感じます。

新谷 そうですね。メディアへの不信がかつてないほど広がりを見せてしまっているのは確かです。その中で「週刊文春」は、相手が強くても長いものには巻かれずにリスクをとってコストをかけて戦う姿勢、ファイティングポーズは崩していないぞと信頼してもらうことが大事です。今はすごくダブルスタンダードで、芸能界も政界も相手によって書いたり書かなかったり。あるいは、圧力がかかったら、書くのをやめてしまうことがままある。私も「週刊文春」編集長になって以降、何度かこれじゃ信用されなくなるなと思うことはありました。例えば2012年4月に編集長になって2カ月後に民主党政権の小沢一郎幹事長の記事で初めて完売したんですけど……。

 

――「妻からの『離縁状』」(注3)ですね。

新谷 発売前日段階で様々なワイドショーとか報道番組から記事を紹介させてほしいと連絡があり、全て許可したけど、どこもオンエアしない。調べてみると、小沢さんサイドから会見とか、囲み、懇談とかに入れなくなるぞと圧力がかかったみたいなんですよ。特オチを恐れる傾向が、どのメディアも強くなっているので、それはまずいと。顛末を唯一書いてくれたのは、毎日新聞の山田孝男さんのコラム「風知草」でした。

(注3) 12年6月21日号で、「妻からの『離縁状』」のタイトルで、小沢一郎氏の夫人(当時)が支持者にあてたとされる文書を公表した。

 

 

仲良くなるのは書くため

――権力との付き合い方ですが、いろいろな方とお付き合いをされて、書けなくなったことはなかったのですか。

新谷 私の口癖である「親しき仲にもスキャンダル」に尽きます。我々の仕事は仲良くなることじゃない、書くこと。仲良くなることは書くための手段ですから、目いっぱい仲良くなるけれど、書く局面が来たら、その人に不利なことが起ころうが書く。人間関係がぶっ壊れようが書く、それも覚悟です。仲いいから書けませんは通らない。実際に私も人間関係はいっぱい壊れてきました。何回も、壊れたり、修復したりを繰り返しているし、飯島勲さん(注4)もそうでした。

 

――小泉批判をして、飯島批判、裁判にもなっています。逡巡はないですか。

新谷 もちろんあります。機械じゃないので、スイッチを切り替えるように変わるわけありません。飯島さんにはお世話になりました。「週刊文春」のデスクだった私の悲願は、現職総理を「週刊文春」誌面に引っ張り出すこと。人気絶頂の小泉総理に、飯島さんのお陰で2回も出ていただけました。でも、週刊誌の宿命でハネムーンは短かった。当時の編集長から小泉批判キャンペーンをやれと言われて、調べ始めたら飯島さんに関する情報も、現場から上がってくる。飯島さんの逆鱗に触れるネタを何本かやって、東京地裁に訴えられて、裁判でも負けた。

だからといって、飯島さんのことは、人間として好きだし、恩義もあります。根っこの部分では、分かり合えているかもという淡い期待は残っていたから、編集長になった時に、飯島さんと会って、「政治コラムを書いてください」って単刀直入に頼んだら、「俺でいいのかよ」って、また仲良くなって。飯島さんの懐の深さに感謝しています。

(注4) 飯島勲氏。小泉純一郎首相の初当選時からの秘書。首相秘書官を務めた。

 

 

「食事=癒着」批判に違和感

よく朝日の記者も、安倍さんと飯食うと、けしからんとか、癒着だとかって、批判されるじゃないですか。あれはすごくナンセンスだと思う。総理大臣という最強のネタ元に食い込む努力をするのは当たり前で、ご飯食べると、仲良くなるし、距離が縮むのは間違いありません。そういう機会をつかまえて安倍さんに食い込む努力をするのは当然だと思うんです。問題なのは、食い込んだつもりが取り込まれてしまって、安倍さんにとって不都合な真実をつかんだ時に書けなくなってしまうことですよ。あるいは、安倍さんに「あれはやめてよ」と言われた時にやめてしまうことが一番問題。その一線さえきちっと引けていれば、食い込もうとするのは当たり前。飯食うこと自体が駄目っていうのはすごくおかしい。

深く入らなければ、本当のことなんか分からないじゃないですか。総理会見が形骸化しているとか、議論になっていますが、大勢いるところでとって置きの情報なんか言うわけがない。私たちは聞くべきことがあれば、直撃に行きます。一対一の場面に持ち込んで、突きつけます。取材の在り方が表層的になってきている気がします。

 

――「親しき仲にもスキャンダル」は、意識として分かりやすい。

新谷 私なんか、信じていたのに裏切られたと言われたことは何回もあります。心情的にはその人に友情なりシンパシーを感じていることもありますけれど、分かった、じゃあ記事止めるという判断は、ゼロです。私が守るべきは人間関係じゃなくて「週刊文春」の看板なので。もし、「仲いい相手なのでちょっと勘弁してくれよ」って現場に言ったら、止まるかもしれない。けれど、現場からは相手にされなくなるし、そういう情報はあっという間に外に漏れ伝わりますから。文春は権力に屈して筆を折ったとなれば看板に取り返しのつかない傷がつくわけです。

例えば、甘利明さんの金銭授受問題(注5)の時も、直撃後、官邸中枢から携帯に電話があって、何とかならないかと。TPP交渉の調印のタイミングなので行かせてやりたいということでしたが、もちろん記事は出しました。甘利さんは大臣をお辞めになって、私と官邸中枢との関係も壊れました。その関係を優先して、分かりましたとは口が裂けても言っちゃいけない。その覚悟さえ持っていれば、食い込むのは当然だと思います。

 

――取材は、きれいごとじゃすまないと思うのですが、一方、取材過程の可視化を求める声が高まっています。

新谷 今まで編集者とか記者って黒衣だったじゃないですか。記事に書いたことが全て、取材過程についてはお答えしませんと言えば、済む時代だった。ところが、世の中がデジタルシフトして、SNSも発達した。黒衣が通じた時代は、情報を発信する側と受ける側の力関係において、圧倒的に発信する側が強かったので、教えてやるという上から目線で発信できていた。今は受ける側が情報を選ぶ時代。しかも、あらゆる情報をネット上で得ることができますから、信頼を得るためには、必要に応じて、取材プロセスを説明する努力が必要だと思います。

(注5) 16年1月28日号で「TPP立役者に重大疑惑」として、甘利明・特命担当相の金銭授受疑惑を報道。甘利氏は授受を認め、担当相を辞任。

 

 

 

スクープへのこだわり

――週刊文春のスクープは、どれも社会的な影響が大きい、その分、裏付けも大変だと思います。

新谷 おっしゃる通りで、「週刊文春」はここまで徹底的に調べているんだということをあえて伝えないと伝わらない時代。メディアに理解がない人だと、噂話を面白おかしく書いているだけじゃないのかとか、情報を金で買って、右から左に流しているんじゃないかとか。それを払拭するために、様々な機会をつかまえて、「週刊文春」の理念や、取材手法、取材プロセスの説明を心掛けています。

 

――メディア不信の原因は? 信頼を取り戻すために何が必要でしょうか。

新谷 誰に向けてニュースを出しているのかをしっかり見定める。読者なのか、取材源の顔色をうかがうのか、社内的な忖度の上で出しているのか。読者から、自分たちのために体を張って、リスクを取って、このニュース、この情報を取ってきてくれたんだと思ってもらわないと信頼してもらえない。一番力を入れているのはそこですね。文春は、リスクがあろうが、コストがかかろうが、相手が強かろうが、読者に伝えるべき情報であれば伝えてくれるメディアなんだと信頼していただきたい。今年に入って3回完売しましたが、最初は近畿財務局の赤木さんの手記(注6)を掲載した号、次が黒川さんの賭けマージャンです。SNSを見ていると、非常に評価してくれる声が多かった。「新聞をやめて『週刊文春』を定期購読して応援しよう」と書き込んでくれる方もいて、大変励みになりました。そういう信頼、あるいは応援みたいな意識は、今後ますます大事じゃないかと思うんです。自分たちにこういうメディアは必要なんだ、本当のことを知る上で、「週刊文春」は必要だと。買って応援しようというモチベーションを持っていただくのは大切で、ニューヨーク・タイムズの電子版が伸びているのも、トランプ大統領相手に一歩も引かずに対峙し続けてきたからだと思います。同時にニューヨーク・タイムズ同様、ファクトで戦うメディアにとって最大の敵は「フェイクニュース」というレッテルです。

 

――スクープには、時間も、お金も、人手もかかる、厳しくないですか。

新谷 優先順位の問題です。何を一番大切に考えるかといえば、我々、ファクトをしっかり固めることを最優先しています。ファクトでがちがちに武装しないと勝てない相手とよく戦いますが、そのためにはコストがかかります。河井さんのウグイス嬢12人同時直撃も、記者だって朝日なんかに比べれば弱小ですから、30人しかいない。いろんな取材現場から引っこ抜いて12人かき集めて、舞台は広島なので、前日の晩に入れて泊めて、朝8時同時着手。取材費だけ考えれば、その号単体で見れば赤字かもしれませんけれど、ああいうスクープを飛ばすことが、読者の信頼につながる。きっかけは文春なのかとなれば、また新たな情報提供がある。実際に今、文春リークスへの情報提供は量も質も飛躍的に伸びています。ビジネスで言えば、コアコンピタンスであるスクープへの投資はケチらないということですね。日テレの「イッテQ!」のやらせ(注7)の時も、3週間、記者をラオスに入れて、裏を取りました。

 

――スクープにこだわる理由は。

新谷 極めて単純で、誰も知らないとって置きの話を誰よりも早くつかんで、誰よりも早く世の中に伝えて、世の中の人をびっくりさせたり、面白がらせたり、考えさせたいという、根源的な欲求です。記者は、ほとんどがそう思っているんじゃないですか。

(注6) 20年3月26日号で、財務省近畿財務局の文書改ざん事件をめぐり、自ら命を絶った職員の赤木俊夫さんの遺書など、相澤冬樹氏執筆の記事を公開。

(注7) 18年11月15日号で、日本テレビの人気番組「イッテQ!」にやらせの「重大疑惑」があるとして報道。

 

 

違和感から裏取り、最後は決断

――河井議員の事件、舛添さんの公用車の問題(注8)もあきれた話にとどまらない、「公益」にかなうニュースです。

新谷 本来、両方とも新聞がやるような仕事ですね。(舛添さんの問題も)極めてオーソドックスな情報公開請求を駆使した調査報道です。きっかけとして、素朴な違和感は大事。それは、ショーンK(注9)だって同じで、ちょっとした違和感。舛添さんの時は、外遊で5千万円使った、そういう趣旨の新聞記事がネット上であっという間に炎上する。これは、彼のお金の使い方を調べたほうがいいんじゃないのかと取材班を立ち上げる。記者が都庁幹部にアポを取って会ったところ、「一番問題だと思っているのは公用車の使い方なんですよね」と。記者はそれを聞き逃さず、知事の公用車の使い方について情報公開請求をかけて、1週間から10日ぐらいで分厚い資料が来て、ブツ読みしたら、毎週金曜日2時半に都庁会見を終え、自宅経由で湯河原の別荘に行っていることが分かった。それがちょうど金曜日で、記者を投入して湯河原で待ち構えていたら本当に公用車で来た。

記者たちは自分たちのミッションはスクープを取ること、骨は拾ってくれる、がむしゃらに走ろうと常に前のめりです。アンテナを高く張りめぐらし、踵は浮いた状態。舛添さんで言えば、「公用車の使い方なんですよね」と聞いた瞬間に一歩前に出るみたいなところはあります。

 

――裏取りですが、相手が巨大で強力です。大変ですし、怖くないですか。

新谷 真実性がベストだけど、少なくとも真実と信じる相当の理由があると法廷で主張できるまでは詰めます。ハードプルーフがある。あるいは、裁判になった時、この人は証言台に立ってくれるのか、陳述書を書いてくれるのかということまで詰めます。「週刊文春」として恥ずかしくない戦いができるところまで固めた上で記事を出します。

――要は、スクープが信頼回復の近道ということでしょうか。

新谷 私が言っていることは、デスクになった2001年ぐらいから全然変わってない。スクープだ、スクープだと言い続けて、それが自分の中で徐々に理論化されてきた。我々の生きる道って何かといえば、やっぱりスクープだよなと。舞台が、紙の雑誌だろうが、デジタルにシフトしていようが、スクープの持つ価値は絶対揺るがない。スクープ力をとことん磨き上げていけば我々は生き残れるはずだというのは揺るがぬ信念です。だから手間も暇も金もかけようと。

 デジタルシフト、コロナ禍も含めて、今は激変期。変えなければいけないものと絶対変えてはいけないものを見極めていかないと、間違う。どんなことがあっても、石にかじりついてでも変えちゃ駄目だぞという、ブランド価値の根幹にかかわる部分を譲ってしまうと、あっと言う間に劣化するし、組織としておかしな方向に行ってしまう。

 偉そうで申し訳ありませんが、私なら朝日の政治部、経済部、社会部はじめ、各部から腕っこきを集めて、社長直属の20人くらいの精鋭部隊をつくりますね。それで、安倍政権、今なら菅政権を相手に徹底的に調査報道で立ち向かう。毎日、毎日、ネタの大小はあっても、必ず何かしらを出し続けるぐらいのことを腹を決めてやったら、全然違う風景が広がるんじゃないかなと思いますね。根幹の部分で朝日が一番守らなきゃいけないところは何なのか。そこに人と金をふんだんに投入して、その幹の部分を徹底的に磨き上げて、それを武器に戦うべきじゃないかと思いますね。

(注8) 舛添要一都知事(当時)が1年余りの間に公務先と神奈川県湯河原町の別荘を49回、公用車で行き来したとする記事を、16年5月5・12日号に掲載。

(注9) タレント、ナレーターなどとして活躍、テレビ番組の司会を務める予定だったショーンK氏が、16年3月24日号で、自身の経歴が虚偽だったことを認め、番組放送前に降板。

 

精鋭部隊で勝負を

――新谷さんから見て、期待する幹というのは、朝日の場合は何でしょうか。

新谷 やっぱり、堂々たる朝日ジャーナリズムってあるじゃないですか。リベラルの総本山として、代々、権力に対峙して、ずっと貫いてきた。それを支持する人はいると思うんですけど、いつしかそれが、ファクトよりもオピニオンに軸足が移り、しかも、そのオピニオンも失礼ながら、ほぼ懐メロです。好きな人は聴いているけど、若い人には届かない。朝日ジャーナリズムの幹の部分をもう一回磨き直す。権力監視をうたうのであれば、本気で監視したらいいんじゃないかなと思うんです。権限と責任を持った精鋭部隊がとことんやったら、面白い勝負になるんじゃないですか。

 

――すごいなと思うのは、飯島さんもですが、渡部さん(注10)もベッキーさん(注11)も、文春に報じられた人たちが、手記を寄せてくれたり、インタビューに応じたり。何なんだろうと。

新谷 (週刊文春ファッションムックの)撮影時に川谷(絵音)さんに名刺を渡したら、しみじみと見て、「この名刺をもらう日が来るとは夢にも思いませんでした。僕で随分稼ぎましたよね」と言うから、「ありがとうございました」と頭を下げました。これはすごく大事なことで、別にスクープしたからって、その人の存在、人生を否定したわけではない。人間としての一つの顔、今まで知られざる顔をつまびらかにしただけで、芸能活動をやめてほしいなどとは、一切考えていない。政治家でも大臣をやめるべきだと考えてやっているわけではありません。

 

――印象深いのは、著書に週刊文春は「クラスで人気のあるいじめっ子」を目指すというフレーズがありました。

新谷 みんなが「よくぞ書いてくれた」と快哉を叫ぶような記事を書きたいと思っています。僣越ながら、「週刊文春」の影響力や存在感が大きくなっているのであれば余計に、何を書くのか、誰を書くのか、書き方も含めて厳しく問われるようになってきていると自覚しています。弱い者いじめみたいに見られることは絶対したくないし、そんないじめっ子にはクラスの誰も共感してくれない。誰よりも早く勇気を出して「王様は裸だ」と叫ぶ。それこそが、読者の支持、共感、信頼に繋がると思うんです。(聞き手は、本誌編集長・久保田正)

(注10) 20年6月18日号で、お笑いコンビの渡部建さんの女性問題を報道。

(注11) タレントのベッキーさんと人気ロックバンドで妻がいる川谷絵音さんの交際を、16年1月14日号で報じた。

 

 

新谷学(しんたに・まなぶ) 文藝春秋執行役員、週刊文春編集局長

1964年東京都生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業後、89年に文藝春秋に入社。「Number」「マルコポーロ」「週刊文春」「文藝春秋」編集部、ノンフィクション局第一部長などを経て、2012年から「週刊文春」編集長、18年に「週刊文春」編集局長に就任。20年8月から同社執行役員を兼ねる。著書に『「週刊文春」編集長の仕事術』(ダイヤモンド社)、共著に『文春砲 スクープはいかに生まれるのか?』(角川新書)。

 

 

 

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