ノーベル賞研究に先んじていた野辺山電波天文台の成果

 

超大質量ブラックホールの存在を周辺ガスの運動から突き止めていた!

 

谷口義明 放送大学教授(銀河天文学)

 

 2020年のノーベル物理学賞は、ブラックホール研究に貢献した欧米の3人に贈られる(論座『「ブラックホール」でまとめたノーベル物理学賞』真貝寿明)。実はブラックホールの存在を示唆する観測では日本人チームが大活躍した。その成果は、今回の受賞者たちより早く発表されている。四半世紀も前に、超大質量ブラックホールに肉薄した日本人がいたのである。ノーベル賞選考委員会に文句を言うつもりはない。ただ、日本チームの研究がいかに大きな意義を持つものだったのか、日本の皆さんにぜひ知っていただきたいと思う。

 

ブラックホールを「観測」する三つの方法

 銀河の中心は特別な場所である。明るく輝いているのだが、そこにあるのは非常に重いブラックホールである。超大質量ブラックホール、Super Massive Black Hole、略してSMBH。ほぼ100%の天文学者が、銀河の中心は「SMBHがある特別な場所」だと信じている。ところが、確証がない。SMBHはブラックなので、見えないからだ。天文学者はなんとかしてSMBHを見つけようと半世紀近く奮闘してきた。

 では、どうしたらブラックホールの存在を確認できるだろうか?

 SMBHの質量は太陽質量の100万倍から100億倍もある。ところが、小さい。例えば、太陽質量の1億倍でも、半径は3億kmしかない。太陽系に置いてみると、木星軌道の内側にすっぽり入ってしまう。

 黒くて小さいものを「見る」のに頼りになるのは「重い」ということだけになる。これを頼りにすると、可能な方法は「力学的に見る」ことである。つまり、次の二つの方法である(下の図1の左と中央)。

(A) ブラックホール周辺の星の運動で見る
(B) ブラックホール周辺のガスの運動で見る

 そして、もう一つ、「明るい背景光に浮かぶシルエットとして見る」方法がある(図1右)。

(C) ブラックホール・シャドウを見る

 

拡大図1: 銀河の中心に潜むSMBHを見る三つの方法。(A)2020年のノーベル物理学賞の対象となった研究。(B)日本の研究成果で、観測対象は2400万光年離れた渦巻銀河NGC 4258。(C)昨年国際研究チームが発表。観測対象はおとめ座銀河団にある巨大楕円銀河M 87で、距離は5500万光年。出典:(A)ノーベル財団、(B)中井直正、(C)EHT、国立天文台。


 昨年4月、イベント・ホライズン・テレスコープ(EHT:事象の地平線望遠鏡)のチームが、おとめ座銀河団にある巨大楕円銀河M87の中心にあるSMBH(質量は太陽質量の65億倍)をブラックホール・シャドウとして撮影するのに成功し、大きな話題となった。これについての解説は、『巨大ブラックホールの謎』(本間希樹、講談社ブルーバックス、2017年)や『ついに見えたブラックホール:地球サイズの望遠鏡がつかんだ謎』(谷口義明、丸善出版、2020年)で読むことができる。

 しかし、オーソドックスな方法は「力学的に見る」ことだ。これはブラックホールの周辺にある星やガスの運動を調べ、ブラックホールがなければ説明できないことを示す方法である。今回のノーベル賞受賞者たちは、天の川銀河(銀河系)の中心部にある「いて座A*」と呼ばれる電波源の周りの星々の運動を長期間にわたって観測し、太陽質量の約400万倍の質量を持つSMBHがあることを突き止めた(ただし、受賞理由は「supermassive compact object=非常に重いコンパクト天体」の発見となっており、ブラックホールという言葉は用いられていない)。

 これら二つの成果に先立ち、1990年代初頭に最初に大きな成果をあげたのは、方法(B) による観測だった。それが日本人チームによる研究だったのだ。

 

野辺山で観測したNGC4258銀河の水分子ガス

拡大図2 野辺山宇宙電波観測所の口径45 m電波望遠鏡用に製作された音響光学型スペクトル(AOS = Acousto-Optical Spectrometer)分光器。レーザービームが8本出ており、8連装の巨大分光器であることがわかる=国立天文台提供


 長野県に野辺山宇宙電波観測所がある(1982年開所)。口径45mの大パラボラアンテナは宇宙からの電波(とミリ波)を受信する。これにつけられた分光器(電波を波長ごとに分解して強度を測る装置)が凄かった。非常に広い帯域を一挙に観測できる分光器(8台連装)だったからだ(図2)。この超広帯域分光器は故・海部宣男(元・国立天文台長)が主導して製作したものだ。口径は世界一、そして分光器も世界一。野辺山宇宙電波観測所は一躍、世界の桧舞台に躍り出たのだ。
 開所当時からここに勤務していた中井直正(現・関西学院大学教授)は、この分光器を使って、近くの銀河から放射される水分子ガス(水蒸気のことだが、宇宙空間では密度がきわめて低いのでこう呼ぶのが慣例になっている)の輝線(周波数は22ギガヘルツ)を探していた。水分子から出るこの輝線は、銀河の中心から強く出る場合があることが知られていたからだ。銀河中心にSMBHがあると、ガスなどの物質がそこに落ち込み、その際に解放される重力エネルギーが電磁波やジェットとして放出される「重力発電」という現象が起こる。SMBHによる重力発電で明るく輝いている場所は「活動銀河中心核」と呼ばれていた。

拡大図3: 「りょうけん座」の方向に見える渦巻銀河NGC 4258。(左)可視光、(右)X線=青、赤外線=赤、電波=紫の画像を重ねたもの。右図の2本の渦巻きは、銀河の中心核から噴き出ているジェット=https://en.wikipedia.org/wiki/Messier_106#/media/File:Messier_106_visible_and_infrared_composite.jpg
https://en.wikipedia.org/wiki/Messier_106#/media/File:Messier_106_by_Spitzer.jpg

 この付近にある水分子の運動速度は、銀河本体の運動速度と同じなので、銀河ごとに分光器をチューン(銀河の視線速度に相当する周波数に合わせること)すれば水分子ガスの輝線を受信することはできる。つまり、8台連装のAOS分光器の1台だけチューンすれば事足りる。しかし、中井はいつも8台全て調整して観測に臨んでいた。それが、僥倖をもたらしたのである。

 1992年の春、中井は望遠鏡をNGC4258と呼ばれる渦巻銀河に向けた(図3)。すると、今まで誰も見たことのない、高速で運動する水分子ガスが見つかった(図4)。この成果は中井を筆頭著者とした論文としてNature誌に掲載された(1993年)。

 

電波観測で見つかった「リング」

拡大図4 中井の発見を報じるNRO速報。NROは Nobeyama Radio Observatory の略称。下のスペクトルで(横軸は速度)、中央に見えている強い輝線はそれまで知られていたメイン成分。その両脇に毎秒±1000kmで運動するガスの放射する輝線が見えている。私はたまたま自分の観測があって観測所に行っていた。この速報は食堂の壁に貼られていたものだが、目見て仰天したことを昨日のことのように覚えている=国立天文台提供

はたして、検出された秒速1000 kmもの高速で運動するガスの正体は何だろうか? 実は、最初は中心から二方向に噴き出す「ジェット」だと考えられた(図4のNRO速報の左中央に「中心核からの分子ガスの噴出か?」と中井のメモがある)。ジェットだとしたら、中心核のすぐそばで出ているものだ。従来はかなり離れた場所で観測できるものとされていたので、それだけで十分面白い。
 そこで、中井は当時観測所にいた共同研究者の三好真や井上允らと、超長基線電波干渉計(米国のVLBAと呼ばれる干渉計)を使って、NGC4258の電波撮像観測をすることにした。すると、綺麗な回転する水分子ガスのリングが見つかったのだ(図5)。サイズは極めて小さい。半径わずか0.13パーセク(約0.4光年)しかない。また、驚くべきことにこのリングはジェットではなく、ジェットと垂直な方向で回転運動をしていた。

拡大図5 NGC4258のVLBA観測で明らかになった、水分子ガスのリングのイラスト。下はNROで観測された水分子のスペクトルだが、横軸は周波数である(図1では速度)。リングの左側は我々から遠ざかり、右側は我々に近づいてきている。中段に示してあるチャンネル(Ch)番号は図2に示したAOS分光器の8本のチャンネルに該当する。銀河の視線速度の輝線成分だけを観測するのであれば、中央のCh4のチューンだけでよい。なお、Ch8はバックアップ用のチャンネルである=中井直正提供

 

リングの回転運動から中心部の重さが判明

拡大図6 NGC4258の中心部で発見された水分子ガスのケプラー回転運動。回転速度(縦軸)を銀河中心からの距離(横軸)の関数として示したもの(回転曲線と呼ばれる)。観測データは点、ケプラー回転は実線で示されている=中井直正提供

 さらに、非常に重要な発見があった。水分子ガスのリングはきれいなケプラー回転をしていたのである(図6)。ケプラー回転とは回転速度が中央にある天体からの距離のマイナス1/2乗に比例して減少する回転である。地球などの太陽系惑星が太陽の周りを回るときと同じである。要するに「ケプラーの法則」に従う回転のことだ。
 ケプラー回転の意味するところは深淵である。太陽系惑星が太陽の周りをケプラー回転しているのは、質量の大部分が太陽に集中しているためである。つまり、NGC4258の中心部にある「物体」は非常にコンパクトで重いことを意味する。

 リングの運動から推定されたNGC4258の中心部の質量は太陽質量の4000万倍。また、質量密度は1立方パーセク当たり太陽質量の40億倍を超えることがわかった(1パーセク=3.26光年)。

 球状星団の中心部でも1立方パーセク当たり太陽質量の10万倍程度でしかない。つまり、これほど高密度な星の集団はありえず、ブラックホールとしか考えられない。彼らの成果は三好を筆頭著者とした論文としてNature誌に掲載された(1995年)。その後の詳細な解析で、質量密度は1立方パーセク当たり太陽質量の実に4兆倍を超えることがわかった。この値は尋常な値ではない。

受賞者の成果でSMBHの存在が確実になった
 今回、ノーベル物理学賞を受賞するゲンツェルとゲズの研究成果は1996年、1998年以降に出版されている。つまり、中井らの研究は明らかに彼らの研究より先行していたのである。

 しかし、後発組も最大の努力をした。受賞者たちが観測に使用したのは地上にある光学赤外線望遠鏡である。地上での観測は地球大気の揺らぎの影響を受ける。そのため、大気揺らぎを補正する装置(補償光学と呼ばれる)を導入し、観測の精度を高めたのである。その結果、「いて座A*」にあるコンパクトな天体の質量密度は1立方パーセク当たり太陽質量の5000兆倍にもなることがわかった。また、観測した星々の軌道運動を説明するにはアインシュタインの相対論の効果も考慮しないと説明できないことがわかった。したがって、SMBHの存在は、もう確実である。中井もゲンツェルとゲズの成果に賛辞を惜しまない。

 中井を中心とするチームはその後も、他の複数の渦巻銀河で水分子ガスからの輝線を利用したSMBHの検出を行い、成果をあげ続けている。その中井から聞いた言葉が忘れられない。「海部先生のおかげです」。つまり、口径45mの世界最大の電波望遠鏡があっただけでは駄目だった。海部らが開発した広帯域分光器があってこその大発見だったのだ。 (文中敬称略)

謝辞:貴重な資料と情報を提供していただいた中井直正氏と立松健一氏に深く感謝致します。

 

 

 

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