デジタル庁創設の課題 上
20年先見据えた戦略を
越塚登 東京大学教授
こしづか・のぼる 66年生まれ。東京大博士。専門は計算機科学、IoT、OS、スマートシティーなど
ポイント
○ 電子政府の設計図と「政府OS」が必要に
○ 全ての社会活動でデータ基盤を整備せよ
○ 改革骨抜きや既得権維持の動きに注意を
2020年9月に誕生した菅義偉内閣の看板政策がデジタル庁である。複数の省庁にまたがる情報通信政策を一元化し、政府・自治体や社会全体のデジタル化の推進体制を整えようとしている。年内には基本方針をまとめ、21年度中に設立する方針だ。
9月30日にデジタル改革関連法案準備室が発足。10月12日のデジタル・ガバメント閣僚会議において、デジタル庁を設置する法案やIT(情報技術)基本法の改正案作成、個人情報保護法やマイナンバー法の改正案など通常国会を目指した準備を進めるワーキンググループが発表され、データ戦略策定のタスクフォースも設立された。いずれも年内に基本方針を出すという、今までにないスピードでの検討が進んでいる。
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戦後、情報通信分野は、主に総務省(旧郵政省)と経済産業省(旧通商産業省)に分かれて所管してきた。1997年の橋本龍太郎内閣の行政改革に関する議論で「情報通信省」という構想が浮上したこともあったが、00〜01年にIT基本法の制定、IT戦略本部の設置、e-Japan戦略が成立し、情報通信政策は複数回の改定を経て、新しい法制度を整備して今日に至っている。
我が国では、国家的危機のたびに情報通信のもろさが露呈する。11年の東日本大震災においては、災害情報の周知にITよりもテレビ報道やファクス、防災無線が機能した。一方で新しい動きとしてシビックテック(市民による問題解決)コミュニティーや企業によるデータボランティアが活躍し、日本のオープンデータ元年ともなった。
しかし新型コロナウイルス感染症への対応では、特別定額給付金においてIT活用が不十分であったことが問題視され、政府・自治体におけるIT導入の遅れが顕在化した。近年は産業的にも、半導体産業の衰退、パソコン分野では米マイクロソフトとインテル、クラウドサービスでは巨大IT企業が席巻し、かつてケータイ先進国であった日本は端末の覇権を失うなど、まさにデジタル敗戦である。こうした状況を巻き返すために、新政権の看板政策としてデジタル庁を打ち出したことは、ある種必然的であろう。
デジタル庁に期待されることは、まずは政府・自治体におけるデジタル技術の利活用を進め、行政の効率化、行政サービスの高品質化をスピード感をもって行い、国民の期待に応えることである。政府・自治体は、我が国でも最大級の情報通信システムを備え、膨大なデータを作成・流通・利用する、国内有数の情報サービス事業者ともいえる。データ駆動型経済のメインプレーヤーなのである。さらにいえば、産業や社会の基礎データの作成・運用は、政府の今後の重要な役割の一つである。
こうした巨大組織でのデジタル改革には、全体を俯瞰(ふかん)した「デジタル・ガバメント・アーキテクチャー(設計図)」の確立、さらに行政の基本機能をまとめたプラットフォームシステムとしての「政府OS(基本ソフト)」が必須である。具体的には、行政の基本機能としてマイナンバーの制度とリンクしたデジタルIDやトラスト(相互信用)のフレームワーク、決済機能などを備え、ベースレジストリ(基盤情報)の管理運用を実現しなければならない。
政府OSは政府・自治体だけで閉じたシステムではなく、民間システムや国民各個人が持つスマートフォンなどのシステムと連動できる、オープンなシステムである必要がある。具体的には、技術規格がオープン化・標準化されたインターフェースとデータ連携を通して、連邦型の分散型アーキテクチャーとすることが望ましい。こうした構造は、現状の政府・自治体システムのようなレガシー(古い)システムモデルとは大きく異なる。今は30〜40年先にも通用するプラットフォームへと思い切った転換をすべき時期である。
IT基本法から20年がたち、今ここで同法を改正し、政府・自治体におけるデジタル技術活用だけでなく、情報通信産業や国民生活を含む全てを網羅し、次の20年につながる基本戦略が必要である。その中核はやはりデータ戦略であろう。現在、政府における基本戦略として最重要の課題が、データ戦略の策定と、それに基づくデータ関連施策であるのは当然だ。
まず、行政機関などの権限ある組織が管理し、多くの社会活動から参照される情報を、標準化されたデータである「ベースレジストリ」として整備することである。これが先進各国では社会の基盤情報、あるいは産業競争力の基盤となる。また、それを実際に提供するプラットフォームとして政府OSを整備することが不可欠なのである。
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次に、データに関する基盤・制度整備も急速に進める必要がある。例えば、データのコントロール権といった基本的な法体系の確立、パーソナルデータの利活用とプライバシー保護の両立のための法制度改革、データの信頼性と品質を担保する枠組み、データ独占などに伴う不正競争の排除、データ市場やデータ取引・契約環境の整備、災害時などの非常事態におけるデータの取扱規定の整備など、課題は山積している。デジタル庁にはこれらをリードする司令塔として重大な役割が期待される。
データ戦略の中で、最も重要なことは国規模のデータプラットフォームとしての「分野間データ連携基盤」の確立である。日本では、データ流通の基本機能としてのデータのファインダビリティー、「日本のどこに何のデータがあるのか」すら得られていない。すでに、分野ごとにはデータ基盤整備が始まっている。産学官でデータの包括的な利活用を進める組織「dataex.jp」は、これらの分野ごとのデータ基盤を連携していく計画だ。
政府のデジタル化では、平井卓也デジタル改革相が言うように「国民が誰一人取り残されない」こと、デジタルによるサービスを100%享受できなければならない。従って、国民が負担に感じず使えるユーザーエクスペリエンス(顧客体験)の整備、さらに高齢者や障害者のアクセシビリティー(利用可能性)の基準なども必要である。
デジタルデバイド(情報格差)の解消のためには、デジタル技術をガイド、トレーニングする支援体制の確立も重要だ。これまでもオープンデータ伝道師といった成功事例もあり、これらの経験をうまく取り入れること、またシビックテックコミュニティーとの連携も不可欠だ。
デジタル改革を進める上では、既存の制度の創造的破壊など、ある程度の痛みを伴うものとなろう。改革の骨抜き化やレガシーを守るための囲い込み、不公正な取り組みが少しでも顕在化すれば、断固として戦う必要がある。我が国にはもうそれを許容する余裕はない。我々は、官民一体となって、デジタル改革を断行しなければならない。
デジタル庁創設の課題 下
問題解決の実行計画を
田中秀明 明治大学教授/廉宗淳 明治大学兼任講師
たなか・ひであき 60年生まれ。東京工業大院修了。政策研究大学院大博士(政策研究)
James J. Youm 62年生まれ。佐賀大博士。イーコーポレーションドットジェーピー社長
ポイント
○ 行政IT化は計画ばかりで実施が進まず
○ 韓国は専門家重用とシステム統合で成功
○ 公務員の人事と文化を根本から改革せよ
菅義偉内閣はデジタル庁の新設を掲げた。その姿勢は評価するが、組織をつくっても機能するとは限らない。IT(情報技術)戦略は歴代の政権が重要課題として取り組んできたが、成果は芳しくない。問題の根源と課題を考える。
政府は2000年のIT基本法を出発点として様々な戦略や計画を作り、マイナンバー法など法令も整備してきた。20年の国連の世界電子政府ランキングでは日本は14位だが、人口規模も考えればそれほど遅れてはいない。しかし行政のオンライン利用率では先進諸国中最低であり、国民は便利さを実感していない。
第1の理由としては、戦略や施策の評価、問題と原因の分析がないことが挙げられる。安倍晋三内閣の「世界最先端IT国家創造宣言」など計画ばかりである。重要成果指標(KPI)による目標設定と評価はあるが、その数は20年時点で223もあり、研修回数などプロセス中心で「重要」とはほど遠い。例えば、行政の窓口に来る者を半減させるKPIが必要だ。
第2はシステム化の問題だ。システムに合わせて業務や法手続きを見直すことが前提となるが、行政では現在の業務をそのままシステム化しようとする。システムは間違いを見つけて改善していくものだが、これは無謬(むびゅう)性を重視する行政文化に反する。
18年度の政府資料によると、法令に基づく手続きは約5万6千あり、種類ベースで12%、件数ベースで77%電子化されているという。利用頻度が低い手続きまで電子化する必要はないが、途中で窓口に行く必要や関係書類を添付できない、事務処理は手作業など問題が山積している。減ったとはいえ、統合運用されていない省庁の情報システムはまだ約800もある。国と地方のシステムは異なり、地方も自治体別だ。連携しようとしているが、標準化などに時間がかかる。
第3に組織の問題である。13年の法改正により、電子政府推進の司令塔として内閣情報通信政策監(政府CIO)が設置された。一歩前進だが、権限は総合調整にすぎず、省庁の縦割りを打破できない。政府CIO室は公務員と民間からの出向者で構成されるが、省庁からの出向者が中心で、2年程度で代わる。専門性が軽視されキャリアが発展しない。情報化により透明性を高め、社会を変えるという発想も乏しい。政治がIT化を言うなら、膨大な紙とファクスを使う国会を電子化し、行政文書の保存を徹底すべきだろう。
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電子政府については行政制度が類似する韓国が参考になる。韓国は20年前に日本を見習って電子政府戦略を立てたが、日本を抜いて世界電子政府ランキングで1位になった。1997年の経済危機を契機として、大統領が国家大改革としてIT化を推進したことが出発点である。情報通信相にサムスングループの社長(博士号を所有)を起用するなど適材適所の人事が推進力になった。また、推進母体となる電子政府推進委員会では各省の大臣・次官それぞれに民間専門家を配置し、チームを作らせた。
縦割りを打破するため行政組織も改革した。新たに司令塔として設置された情報通信省は改編され、現在は、電子政府を推進する行政安全省と情報通信産業を育成する科学技術情報通信省が司令塔である。行政安全部は地方行政も所管するため、一体的に電子化を推進できる。通信省は、電子政府のための技術開発や業者の育成も担う。
各省と連携しながら具体的なITプロジェクトを管理する情報化振興院(院長は次官級)が重要である。IT化計画の調整、関連予算の査定(財務省と共同)、情報システム監査などを行う。省庁のプロジェクトの中止を命令できるなど、強力な権限を有する。
従来、韓国も省庁別にシステムが構築されていたが、今では、国家情報資源管理院が約1500に上る省庁の情報システムを統合管理し、セキュリティー対策も一体的に行う。
地方自治体の行政システムは地域情報開発院が開発し、自治体のほとんどの情報システムをクラウドに置き共同利用している。この結果、各自治体は、セキュリティーを含めIT業務から解放されている。さらに行政情報共同利用センターは、各省庁・自治体や民間機関など約700以上のシステムをつなげ情報連携を担う。国民に各種証明書の提出を求めずに、関連情報を交換できる。
こうした関連組織には、ITのみならず、法律や医療など各分野の博士号を有する職員が多数配置されている。情報化振興院の職員の大半は博士だ。韓国は公務員制度改革により、幹部ポストの2割は官民公募、3割は政府内公募で採用する必要があり、専門性や能力による選抜が行われている。一般公務員であっても、ITを含め専門的なスキルを磨かないと出世できない。局長でも博士号を有する者が多い。
電子政府ポータルサイトでは国民が必要とされるサービスが提供される。公的個人認証書を使うと、転出・転入はもとより就学児童の転校手続きなど、約30種類の手続きが1回で処理できる。05年に国・地方を含め年間4.5億枚以上発行していたとされる各種証明書は、15年には1.5億枚まで減った。自宅でも偽変造防止付きの証明書を印刷できることから、行政の窓口に訪れる住民は減少し、行政は住民との対話が必要な業務に特化している。
子どもが生まれると、国・地方を合わせて受けられる手当・サービスがポータルサイトで紹介される。韓国でも各種手当は所得制限付きが多いが、窓口で低所得を説明する必要はなく、ウェブでクリックするだけである。プッシュ型社会保障だ。医療保険の診療報酬請求は住民登録番号とひも付けられているため、ITで診療報酬をチェックし、保険財政を効率化できる。
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デジタル庁設置に当たり、人員の拡充と権限の強化が必要であるが、先に述べたようなIT化を阻む問題を克服し、公務員の人事・文化を変えない限り成功しないだろう。公募なども活用して専門家を登用・育成していく必要がある。行政や法律、各分野の専門家がチームとなって取り組むことも必要だ。
お題目のような計画ではなく、問題を解決する優先順位を明確にした計画を立てる必要がある。重複投資の是正や効率化の観点からシステムの統合や全国を対象とする自治体共通クラウドが重要だ。また紙の申請は段階的に廃止すべきだ。
電子政府に成功している国には共通点がある。強い政治的指導力、国・地方の共通インフラ、司令塔と専門性を持つ職員。コロナ禍を機に、日本の政治・行政が変われるかが問われている。