(耕論)
野党はどうすれば… 鹿島茂さん、プリティ長嶋さん、能町みね子さん
1年以内に衆院選がある中、野党の苦戦が続いている。高支持率で発進した菅政権に対し、合流新党の立憲民主党をはじめ、支持率は低空飛行のままだ。どうすればいいのか。
■生活と政権選択、つないで 鹿島茂さん(仏文学者)
私は横浜のはずれで育った貧乏酒屋の息子ですが、小学生の頃、父親は口癖のように「政府はダメだ」とこぼしていました。ところがいざ選挙になると、決まって自民党に投票していたのです。「政府はダメだ」と言いつつ、結局は政権与党に投票する――。それが大衆の原像なのです。
私が以前翻訳したフランスの思想家ミシェル・フーコーに「権力への民衆の愛」という言葉がありました。大衆が権力に引き寄せられるのは、利権にあずかれるという側面もありますが、それだけではありません。大衆は権力そのものが好きなのです。大衆にとって自民党、立憲民主党といった区別はあまり重要ではありません。べつに自民党を愛しているわけではないのです。自民党は権力の代行者、昔風にいえば輔弼(ほひつ)者に過ぎず、権力は遠い所にあると感じるからこそ愛せるのです。
そんな大衆心理を野党はもっと考える必要があります。
例えば東京23区の選挙結果を見ると、平均年収が高いとされる世田谷区、港区などは旧民主党や立憲民主党の得票率が比較的高く、低いとされる下町などは自民党の得票率が高い傾向が見られます。つまり、所得が低い人ほど自民党に投票していると言えます。こうした現象は、低所得者であれば左派政党に投票するヨーロッパでは有り得ないことですが、米国ではトランプ現象となって表れています。日本も新自由主義で米国型になっているようです。
なぜこんなことが起きるのか。それは、「政治」と「日々の生活」という二つが頭の中で直結していないからです。権力は生活と切り離された所にある。この二つを直結させる回路を野党は作って、権力の座は変わりうる、政権交代があれば生活も変わると思わせなければなりません。
私が野党の党首なら、次の総選挙では消費税廃止に加えて、物品税の復活を公約します。消費税導入前の間接税だった物品税は個別商品ごとに税率が異なり、ぜいたく品ほど高い税率でした。たとえば高級車なら23%。1億円のフェラーリを買えば物品税は2300万円です。もちろん税制的観点からいえば、少数の富裕層から多額の税金を取るより、大衆から広く徴税するほうが税収は多いかもしれない。しかし私が言いたいのは「政治的なアナウンス効果を計算せよ」ということです。
1億円の高級車を買う人は、物品税込みで1億2300万円でも買うでしょう。しかし低所得層にとって、千円の品物が1100円になる消費税は家計を圧迫します。
立憲民主党は時限的な消費減税に前向きですが、中途半端です。よほど劇的な政策を打ち出さない限り、権力を愛する大衆の心はつかめないと知るべきです。(聞き手・稲垣直人)
かしましげる 1949年生まれ。元明治大教授。近著「本当は偉大だった嫌われ者リーダー論」など多彩な分野を扱う著書多数。
■エース不在、理想も見えず プリティ長嶋さん(千葉県議会議員)
私は千葉県議会で、自民党系にも立憲民主党のような野党系にも属さず、無所属の議員として政治活動を続けています。その立場で国政での野党を見ると、もどかしさを禁じ得ません。
野党の支持率はなぜ低いのか。まず野球のチームにたとえれば、4番打者とエースが不在です。立憲の幹部は旧民主党政権の時とほぼ同じ。これでは、惨敗したチームのレギュラーやスタメンが一向に変わらないようなものです。たとえチーム名を変えても、試合には到底勝てない。人気が出ないのは当然です。
一方の自民党は、河野太郎行革担当相、小泉進次郎環境相と、メディアもよく取り上げる若手がいます。次世代の4番打者、エース候補を野党も早急に育てるべきです。
国民への訴えも響きません。そこで思い出すのは、高視聴率だったドラマ「半沢直樹」。半沢が銀行を悪用する大物政治家に迫るシーンは、現職議員の私にも響きました。「あなたの役割は国民への奉仕だ」と言う半沢に、大物政治家は「理想と現実は違う」とうそぶきます。
国民の多くが支持するのは、大物政治家ではなく、理想を求める半沢でしょう。ならば、自民党と対峙(たいじ)する野党は、たとえ青臭くとも半沢のように理想をとことん追求し、その理想を国民に訴えるべきです。ところが、野党の追求する理想というものが、私には見えません。
実は民主党政権の時、私が最も期待していたのは、3人目の首相を務めた野田佳彦さんでした。野田さんはかつて千葉県議を務めました。私の先輩です。
県議会では、知事や部長といった県執行部が「政府」です。その「政府」に対し、たとえ与党の会派の議員でも、野党的な立場で県の方針をただします。県議時代の野田さんの質疑は、原稿は一切なく、よどみなく理路整然と議論を展開し、「伝説の男」と呼ばれていました。
しかし、首相としての野田さんは、消費増税などで国民に説得力のある説明ができたでしょうか。私には「伝説の男」の面影は見られませんでした。夏の甲子園の優勝校のエースが、プロになったとたん、打たれまくっている場面を見るような思いでした。
なぜ、あんなことになったのでしょう。国政も県政も、基本的には変わらないはず。変わったのは、野党から政権与党になったことでした。
安倍政権の政策を批判し、スキャンダルを追及してきた野党が、いつか政権与党に攻守交代したとき、政策を立案して実行し、国民に説明責任を尽くすといった姿勢を貫けるでしょうか。野党となった自民党の攻撃をかわす守備は万全でしょうか。有権者は、そうした部分も見ていると思います。(聞き手・稲垣直人)
プリティながしま 1954年生まれ。長嶋茂雄氏のものまねタレントとして活躍後、千葉県市川市議を経て県議に。現在3期目。
■ゆるふわ社会でも、地道に 能町みね子さん(文筆家)
私自身、全然自民党は支持していないんですけど、積極的に応援したい野党や政治家が見つかりません。野党が合流したと言われても、特別魅力的には見えないです。「やっとまとまりましたか」って程度で、支持率も低いまま。ほんの数年前、枝野幸男さんがすごい人気だっただけに、逆にその頃とのギャップが目立ってしまいますね。
なぜだめなのか。背景に、「ゆるふわ化」と私が勝手に呼んでいる現象があると思います。たとえば政治家についても、首相になった菅義偉さんがパンケーキが好きといったパーソナルな面ばかりが強調されていますよね。
2017年に自民党の今井絵理子参院議員が「批判なき政治をめざす」と発言したように、批判をいじめやけんかのようにとらえてしまう流れもそうだと思います。最初は驚きましたが、彼女たちは、政治においても、批判をしないことが本当に正義だと思っているようです。怒ったり、何かに激しく反対したりするのはやめて、みんなで仲良くやりましょうよと本気で言っていたんでしょう。
なので、菅さんを批判すると「菅さんのような可愛い人をいじめるのはけしからん」「みんなで仲良く日本をよくすればいいじゃない」というのです。この「ゆるふわ化」は日本のあらゆる面で起きていて、政治もからめ取られているのではないかと思います。
「ゆるふわ化」と並ぶもう一つの流れが「ぶっちゃけ」です。なんでもぶっちゃけて、明らかにしてしまうのが正義ということです。どうも米国で(大統領の)トランプさんが出てきてから、なおさら強まった気がします。
「ぶっちゃけ」が正義になれば、政治家の悪事も明らかにしていくぞ、という方向に行きそうなものですが、そうはならない。何でもぶっちゃけて本音を言うのが正義だから、「政治家なんてみんな悪いことをしているんだから、細かいことを言うなよ」という方向にどんどん行っているような気がします。
そんな二つの流れがあって、野党にとって厳しいことになっているのではないでしょうか。野党が対抗してゆるふわ化しても、自民党や菅さんにかなわないし、どんどん格好悪くなる一方でしょう。
反対ばかりしているええ格好しいといった印象が強く、一気に支持を集める方法は見当たりません。野党の政策がニュースになることも少ないですが、フェミニズムに関する事件など、野党側からの働きかけがちゃんと実を結んでいることもあります。即効性はなくても、「日本をこうしたい」ということを伝える努力を続けるしかないと思います。自民党は良くも悪くも、それが分かりやすく見えていますから。(聞き手・池田伸壹)
のうまちみねこ 1979年生まれ。雑誌、ラジオ、テレビで活躍中。最新刊「そのへんをどのように受け止めてらっしゃるか」。