経済教室

 

富裕層の過剰貯蓄、是正急げ コロナ禍で拡大する格差

 

 

アティフ・ミアン プリンストン大学教授


ポイント

○ 富裕層の貯蓄は市民への貸し出しに回る

○ 借り入れ需要の創出のため金利低下続く

○ 政府支出増加は最富裕層への税金で賄え

 

有機体から生態系さらには宇宙に至るまで、どんなものも存続するにはバランスが重要だと科学者は強調する。例えばどんな生命体も、ホメオスタシス(恒常性)を通じて体温が常時適切に調整されていないと生き残れない。太陽系は、恒星や惑星間の引き合う力が完全にバランスがとれていないと崩壊してしまう。人類という種にしても、生命の維持を動植物に依存しており、バランスのとれた生態系の存在が欠かせない。

経済も、満足な生活を送るには誰もが他の誰かに依存するという点で生態系に似ている。例えば労働者は、労働の成果を買ってくれる消費者を必要とする。消費者は自分自身に十分な収入がなければ買うことはできない。このように経済全体の健康状態は、需要と供給のバランスのとれた相互依存関係の上に成り立つ。

だが極端な不平等が生じると、需要と供給のバランスが危うくなる。一例を挙げれば、経済の不平等化が進み、生産の大半を人口のごく一部が生み出すようになったとしよう。このプロセスが進んである時点に達すると、一握りの富裕層が生産に占める割合が大きくなりすぎて、残りの人々は富裕層が生産したものを買おうにも購買力がなくなってしまう。この場合、経済は「過少需要」状態になり、政府支出など外部からの支援のない限り、深刻な景気後退に陥る危険がある。

 

◇   ◇

データをみる限り、米国はこうした状況に直面していると考えられる。米国の税引き後所得合計に占める最上位1%の割合は、1980年には9%だったのが、近年では15%に達している。富裕層は所得に占める貯蓄の比率が高いことがわかっており、所得格差が拡大すれば最上位1%の貯蓄は大幅に増える。

筆者は米ハーバード大学のルードウィヒ・シュトラウブ氏と米シカゴ大学のアミール・サフィ氏との共同研究で、最上位1%の貯蓄増加が過去35年間平均して国内総生産(GDP)比3%に達していることを突き止めた。この「富裕層の過剰貯蓄」の規模からすると、毎年6300億ドル相当が金融システムに追加的に流入している計算になる。これはスウェーデン経済の規模にほぼ相当する。

富裕層の過剰貯蓄をイメージするため、今日の米国で最も富裕な一人であるアマゾン・ドット・コム創業者のジェフ・ベゾス氏の例で考えてみよう。ベゾス氏の資産は1450億ドル程度と推定される。この資産を運用して年5%のリターンが得られるとしたら、資産を一銭も減らさずに毎日2千万ドル使うことが可能だ。この金額は、米国の中位個人所得の約21万倍に相当する。ベゾス氏の日々の支出は平均的な米国人より多いにしても、約21万倍ということはあるまい。となれば所得のかなりの部分を貯蓄に回しているはずだ。

問題は、ベゾス氏のような金満家たちが毎年スウェーデンの経済規模に匹敵するほど貯蓄を増やす結果として、その追加的な貯蓄はどこかに行かなければならないことだ。伝統的な考え方では、貯蓄が増えればより多くの投資に回るのでよいこととされてきた。だが富裕層の貯蓄が増えても米国の投資は増えていない。それどころか、米国のGDPに占める投資の比率は80年から低下基調にある。では、富裕層の過剰貯蓄は一体何に使われているのか。

銀行、クレジットカード会社、住宅ローン会社により貸し出され、普通の市民の消費に回されているというのが答えだ。デパートでしきりにクレジットカード申し込みを勧誘されたり、銀行が盛んに住宅ローンを勧めたりするのは、富裕層の過剰貯蓄で説明がつく。

米国では最上位1%が総所得に占める比率が高まるにつれて、それ以外の層の債務水準が上昇している。つまり所得格差の拡大は経済の「金融化」を伴ってきた。例えば家計の債務合計は80年以降にGDP比で2倍以上になっている(図参照)。ここ数十年は、政府の財政赤字も富裕層の貯蓄でファイナンス(資金繰り)されるようになった。

要するに、政府や富裕層以外の家計の債務の大幅増は、富裕層の貯蓄で手当てされてきたということだ。不平等を巡る議論ではこの関係性はとかく見落とされがちだが、富裕層による行き過ぎた富の蓄積は、それ以外の層の債務水準の急上昇に直結するのである。

問題は、格差が拡大した経済システムでは不均衡が生じ、最富裕層の貯蓄が大幅に増えるので、それを誰かが借りて消費に回し、総需要を増やさねばならないことだ。借金頼みで経済を維持することになるが、それで何事もなく済むはずがない。非富裕層が借り続ければ債務返済コストが膨れ上がり、金融システムをまひさせかねない。現に08年の世界金融危機の主因は、借り入れ依存度の高い借り手が住宅ローンの債務不履行を起こし、支出を大幅に切り詰めたことにある。

借金マシンを回し続け、どんどん積み上がる過剰貯蓄を毎年吸収するための唯一の方法は、金利が下がることだ。米国ではまさにそうなった。10年物米国債利回りは82年には10%を超えていたが、今日では1%を下回っている。このプロセスはいわば「借金に裏付けられた需要」である。

借金マシンはいずれは停止する。永遠に借り続けることはできないし、金利も永遠に下がり続けることはできない。自然はバランスのとれていないシステムにはやさしくない。米経済も例外ではない。債務水準が高くなりすぎて、金利がゼロに近づくと、経済は債務からいつまでも抜け出せない債務のわなに落ち込み、超低金利のまま停滞する。

 

◇   ◇

停滞は新型コロナウイルスの感染拡大の前から明らかだったが、パンデミック(世界的流行)により不平等ひいては不均衡が深刻化し、事態は一段と悪化した。低所得層がとりわけ重大な影響を受ける一方で、富裕層の貯蓄率はさらに上がっている。というのもパンデミックのせいで休暇や旅行や娯楽への支出が減ったからだ。これでは経済はさらに深く債務のわなにはまり込みかねない。

よってこの流れを逆転させることが必要だ。政府は危機に対応して積極的に支出すべきだが、その支出は所得分布の最上位層以外に向けたものでなければならない。これに劣らず重要なのは、政府支出の増加分は最終的には最富裕層に課す税金で賄うことだ。累進性の極めて強い所得税や資産税の導入を検討すべき時が来ている。それが債務のわなの進行を止める唯一の方法と考えられる。

これまで所得格差の拡大が引き起こす不均衡は野放しにされてきた。だが新型コロナ危機は、米経済がいかに病んでいるかを暴き出した。甚だしい不平等は公正を欠くだけでなく、米国全体の潜在的経済力を損ねることになる。

経済政策は新型コロナ危機への対応にとどまらず、不平等拡大の根本にある構造問題に取り組まなければならない。それが、米経済が持続可能な健康体を取り戻す最善の道である。

 

 

 

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