時論・創論・複眼

 

 

民主VS強権 東欧の今(複眼)

 

エドガルス・リンケービッチ氏/コンスタンチン・ザトゥーリン氏/ヤロスラフ・ロマンチュク氏

 

 

冷戦終結に伴う東欧革命から30年あまりを経て、旧ソ連のベラルーシで民主化を求める市民の抗議運動が続いている。「欧州最後の独裁者」とも呼ばれるルカシェンコ大統領の退陣につながるのか。強権的体制と民主主義陣営の対立の側面もあるベラルーシ情勢の行方を3人の識者に聞いた。

 

 

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■忍耐とバランスが肝要 ラトビア外相 エドガルス・リンケービッチ氏

 

Edgars Rinkevics 国防省高官などを経て2011年から現職。安全保障の専門家として知られ、NATO・EUの最前線でロシアおよびベラルーシに対峙する。写真は同国外務省提供。

欧州連合(EU)は8月のベラルーシ大統領選で「不正があった」と非常に強いメッセージを発した。選挙後の抗議運動に対する暴力は、受け入れられない。ベラルーシの隣国としてラトビアは選挙の結果を認めないし、新しい選挙の実施を求めていく。

ベラルーシのひとたちが自らの手で自らの将来を決めるべきだ。国際的な監視のもとでの自由で公正な選挙ならば、結果が親ロシア政権になったとしても受け入れる。ウクライナと異なり、そもそもベラルーシではロシアとのつながりを重んじる人たちが多い。

(当選を宣言して)ルカシェンコ氏が大統領に居座り続けるのはおかしい。時間を稼いで抗議が収まるのを待ち、政権を延命させようと試みている。同氏は北大西洋条約機構(NATO)の脅威を指摘するが、これは的外れ。「(NATOと対峙して)ロシアを守っていますよ」とロシアのプーチン大統領に言いたいだけだろう。ロシアはそれを見抜いていると信じたい。

(民主主義のとりでになるはずの)欧州の足並みが乱れているという指摘は正しい。だがEUは英国の離脱などを経たうえで、結束は以前より強まったと思う。一方、NATOには国防費を少なくとも国内総生産(GDP)の2%にするという目標を満たしていない国がある。ラトビアはきちんとクリアしており、負担は公平であるべきだと思う。

ただNATO内の意見対立は過去にもあった。(独仏が米国主導の軍事介入を批判した)2003年のイラク戦争などを思い出してほしい。足元では米独、フランスとトルコのすれ違いがあるが、亀裂が全体を崩壊させることにはならない。通常の政治対話で関係は修復できる。

「NATOの代わりに『欧州軍』を創設すればいい」。そんな声もあるが、私は懐疑的だ。まず各国議会が軍をコントロールする権利を手放すのか、共通装備をどうするのかという問題がある。GDPの2%分すら国防費を出さない国があるのに、欧州だけで軍を組織できるのか。しかも(米国を締め出す形になるため欧州に駐留する)米軍が減ってしまう。いまは大西洋同盟を強くすべきで、欧米の橋を壊すタイミングではない。

ロシアや中国など(強権国家への対処策)に安易な解はない。対ロシアでは忍耐がいる。ウクライナやシリア情勢を巡って対話を続ける一方、厳しい制裁も科すというやり方を続けるしかない。

中国はグローバルな問題に関心を持つようになってきた。ラトビアは中国と中・東欧などの首脳が定期対話する「17プラス1」のメンバーなので経済協力はするが、人権や自由などを犠牲にするつもりはない。

EUは中国はパートナーである一方、競争相手だと指摘する。自由貿易や国際機関では連携し、香港情勢や南シナ海の懸案はきちんと取り上げる。つまりバランスが肝要だ。世界で生き残るのは民主主義と市場経済の組み合わせしかないと信じている。

 

 

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■公正な選挙、信頼に必須 CIS諸国研究所長(ロシア) コンスタンチン・ザトゥーリン氏

 

Konstantin Zatulin 1996年、旧ソ連圏を研究する独立国家共同体(CIS)諸国研究所設立。ロシア下院のCIS問題委員会第1副委員長。政権の旧ソ連外交に影響力。

世界には多くの強権的指導者がいるが、8月9日投票のベラルーシ大統領選でのルカシェンコ氏ほど厳しい手段に訴えた例は少ないだろう。有力な対立候補を拘置所行きや出国に追い込み、ロシアすら監視団を送らず、投票には透明性が欠けていた。公正だったと信じる人は少ない。

拘留された夫に代わって出馬した主婦のチハノフスカヤ氏に一票を投じた有権者が多かったのは、ただ同氏がルカシェンコ氏ではないという理由だった。まずは多くの若者が抗議運動に立ち上がった。若い世代はインターネットを駆使し、海外に出て自国とは違う状況を目にしていた。

国民の多くはルカシェンコ氏が大統領に正当に選ばれたとは認めていないが、情勢のこれ以上の不安定化や大混乱は避けなければならない。

移行期間が必要だ。現政権はまず危機打開の明確な計画を提案すべきだ。ルカシェンコ氏は憲法改革を表明したが、ベラルーシに影響力を持つロシアのプーチン大統領も、新憲法に基づく議会選と大統領選の実施を促している。

憲法改革では政府と議会の権力配分の見直しも議論できるが、重要なのは新憲法を機に公正な大統領選を行い、選挙制度への国民の信頼を取り戻すことだろう。ロシアはこうした提案なしに、ルカシェンコ氏が権力の座にとどまるのは難しいと見ている。

ベラルーシの抗議運動は2014年に親欧米派の政変が起きたウクライナとは異なり、欧州かロシアかという選択ではない。ベラルーシの東西地域に亀裂が生まれたわけでもない。ベラルーシはロシアの同盟国で、農産物輸出の90%がロシア向けだ。ベラルーシの方がロシアとの相互関係でより利益を得ている。

確かにベラルーシの反体制派には親欧米派が少なくないが、ウクライナのように親欧米に転じればどうなるだろうか。ウクライナは領土の一体性も、ロシアとの経済的結びつきも失ったが、欧米との協力では補償されなかった。

欧米はベラルーシ問題で仲介しようとしているが、ウクライナの政変のことを思い出してほしい。欧米はロシアとともに大統領選の前倒し実施などによる危機打開を保証したが、結局は自ら拒否し、政変を支持した。欧米は仲介者としての資格を失った。

「次の(大規模な抗議デモの)標的はプーチン氏だ」とルカシェンコ氏自身が示唆しているが、ベラルーシとロシアの状況は異なる。プーチン氏も20年以上、政権を率いているが、経済や国際的影響力、ロシアの尊厳を取り戻した。プーチン氏はルカシェンコ氏ではない。

自国民である抗議運動の参加者を「クマネズミ」と呼ぶような粗暴な態度は、プーチン氏もソ連のスターリンやレーニンも取らなかった。自分が国民の裁判官で、その権利を持つと考えている。

ルカシェンコ氏は有望な政治家もすべて排除してきた。知的さは備えず、他人の言葉を聞こうとしない。自分がどう思われているかについても関心を失っている。現実感を失ってしまった。

 

 

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■独裁的体制の限界示す ミーゼス科学研究センター所長(ベラルーシ) ヤロスラフ・ロマンチュク氏

 

Jaroslav Romanchuk ベラルーシを代表する改革派の経済学者。2010年大統領選に立候補。02年からベラルーシ経済などを研究するミーゼス科学研究センター所長。

ベラルーシの抗議運動は親ロシアか親欧米かの選択を迫っているのではない。自由化への改革の要求でもない。ただ、公正さと自尊心という人間の価値のための闘いだ。

ルカシェンコ大統領が80%を得票したという発表は全く嘘で、政権に近い人々も「得票率が55%だったと発表していれば、抗議デモは小さくてすんだ」と話している。

東欧革命から約30年たち、ベラルーシ国民も目覚めたようだ。大統領選での不正行為に加え、新型コロナウイルスへの無策や大統領選の有力候補の拘束も、人々を「革命」に向かわせた。ルカシェンコ氏は主婦という楽な対戦相手を選び、女性を侮辱した。

抗議運動が平和的なのは、人々が権力を要求していないからだ。白い服の女性たちが花を手に団結したのは、政権にとって衝撃だった。治安部隊もどうすることもできなかった。国民は新たな公正な選挙と暴力の停止、政治犯の釈放だけを求めている。

背景には経済の低迷がある。ルカシェンコ氏は25年を超す強権的な統治で民主化や市場経済を拒み、ソ連型の計画経済を復活させようとした。国家部門は国内総生産(GDP)の約80%を占め、最高経営責任者(CEO)のルカシェンコ氏が支配する。2010年以降の経済成長率は平均0.9%以下で、対外債務は8倍に増えた。

今後の抗議運動では経済的、社会的な要求も加わってくる。だが、ルカシェンコ氏は信用を失い、提案できることはない。抗議運動に直面するという緊張状態の中で、1〜2年を超えて政権を維持することは不可能だ。

ルカシェンコ氏は国民投票による憲法改革を提案しているが、信用されていない。大統領に権限を集中した1996年の国民投票以来、国民を欺き続けてきた。憲法改革で権力を共有するという彼の言葉は信じられていない。

ルカシェンコ氏は「欧州最後の独裁者」と呼ばれるが、ソ連型の独裁者という特質を備える。ロシアのプーチン大統領らとは異なり、彼はスターリン主義的な強権的な国家統治やマルクス主義的な社会主義経済を否定していない。ルカシェンコ氏にとって、理想的な見本は中国だ。

才能のある話者でもある。90年代半ばから偽りの情報を巧みに利用し、すべての人にすべてを約束した。ポピュリズム(大衆迎合主義)を確立した。社会秩序が保たれ、ロシアやウクライナのような新興財閥の汚職や不平等はないと国民に訴えた。

ロシアも操り、石油や天然ガス、軍事支援を受け取ってきた。1999年に創設条約に調印したロシアとの「連合国家」も、プーチン大統領に期待を抱かせながら、約20年間も実現を避けてきた。

冷戦崩壊後の90年代初め、多くの国々では自由民主主義や市場経済が現れ、新興国や福祉国家となった。個人の所有権、政治的競争、独立した司法が作られたが、我々の国ではできなかった。経済の指導的地位は民主化を阻む人々が占めた。その結果が、いまのベラルーシだ。

 

 

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<アンカー>平和的デモの強さ問われる

3人の識者はベラルーシの抗議デモが親ロシアと親欧米の間の選択ではないとの見方で一致するが、同時に、欧米の民主主義陣営と中ロなど強権的体制の地政学的争いの側面を持つことも否定しない。

「欧州最後の独裁者」。2005年、ベラルーシのルカシェンコ大統領をこう呼んだのは米国のライス国務長官(当時)だった。背景には強権的統治に加え、対ロ接近へのいらだちがあった。それから15年、今度は国民自身が「独裁者」の退陣と民主化を求めて立ち上がった。

毎週末の大規模デモは、とても平和的だ。激情に駆られた民衆が殺到した1989年のベルリンの壁崩壊や、過激化した人々が治安部隊と武力衝突した14年のウクライナ政変とは違うようだ。そうしたデモが強権体制の交代を導けるのか、強さと限界も注目される。

 

 

 

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