論座

 

「権力者と同じ思考」で働く政治記者たち〜菅政権発足の新聞報道を見て

 

戦前や戦中に活躍した言論人・清沢洌氏の伝えたかったこと

 

高田昌幸 東京都市大学メディア情報学部教授、ジャーナリスト

 

 「令和おじさん」と持ち上げられた菅義偉氏が首相に就任し、菅内閣が発足した。

 それに関する報道は、マスコミの長き“伝統”に則ったスタイルだった。人事や派閥の意向などによって、何か新しい大きなことが起きるかのような報道である。そして、新政権が発足すると、“新聞の伝統様式”に従って新閣僚の顔ぶれが似顔絵付きで各紙に載った。

 旧態依然としたこれらの報道にどんな問題が潜んでいるのか。戦前の新聞批判も交えながら、この間の報道を振り返ると――。

自民党総裁選の結果を伝える2020年9月15日朝刊の朝日新聞1面

 

 

菅政権誕生 各紙は同じような紙面

 

自民党の総裁選で菅氏が新たな総裁に決まった9月14日。当然のことながら、翌日の15日朝刊は、各新聞とも大展開でこれを報じた。朝日、毎日、読売、毎日の各紙1面見出しを並べてみよう。

「自民総裁に菅氏 岸田・石破氏に圧勝 得票7割 あす首相選出」

「自民総裁に菅氏 党要職 派閥で分け合う 二階・森山氏再任 政調会長に下村氏」

「自民総裁に菅氏 得票7割超 337票 あす新首相に選出」

「菅氏 新総裁 安倍政治 異論なき継承 あす首相氏名へ」

さて、どれが読売でどれが朝日か。見出しで判断がつくだろうか。答えは上から順に、読売、朝日、毎日、東京である。

 次は各紙の2面と3面だ。大きな出来事があった場合、新聞はここで背景や問題点などを展開する。各紙の特徴が色濃く出るページと言ってよい。

 では、同じ日の各紙見出しを見てみよう。ただし、記事の本数も多いので主たる見出しに限定して再掲する。

「菅氏 圧勝で自信 無派閥 党内基盤に弱さ」「岸田氏2位確保 石破陣営落胆広がる」

「圧勝の裏 うごめく派閥」「菅カラーどう打ち出す デジタル庁・携帯値下げに意欲」

「『完勝』菅氏 人事試練 支持5派閥 優遇迫る」「解散『コロナ見極め』」

「路線の『振り子』動かず 党内の多様性失われ」

 どの見出しがどの新聞社か判別できるだろうか。こちらも1面と同じく、読売、朝日、毎日、東京の順に並べた。1面と比べると、それぞれの個性が出ているようにも見える。

 特に1面で「安倍政治 異論なき継承」との見出しを掲げた東京新聞は、2面と3面でも「党内の多様性失われ」という見出しの記事を掲載。残り3紙と違って、安倍・菅路線に異を唱える形になっている。

 他方、見出しを見る限りでは、読売、朝日、毎日の3紙には大きな差がなく、さほどの個性は感じられない。「客観的事実に即している」とも言えるが、「無難な紙面」とも言える。

 

 

1970年代から半世紀続く「政局報道」

 

菅政権が発足した翌日の17日朝刊では、各紙に「新閣僚の顔ぶれ」が載った。新政権発足時には全国紙か地方紙かを問わず、必ずと言っていいほど、各新聞にはこうした記事が掲載される。片側1面をほぼ埋め尽くし、なぜか閣僚の似顔絵を使うケースが多い。また、横顔の掲載は片面のみで、見開きのケースはほとんどない。勢い、1人当たりのスペースが狭くなり、紹介文は1人200字前後しかない。これでは、経歴や「趣味はテレビドラマ鑑賞」「好物はステーキ」といった事柄しか書けないだろう。

筆者が以前に調べたところ、こうした紙面づくりは、少なくとも1970年代には始まっている。半世紀近く続く、“マスコミの伝統芸”と皮肉りたくなるほどの不変ぶりだ。

それは同時に、「政局報道」と裏表の関係にある。マスコミの政治部は政策取材ではなく、官邸記者クラブをはじめ、平河クラブ(自民党)、野党クラブなどの各記者クラブをベースに連綿と政局取材を続けてきた。社会課題や政策よりも「政局」重視の報道。それこそが、“マスコミの伝統芸”と言ってよいかもしれない。

一内閣や政党の人事をメディアはどうとらえてきたのか。そこにはどんな問題が潜んでいるのか。大いに参考となる評論を紹介したい。

戦前や戦中に活躍した言論人・清沢洌氏(きよさわ・きよし、1895〜1945年)の一文である。

 

 

清沢氏の「最近の朝日新聞を論ず」とは

 

清沢氏は米国留学を経て、中外商業新報(現・日本経済新聞)や朝日新聞で記者を経験し、その後は在野の言論人になった。1941年に対米英との戦争が始まると、翌年から日々の出来事や新聞報道などに言及する日記を付け始める。それは戦後、「暗黒日記」として刊行され、大きな反響を呼んだ。

戦前、総合雑誌として名高い存在だった「日本評論」の1936年12月号に、清沢氏は「最近の朝日新聞を論ず」という一文を寄稿した。リベラルな論調で知られた当時の朝日新聞が「2.26事件」などを契機として次第に転向していく姿勢を批判する内容である。その中で、清沢氏はこう書いている(仮名遣いなどは原文のママ)。

議会に対しては徒に嘲笑を事として、他方満州事変以来、低調素朴な愛国心に訴へたのは、誰であるよりも新聞だ。これがフアツシヨの勢力を伸長させないわけはない。この時勢を自分でつくりながら、「御時勢だ、御時勢だ」と悲鳴をあげてゐるのだから世話はない。その御時勢製造の筆頭には、非常時以来朝日がある。

そのうえで、清沢氏はこう指弾している。

新聞社が他人の頭――特に役人の頭で動い(て)ゐる証拠には、その立場が常に役人本位である。役人を変へると「人事刷新」などと囃したてて喝采する。庶政一新などに騒ぐのも、役人の出世行詰りを、国民の福利と関係があるやうに解釈する結果だ。外務省に行くものは外務省、陸軍省に行くものは陸軍省、その型と思想が出来て来る。これも自分の頭を置き忘れた結果である。かうした新聞社の傾向から見て、役人の行き詰りから来た非常時心理を紙上に反映するのは自然である。殊に朝日あたりでは、幹部が事務的になり切つて、主義と思想を死守するといふやうな熱意があらう道理はない。斯くしてフアツシヨの風潮に一たまりもなく頭を下げるのである。

かいつまんで言えば、内閣や役所、政党、軍といった権力を取材する記者は、それぞれに当該記者クラブに所属する。それは戦前・戦中も今も変わらない。海軍担当なら海軍省の記者クラブ「黒潮会」に所属し、そこをベースにひたすら、海軍の取材を続ける。清沢論文はそれが習性なれば、記者の思考は権力者と同じになる、と指摘しているわけだ。

朝日新聞の元記者で東京・政治部次長などを歴任した今西光男氏は、著書『新聞 資本と経営の昭和史』(2007年)の中でこの清沢論文に着目し、「70年もたった現在の朝日新聞社はもちろん、他の多くの新聞社にも当てはまるだろう」と書いている

 

 

今に通じる戦前の清沢論文

 

清沢氏はまた、「日本評論」の1936年8月号に「大将・大臣・重役」という論考を寄せ、以下のように記した。当時の記者たちも追いかけた「政局」の断面である。

先祖代々の財産を使ひ果して、人間の姿さへ見ると投票の影が映って無性に頭を下げたくなる陣笠は、その目指すところは大臣であろうし、また国家の前途を慨する青年将校も、その底の底を掘ってみれば、頭がつかへて大将になれない悲憤の感情が、少しくらゐは交じってゐないとゆふ保証はなかろう。

(中略)

いつかの議会で、確か山本達雄さんだったかと思ふ、議員に何かの案について質問されて『それは事は重大でありますから、政府委員をして答弁させます』と答へたことがある。自分のやうな大臣では、そんな大問題は答へられないから、局長あたりをして返答させますといふ意味である。

この評論に限らず、当時の清沢氏の論文を「日本評論」誌上で読んでいくと、政治や権力者に対する氏のスタンスが浮かんでくる。筆者の解釈では、つまり、こういうことだ。

大臣にしろ、大将にしろ、役所の幹部にしろ、新聞社の編集幹部にしろ、それぞれは強い上昇志向を持っているが、一方では、そこから滑り落ちることに大いなる不安を抱えている。時流とその勢いに目を配り、主義主張はどうであれ、上層部の多くは結局、大勢に乗ろうとする。そうした者たちの営為や右往左往に目を向けているだけでは世の中は見通せない、と清沢氏は言いたかったのだろう。

 

 

「菅官房長官」を間近に見てきた政治記者たちの所作

 

その後、朝日新聞記者が「(新聞は)国民の戦争生活の指針」だと記すまで、5、6年しか要していない。

とくに決戦下の新聞のゆき方は、国家の意志、政策、要請など、平たく言えば国の考えること、行わんとすること、行なわんとすること、欲していること等を、紙面に反映させ、打てば響くように国民の戦争生活の指針とすることを、第一の建前としております。例えば、議会における各大臣の演説、豪(えら)い武官、次官の談話、法律や規制のことについての報道、解説記事がその一例です。(寺田勤著『新聞の読方・考へ方』、山中恒著『新聞は戦争を美化せよ!』から引用)

菅氏は官房長官を経て、最高権力者の地位に上り詰めた。では、それを間近に見てきた政治記者たちの所作はどうだったか。清沢氏の先の論文を現在に置き換えてリライトしてみれば、こうなるのではないか。

新聞記者が政治家の頭――特に政党幹部や閣僚と同じ思考で動いている証拠には、その記者の立場や思考が政治家本位となっているからだ。政治家や役人が変わると、「人事刷新」などと囃したてて喝采する。庶政一新などと騒ぐのも、政治家や役人の出世の行き詰りを、国民の福利と関係があるかのように解釈する結果だ。

菅官房長官の記者会見で質問する政治記者たち=2020年8月11日

 

 

 

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